2014年1月18日土曜日

慢心しようがない

予備校講師の林先生の本によると東大生は「自分はあまり勉強してません」とよく言うそうです(再登場ですみません、最近読了しまして)。

恥ずかしながら、この言葉から自分自身のことを振り返ってみました。こんな自己評価の低い僕でも「お医者さんなんですね」、「韓国語を話せるんですか」、「すごいですね」みたいなことを言われることがたまにあります。それを聴いて当人の僕としては内心、褒められてるという感覚というよりは少し違和感をずっと感じてきました。「僕は本当にそんな大したものじゃないんです」と真剣に思っていますし、その時にどう反応していいのか迷っていました。これは謙遜とかそんなきれいなものではないんです。その自分の気持ちに最近、林先生のこの本で整理がつきました。なぜかというと、僕なんかよりもすごい人に日常的に(実際に、本で、テレビで)会うからなんです。その「すごい」という単語の定義は自分よりも素晴らしい人、優秀な人、器の大きい人、魅力的な人など僕がうらやましいなあと思う人です。さらに実社会で失敗しまくる自分に出会います。特に診療がうまくいかず、自分の無力さが情けなくなります。

整理すると、つまりこんな状態ではないかと思うのです。

自分よりもすごい人に会う回数+自分がだめだなと思う回数>人に褒められる回数+いい結果が出る回数

圧倒的に左側が多くて、慢心しようがない。東大生も同じなのではないかと推測します。自分より勉強している人や優秀な人が多い上に、自分がだめだなと思う回数がほめられる回数やいい結果が出る回数よりも多いのでしょう。

もし慢心してしまうとすればそれは世界が狭すぎるのか、周りが見えていないのかのどちらかではないかと思います。「慢心するな」といいますが、これでは慢心する暇がない。この世の中はうまくできてますよね。ちゃんと勝手に人を謙虚にしてくれます。だから人って努力できるんですよね。


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