2013年8月30日金曜日

リストカット

リストカット

これは代表的な自傷行為です。精神科外来、特に思春期外来をしていく中で自傷行為は避けられない問題です。これまで自傷行為については著名な先生方の講演、論文、著書を読みながら、実際に患者さんの治療にもあたってきました。ちなみに自傷行為にはリストカット以外にも、自分の体を刃物で突き刺す、薬の大量服薬、根性焼き(自分の体にたばこやライターで火傷させる)、拒食、過食、低層階からの飛び降りなど、方法は多様です。原因ももちろん多様ですが、僕の印象では「自分のことを大切にできにくい状況にいる子どもたち」が自傷行為をしやすいのではないかと感じています。たとえば、褒められた経験が少ない、知的な問題や発達障害などから周囲に比べてうまくできないことが多いと感じる、安心感の少ない環境、虐待などです。つまり「自分はだめな子なんだ」と思ってしまうわけです。

一般的に自傷行為というと即、自殺願望とつながるようなイメージではないでしょうか?
これは間違っていないですし、将来的に自傷行為が自殺の可能性を高めることは分かっています。でも自傷行為、即、自殺願望ではないことが多いのです。

自傷行為は自分そのものを殺したいわけではなく、だめな自分を殺したい(消したい)。たとえば、お母さんにいつも怒られる自分、悪いことをした自分、だめな自分などの自己像(自分のイメージ)を殺そうとしているように思います。僕の決して多くはない経験の中でも、自傷行為をしている子たちは診察の中で「本当は死にたくない」と言うことが多い気がします。今の自分では生きづらいから、嫌な自分を消して、リセットしたい。つまり「生きたい」からリストカットするわけです。

ではなぜ子どもたちはリストカットを含めた自傷行為をするのでしょうか?
痛いだけなら1回でやめてしまいそうですよね。実はリストカットをすることには効果があるといわれています。1つは実際に体内麻薬が出て、いい気分になれること(実際に実験されています)。もう一つは何か強い苦痛が感じられると、だめな自分の姿が否定することで消せること。

あと一つ。
「アピールだろ」みたいに言う方もおられますが、僕の経験上、アピールでリストカットする子はかなり少ないです。決して「アピールだ」みたいなことは言わないでください。また仮にアピールだったとしても、その子が辛い状況にあることは間違いないと思います。健康な子が興味本位でするリストカットは痛いから1回で終わります。つまり自傷行為を続ける人は何らかの辛いものを抱えている可能性が高いのです。

正直、すぐにリストカットをやめさせることは難しいことがほとんどですが、対処法として大切なことは子どもがリストカットしたのを発見したときに叱責しないことです。このときに叱責すると自分はダメな子だからリストカットしてちゃんと生きていこうと思ってるのに、そこまでも否定されるのかとさらに状態は悪くなります。紙幅の関係もあるのでまとめますね。

リストカットをしているのを発見したら
①傷の手当をする(家庭、あるいは病院で)
②子どもの話を聴く(説得や叱責はせず。話さないこともあります。)
③心療内科や精神科を受診すること

僕はリストカットをする子どもたちに出会ったときはここに書いたようなことを考えながら治療しています。

2013年8月27日火曜日

自分のことを好きなれない

僕は自分のことがあまり好きではありません。

「自分のことを好きになりましょう」

こんな言葉を幼いころからよく聞かされてきたような気がします。自分のことが好きじゃないことは何か悪いことのように。これが僕の中で無意識に植えつけられていました。そして大学の時に「やっと自分のことが好きになれた」みたいなことをいう友達や芸能人を見て、余計に自分を好きじゃないのはダメなことなんだと思うようになっていました。

それで最近、平野啓一郎さんの本の中で次の文章に出会いました。

「誰を好きになるよりも、一番難しいのはひょっとすると自分自身なのかもしれない。なぜなら自分のことはあまりにもよく知りすぎているから。よほどのナルシストでない限り、人はそんなに自分を全面的に肯定できないだろう。」

救われましたね。自分のことを好きじゃなくてもいいんだって。

そしてこれには続きがあるんです。

「誰々さんといるときの自分は好きだということがある」

まさにそうだなと思いました。相手によって僕たちは自分のことを好きになれたり、嫌いになったりするわけです。僕にも一緒にいると自分のことを好きになれる友達や知人がいます。これは本、映画、旅行などの他の状況でもそうでしょう。そのときに頭の中に出てくる内容によって自分が好きになれたりします。

この考え方のいいところは自分のことを肯定してくれるところです。多くの人は自分のことを批判しやすい。逆に言えば、自分のことを批判しない人はかなり特別な人でしょう。人って生きていく中で自分のことを肯定する瞬間ってそんなに多くないと僕は思っています。

この平野啓一郎さんの文章がみなさんが自分を肯定するときの助けになってくれたらと思います。


2013年8月26日月曜日

自分って何?

自分って何?

思春期に入るころから多くの人はこんなことを考えるようになります。僕自身も記憶の中では小学校高学年くらいからそんなことを漠然と考えるようになったと思います。その答えになる可能性のある本に出会いました。

芥川賞作家、平野啓一郎さんの「私とは何か」です。

「あの子は私の前での態度と違う」、「もとはそんなキャラじゃないのに」。人はみんないつもどんな状況でも同じ人間でいないといけない。状況や相手によって自分の態度を変えることを批判する性質が日本人にはあると述べられています(自分にも他人にも)。

でも自分のことを振り返ってみてください。小学校時代の自分と大学時代の自分。職場の自分と家での自分。今の時代ならネットの中の自分と実社会での自分。それぞれ違うはずです。

平野さんが言うには「自分」というのは他人との相互作用によって生まれてくる「分人」という単位があり、それらすべてが本当の自分であり、それらすべてが合わさって初めて一人の人になると。分人は分数で、それが集まり一個人になる。つまり付き合う人の数だけ分人(自分)がいるわけです。そしてその人らしさというのはその複数の分人の構成比率によって決まる。明るい分人の比率が高いと「あの人は明るい人だ」みたいになる。

僕はこの本を読んで、今までの悩みの一つが氷解したように感じました。まさにこの本にあるように相手によって態度を変える自分を批判していました。相手によって自分が変わることは当たり前のことなんだと思えたのです。

みなさんにもこの「分人」という概念で自分や他の人のことを思い返してみてください。

2013年8月23日金曜日

子どもたちが無意識にどんなことができるのか

家庭でどんな会話をしているのか、どんな言葉を使っているのか、どんな姿勢で食事をしているのか。

それらの結果が社会に出た時に、物の考え方、視線の合わせ方、あいさつ、立ち居振る舞いとして無意識に外で必ず出ます。この「無意識にどんなことができるのか」が最も大切です。これを就職直前に詰め込もうとするからできないわけです。そんなことは子どもの時に家庭教育で終わっておくべきことです。

これは外来に来てくれる幼稚園児でも、高校生でも、診察室という短い時間で十分に見えてきます。子どもたちの座っている姿、視線、言葉づかい、お母さんとの会話。これは精神遅滞や発達障害、精神障害などを持った子の場合でも、表面的な形は違いますが、基本的な考え方は同じだと思います。

僕が目指していることは本当にシンプルです。子どもたちが社会に出て人に会った時に、自然と目を合わせて、あいさつをし、丁寧な言葉づかいで話しながら、きれいに食事ができたら、みんなに愛されるのではないかと考えています。そんな子どもたちが増えることを願っています。

2013年8月22日木曜日

「はだしのゲン」への苦情

最近、ニュースになっている鳥取市立中央図書館で2年前の小学生の保護者からのクレームをきっかけに漫画「はだしのゲン」が児童書コーナーから事務室内に移されていたというもの。

クレームの理由は「女性を乱暴する描写があるのに子供が手にとれる場所においていいのか」とのこと。はだしのゲンは女性の乱暴をメインに描いている漫画でしょうか。それよりももっと大切な原爆のこと、人が生きていくということを伝えようとしていると僕は理解しています。もし小学生の子どもがその女性への乱暴なシーンを漫画でみて、実行してしまうようではそれは家庭での教育でいいことと悪いことをちゃんと説明できていないということでしょう。もちろん、特別な事情を抱えた生徒がいる場合は配慮が必要でしょうが、「はだしのゲン」が図書館に置いてあることが問題ではないと思います。

この理論でいくと、日々ニュースに出てきている社会的に許されないものすべてを子どもたちには見せてはいけないということになります。子どものときは人や社会で起こる汚いものを見なくていいという考えはどうなのでしょうか?そのすべてをどうやって規制するのか?仮にそれが可能だとして、汚いものはすべて排除し、ビニールハウスの温室育ちにして、その子が大人になって、初めて非社会的なものに触れた時に、その子はどんな反応をするのでしょうか?

もちろん非社会的なものばかりを見せろとは言いません。ただ、子どもたちには社会て起きている現実(いいものも悪いものも)、日々のニュース、これまであった歴史を伝えてあげることが、大人になった時に物の見方、思考の柔軟性を育てるでしょう。

僕は自分の子どもたちには世の中の美談も話しますが、社会にはいろんな人がいること、ニュースで流れる戦争のこと、非社会的な事件のことも話し、それに関しての親なりの意見(これは親としての私見で、間違っていてもいい)を話すようにしています。いずれ子どもたちが大人になった時にも様々なことが起こり、様々な人に出会うでしょう。時が流れて、社会がさらに複雑化して、もっと激しい事件を目の当たりにすることもあるでしょう。その時に自分なりにモノを考えたり、判断したりできるようになってほしいものです。

2013年8月20日火曜日

家庭でどんな話をするのか

外来で出会う中学生や高校生の子どもたちを見ていて時々思うことがあります。

彼らは自分の将来をあまり想像していないんじゃないか。日々食べることや生きることには困らない。このまま自分の人生が進んでいくのだろうと漠然と見ているような気がします。でも実際に子どもの将来が保障されているご家庭はごく一部でしょう。ではどんな準備をすればいいのか。

それは家で親が自分の日々のあったことを話すことです。今の日本では毎日の食事に困るということはかなり稀です。つまりこのまま自分の人生が続くものだと勘違いしてしまう可能性があります。それを防ぐために、お父さんやお母さんが日々職場や外で起きたこと、自分がこれまで経験したこと(いいことも悪いことも)、仕事のことなどいろんな話をすることが大切なわけです。子どもの前でいい格好をする必要はありません。僕はこれを「家庭で人生の予告編を語ってください」と話しています。

社会がどんなところなのか、生きていくことやお金を稼ぐことがどれほど大変なのかを教えてください。そうでないと仕事が楽に見えたり、お金は銀行に行けばあると勘違いしてしまいます。つまり、子どもたちに社会の現実を伝えるということです。人生経験の短い子どもたちには身近な人生の先輩であるお父さんやお母さんのお話は、最も大切な情報です。さらに言えば、生きていく糧になります。

家庭でどんな話をするのか。それが子どもたちの将来にとって大切なことだと思います。


2013年8月19日月曜日

玉造の街のサイトに掲載していただきました

玉造の街のサイトを運営されている方にインタビューしていただき、街のサイトに掲載していただきました。

気恥ずかしいですが、自分の考えを話す場をいただき、それをプロのライターの方に文章にしていただけたことはうれしい限りです。よろしければご覧ください。

http://www.tama-tsukuri.info/%E7%8E%89%E9%80%A0-%E3%83%88%E3%83%94%E3%83%83%E3%82%AF%E3%82%B9/%E5%AE%8B%E3%81%93%E3%81%A9%E3%82%82%E3%81%AE%E3%81%93%E3%81%93%E3%82%8D%E9%86%AB%E9%99%A2/

2013年8月18日日曜日

林真理子さんの「野心のすすめ」を読みました

僕は暇な時間があると本屋さんをぶらぶらします。

それで本屋さんで平積みのコーナーを歩いているときにこの「野心のすすめ」を見つけました。林真理子さんの名前はもちろん昔から知っていましたが、女性の読む恋愛小説を書く人というイメージでしかありませんでした。このときは野心という単語に惹かれて、何となく手に取って買ってみました。

内容は野心や努力の大切さが林さんの言葉でずばりはっきりと書かれています。まさに歯に衣着せぬという言葉がぴったりでした。あまりに正直に書かれていたので、人としてすごく親近感を覚えました。

この中で林さんの野心について具体的に書かれた一説がありました。

「三島由紀夫の小説は時代が流れて、何十年経っても色あせずに読み継がれる。自分もそういう小説を書きたい。」

林さんは小説を書くことを通して、読者の心にいつまでも残る小説家でありたいのだと理解しました。僕の仕事は精神科医です。僕の診察を受けていただいた方が元気になられて、通院する必要がなくなり、何十年と時間が過ぎても、その患者さんの心に残る精神科医になれたらこれ以上の幸せはないだろうなと思います。


2013年8月16日金曜日

クリニックもクライアントがいてはじめて成り立つ仕事

都会を歩いていると、オープンして1年も経たないうちに、他のお店に変わっているのをよく目にします。お客さんに来てもらえないと、お店を閉めるしかないわけです。それは医療機関も同様です。昔のように病院やクリニックは潰れないという時代はもう終わりました。

新聞やニュースによく出てくるように、日本の健康保険制度はかなり圧迫されています。僕の先輩がよくお話しされるのですが、今の日本の保険制度ではこれから5割、7割と患者さんの負担が増えていくでしょう。その時に高いお金を支払ってまで、病院やクリニックに患者さんに来てもらえるのか。そのためには医療機関が常に患者さんのニーズを考え、変化し続けるしかない気がします。それを怠るということはその医療機関の終焉を意味することになる。歯科医院がコンビニよりも多いという今の日本。毎年7000-8000人のが医師になります。それにしたがって医科のクリニックもある一定の割合で増えていきます。その時にどうしたら生き残っていけるのか。

脱皮できない蛇は滅びる。

ニーチェの有名な言葉です。蛇は古いものを脱ぎ捨てて、新しいものを皮を身にまとわないと死んでしまうという意味です。

これは高度経済成長時代、バブル時代に隆盛を極めた日本の大企業、銀行が海外勢にシェアを奪われたり、廃業に追い込まれた例を見ても明らかだと思います。

レストランや旅館などの主なサービス業だけでなく、顧客(クライアント)がいて成り立つ職業なら同じことが言えると思います。もちろん医療機関も同様です。僕たち医療機関も患者さんというクライアントがいてはじめて成り立つ仕事です。患者さんに選んでもらえるように、常に変化し、古いものを捨てて、新しいものを取り入れていかなくてはなりません。

ただ、こんなことは一般企業であれば常識過ぎて、わざわざ述べる必要のないことだと思います。それがいろんなものに守られてきた医療業界にも同じことが起こっているだけです。日本の景気の悪化に伴って、他の今まで守られてきた業界にも同じことが起きていますよね。

医療機関の中でも特に児童精神科、心療内科は風邪を引いたからたまたま行くという科ではありません。来院されるまでにいろんな思いを持たれ、悩み、行こうかどうか迷いながら、さらにいろんな情報を調べて、ようやく受診される方がほとんどです。

これから患者さんに選んでもらえるクリニックになれるよう、日々変化し、努力を重ねていきたいと考えています。

2013年8月15日木曜日

本を読むということ

僕は子どものころから本を読むことが嫌いでした。内容を読むというよりも面倒くさかったんです。
でも社会人になって、改めて本を読んで気付かされたことがたくさんあり、その時からは時間があれば本を読むようにしています。

僕が考える本を読むことのメリットは3つあります。

・その著者の考え、人生を追体験させてもらうことだと考えています。自分一人の人生で経験できることは限られています。それを本を読むことで、その著者が考えていること、経験したことを横で見せてもらえるわけです。

・読みながら自分はどうなのかと振り返ることができる。つまり自分の考えが発酵し、より柔軟性が生まれて、たくさんの考え方を持つことができるようになります。

・その著者はその本1冊を書くまでに自分の知識、経験など膨大な量の考えを詰め込んでいます。こんなに安い買い物はありません。


考え方が柔軟になるということはその人を生きやすくする気がします。

僕が大好きな作家の伊集院静さんが言っていました。「本なんか1冊も読まないでもすごい人はいる」。まさにそうです。本を読むことがえらいことなのではなく、考え方を柔軟にできる方法として本を読むことがあると思っています。自分の経験、映画、人との会話、一人での熟考を通して、考え方を作っていける人もいるでしょう。僕はあまりに凡人すぎて、それらだけでは考え方を柔軟にできないので、今の僕にはどうしても本という存在が必要です。

2013年8月13日火曜日

患者さんが診察室で涙されるとき

その方の状態、あるいはお子さんの状態を把握し、それに合わせてこちらが理解を示すことができたとき、患者さんや親御さんは涙されることがあります。そのときは自分がその方の琴線に触れることができた気がして、内心、一瞬ほっとします。でもそれはその人の状態を本当によくするのかは別です。単に人を泣かせればいいのではない。ここを勘違いしてはいけない気がします。

テレビでえらい先生が相談に来た芸能人を泣かせて、みんなで泣くというシーンがあります。もちろん、人は泣くことでほっとしたり、気分が楽になる部分があるでしょう。ただ、人を泣かせるということは、その人の一番つらい部分に触れるということです。そこに触れるということは、その人の頭の中で辛かった経験を想起させ、状態を一旦悪くさせるということです。それをしっかり元に戻せる自信がなければ最初から触るべきではありません。人の一番辛い部分に触れるということはかなり慎重にならないといけない部分です。トラウマ(心的外傷)の治療も同じです。生命の危機に直面するトラウマを受けた人の心に軽々しい気持ちで触れるというのは最もしてはいけないことです。人の痛みに触れるときには細心の注意を払うべきです。プロとしてはもちろん、回復させることができることが前提です。なので、僕としては患者さんの一番辛い部分に触れるときはかなり慎重になってしまいます。戻せる自信があるときは積極的に話しますが、戻せるかどうかわからない時には、僕はあえて黙るようにしています。それはには2つ理由があります。1つ目はこちらが黙ってその人のお話をお聴きする、受け止めるという姿勢自体が治療になることがあるから。2つ目に人の心の痛みを知ったかぶりすることほど、罪深いことはない気がするからです。

人の心って、そんなに簡単に他人が理解できるわけではありません。ご自身さえも自分の気持ちを理解できていないことも多々あります。一人の考えや視野なんて小さなものです。そんな気持ちで診療していきたいです。

2013年8月12日月曜日

医者は人の弱みに付け込む仕事

僕は医学生のころからよく父親に「医者と弁護士は人の弱みに付け込む仕事なんだから、医者になって調子に乗るんじゃないぞ」という話を何度も聞かされていました。よく考えてみるとそうなんですよね。ほとんどの場合、病気(それに近い状態も含めて)になったり困ったりするから病院やクリニックに行くわけです。つまり、病院に行くということは正直喜ばしい話ではないわけです。患者さんが病院に来るのは楽しい食事やショッピングとは違うわけです。その点を医療者は謙虚にとらえるべきだと思います。

診察の中で「これからもずっと先生のところに通います」と言っていただける患者さんにお会いすることがあります。そのとき僕は「それはよくありません。できるだけ早く、僕なんかに会わないでいい日が来るように治療していきましょうね」とお話しています。これは僕の基本的な考え方である「患者さんが自分の力で生きていけるように」ということです。僕のところに来ていただける方々がゆっくりでもいいので卒業していかれることを願っています。

2013年8月8日木曜日

私は~の専門家です

「僕は~の専門家です」
これは自己評価の低い僕にはなかなか違和感のある言葉です。


僕がそれほど児童精神科について人前で専門ですと胸を張って言えるのか。他の先生方に比べて子どもたちを診てきましたし、勉強はしてきたつもりです。また何よりもこの分野が好きです。でもあまり、自分は~の専門家ですなんて恥ずかしくて言いにくいのが本音です。

自分のような若輩者にそんなことが言えるのか。かといって患者さんを前にして専門家ではないとも言えません。これについて考えているときに、僕の師匠である山上敏子先生が教えてくれた言葉が浮かびました。「主治医として診察を重ねるたびに、その患者さんについては誰よりも治療が上手にならないといけないよ。その治療が上手にならないのはちゃんと診察ができていない証拠よ」と。診察を重ねるということは、その患者さんについて詳しくなるはずです。僕には~の専門家なんて言葉は恐れ多くて言えません(もちろん、いつの日か言いたいですけど^^)。ただ、自分が主治医として関わっている患者さんについては、他の誰よりも僕がその患者さんの専門家でありたいと思っています。

2013年8月6日火曜日

宋こどものこころ醫院のスタッフたち

今日、宋こどものこころ醫院は生まれました。開院初日にも関わらず多くの患者さんに来ていただきました。今日は数人の患者さんから「開業おめでとうございます」とのお祝いの言葉をいただき、恐縮しつつ、涙が出るくらいうれしかったです。本当にありがとうございました。

開院初日の今朝、スタッフ全員で記念写真を撮りました。この1か月間、開業準備をみんなでしながら、自分一人では何もできないんだなと痛感しています。僕以外のスタッフ4人の方がいてくれてはじめて患者さんの診療ができる。5人全員で宋こどものこころ醫院です。

僕、看護師、心理士、受付。スターティングメンバーこの5人全員で、宋こどものこころ醫院に来てくださる患者さんが少しでも良くなっていただけるよう、治療に挑みたいと思います。

今後ともよろしくお願いいたします。

2013年8月5日月曜日

明日、宋こどものこころ醫院は開院します


去年の12月に開業する場所が大阪市中央区玉造の今のところに決まってから約8か月かけて、ようやく明日の開業を迎えられることになりました。実のところ、開業については精神科医になったころから少しずつ意識して、「自分がクリニックをするならどうするか」と常に考えてきました。その集大成を今回、具現化できたことは感無量です。

医者になってからこれまで多くのことを教えていただいた患者さん、先輩、友人、後輩、開業を手伝っていただいたコンサルタントの方、建築をしていただいた方、診療のデスクを作っていただいた方、その他の多くの業者の方には本当に感謝しております。申し訳ないことに、ここには書ききれません。そして何より、ここに立たせてくれた祖父母、両親、兄弟、妻,、子どもたちに心から感謝したいです。

今は、ようやくスタート地点に立てたという気持ちでいっぱいです。僕自身、まだまだ若輩者で、これから勉強することは山ほどあります。当たり前ですが、勉強することは一生尽きないと思います。宋こどものこころ醫院に来ていただける子どもたち、保護者の方、大人の方、すべての患者さんのこころの健康のお役に立てるよう精進していく気持ちです。

よろしくお願いいたします。

2013年8月4日日曜日

受付スタッフを募集しています

ホームページ上で掲載していますように、現在、宋こどものこころ醫院では受付スタッフを募集しています。

僕が探しているのは

辛いことや悩みを抱えた子どもとその保護者の方の役に立ちたいと本気で考えていただける方、あるいは僕のこのような考え方に共感していただける方

です。

児童精神科、心療内科を受診される方々は「ここはどんなところなのか」、「症状をよくしてくれるのか」など不安と期待が入り混じった気持ちを持ってこられます。それに対していかに答えていくのか。これは僕たちの永遠のテーマであり、常に刷新、進化していかなくてはならないと考えています。

クリニックの電話対応、初対面の対応は初めて患者さんがクリニックに接するため、最も大切です。つまり受付スタッフはクリニックの「顔」です。これは一般企業やレストランなどと何も変わりません。医療はサービス業です。僕たちが食事しようとレストランを予約するときに電話対応がよかっただけで、そのレストランへのイメージがよくなり、「おいしいんじゃないか」って期待しますよね。僕の経験上、電話の対応がいいお店は、実際にサービス、気遣い、味で満足できるお店であることがほとんどであると感じています。もちろん、その逆もしかりです。それと同様、受付スタッフの電話対応から当院での治療は始まっています。宋こどものこころ醫院はこれから始まるわけですが、患者さんに喜んでいただけるよう、当院での対応、サービスをよりいいものにしていきたいです。

この想いに共感していただける方、一緒に宋こどものこころ醫院を作っていただける方の応募をお待ちしております。ご希望の方は履歴書(写真貼付)を当院までお送りください。面接日時については後日、こちらからご連絡差し上げます。条件などの詳細については電話(06-4303-5683)でお問い合わせください。よろしくお願いいたします。


2013年8月3日土曜日

たくさんのお花をいただきました

お祝いのお花をたくさんいただきました。こんなにもたくさんのお花をいただいたのは生まれて初めてです。お花を見ながら、僕がこんな高価なお花をいただくほどその方々に何かしてきたのかなと少し申し訳なくなりました。たくさんのお祝いをいただけたのは「しっかり診療をがんばるように」というメッセージと理解し、スタッフ全員で一人一人の患者さんを一生懸命診療していきたいと思います。お祝いをくださった方々、本当にありがとうございます。