2014年1月12日日曜日

誰にでも物語がある

人は他人を評価するとき、一つの事象でその人を評価することが多いと思います。そのいい例が芸能人や政治家のニュースではないでしょうか。世間から見て変なことをした人はもうそれだけでダメな人、ダメな人生。逆に~賞をもらった人、すごい学歴の人は人格も人生もすごいという扱いになります(それを煽るメディアの責任もあるでしょうが)。でも果たしてそうなのかと思うのです。その事実は確かにそうなのでしょう(それが事実無根ということもありますね)。でも、近親者でもないかぎり、、その人の人格や人生まではわかりません。いや近親者でもわからないかもしれない。僕自身、自分の家族や兄弟の人となりを正確に把握しているのかと言われても、わからない部分もまだまだあると思っています。

僕は少なくとも30年以上生きている人にはそれぞれ誰にでも物語があると思っています。そして誰にでも耳を傾ける価値がある。それは平凡に見えるサラリーマンも有名人も同じです。

いろんな人の人生を聴いているうちに、いつの日からか、こう思うようになりました(それまではもちろん僕も人の評価や批判を簡単にしていました。患者さんは僕に人生を教えてくれます)。それ以降は人の評価というのを簡単にはしてはいけないという思いになり、人を評価するときにはその事実についてのみ評価し、それ以上のことは言いにくくなりました。他人の評価で盛り上がっている人を見ると辟易とすることもあります(もっと言えば、他人にそんなに興味を持つほど、ご自身の人生が暇なのか、退屈なのか、単なるストレス発散なのか、あるいはやはりその人の物語があるのかといろいろ推測してしまいます)。つまりある一事象と人格はそのままイコールにならないのに、それを人は勘違いしてしまう。さらに人は変わる可能性もあるということです。精神科で言えば、覚せい剤やアルコールの依存症の人をみて、多くの人は「どうせまたやるんでしょ」という目で見ます。でも事実、依存症を克服する人はいるわけです。なので、人の判断、評価はそんなに簡単にしてはいけないと思うのです。それをするのなら、かなり慎重に時間をかけてすべきだと思います。

誰にでも物語がある。僕はそう考えています。


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