2014年2月4日火曜日

自分の中にはきれいな自分と汚い自分がいる

児童精神科医としてホッとするときの一つとして、子どもたちのきらきらしたきれいな心に触れるときがあります。幼稚園で暴れる子も「友達を叩いたらだめだよ」とこちらが真剣に話すと神妙な顔をして聞いてくれたり、はじめはふてくされた顔の高校生も診察が終わるころには「また来る」と言ってくれる(ごくたまに厳しい環境で育った子で全く通用しない子もいます)。なんかうれしくなって、ホッとしちゃいます。

こんなきれいな心に触れていると僕自身、自分を侮蔑したくなったり、これでいいのかなと悩むことがあります。でもこれって、この世の中を生きていく上で人なら誰しもあることだと思うのです。特に正義感の強い思春期くらいまでの子どもたちは自分がした悪いことを心の中に持ち続けて悩んでいることが多いような気がします。これは思春期でなくても大人にも言えることでしょう。どんな人でも正義感は持っています。その正義感に照らし合わせて自分がしたことを責めてしまう。この時にはきれいな自分も汚い自分も両方ともが自分であることを認めることが、生きていく上で大切だと思うのです。完全無欠な人なんていないでしょうし、仮にそんな人がいたとしたら、誰からも興味をもってもらえなくなるでしょう。なぜならそんな人は面白くもなんともないから。自分に弱点があることを認めて、それを人に話すことで、他の人たちは自分に興味を持ってくれます。そうすると自分が楽になる上に他の人との関係もよくなる。

とどのつまりが肩の力を抜くこと。頑なにならないこと。大切だなとしみじみ思います。

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