2014年3月29日土曜日

スタッフミーティング

僕のクリニックでは開業以来、毎朝30分、全員(僕、看護師、心理士、受付)でその日に来られる患者さんの情報共有のためのスタッフミーティングをしています。

1日に何十人と来られる患者さんの中で、安定されてる方、不安定な方、診断書などの書類が必要な方、検査が必要な方、カウンセリングが必要な方、生活面でのサポートのために行政や福祉のサービスが必要な方、病院への紹介が必要な方など、ニーズによってほんとに多種多様なことがあります。

ミーティングの中では僕だけでなく全員で発言してもらい、すべてのスタッフからその患者さんについての情報を共有します。たとえば、入ってこられた時の様子、待合での様子、遊んでいるときの様子、診察中、診察後、採血時、カウンセリングの様子、会計時など、すべて患者さんについての情報になります。僕はあくまでも診察室での限られた時間しか患者さんを見れていません。クリニックにおられるすべての時間を治療につなげていけると考えています。以前にも書いたとおり、クリニックに入られてから出られるまでが治療です。診察、診療も同様です。

患者さんについての情報はスタッフ全員が把握しているべきだと考えています。患者さんがクリニックに入られたときに、受付さんがその患者さんの状態を把握しているだけで、言葉のかけ方や対応の仕方が変わると思うからです。

また、患者さんの情報を当日の朝に確認することで、スタッフ全員の心の準備になり、その日にどう動くべきなのかなど、余裕が生まれるというメリットもあります。僕自身も、診察直前にカルテを急いでみて、土壇場の判断となることはしたくありません。これができるのも、小さなクリニックだからこそと思います。

スタッフ全員でできるだけの情報を把握して、気持ちに余裕をもって診療に臨むことがいい診療につながると信じています。

2014年3月25日火曜日

なぜ精神科医はすぐに薬をだしてしまうのか

薬は医者にとって本当に大きな存在です。診断までは医者がして、治療は薬がしてくれる。特殊な治療手技を必要としない外来診療であればメインの流れと言えます。

精神科医も同じです。寝れないと聞けば睡眠薬、不安だと言えば抗不安薬、イライラするなら抗精神病薬、教室で席に座っていれないならADHDの薬・・・。

「医者にかかって、何か一つ症状を訴えれば、薬が一つ増える」。これは精神科ではそれほど珍しいことではありません。なぜならこれは患者さんから何度も教えてもらった言葉だからです。「診察が始まって5分で人格障害と言われました」、「診察の前にチェックシートに○をしたらADHDと診断されて、~という薬を出されました」。大概いろんな医者の話を聞いてきたつもりの僕も、これらの言葉の前には何も言えませんでした。

なぜ精神科医はこんなにも薬を出すまでの時間が短いのでしょうか?

理由は2つあります。
1つ目は診断から治療までを問診のみでするから
2つ目は薬を使わない治療は苦しいから

まずは1つ目について。
内科や外科の先生は診察のあとにいろんな検査をしてから、薬を出すという流れなので少し時間がかかります。一方で精神科では検査がほとんどなく、問診が検査に相当するため、診断から薬を出すまでの時間は必然的に短くなります。また患者さんとしても薬をもらうと何かしてもらった気になるので、納得しやすいという現状もあります。

そして2つ目について。
実は薬をすぐに出してしまう精神科医の気持ちはすごくよくわかります。理由は簡単です。精神科医として患者さんの症状を丁寧に聞いたり、症状を治す方法を探すにはものすごいエネルギーを消耗します。患者さんの症状対してその時の想像力を最大限に活用して治療法を模索するわけです。その上、その症状を治すためには精神科医としての技術が必要なのです。さらにはこれらを短い外来診療の中で行うことはそれほど簡単ではありません。「あっ、寝れないのね、じゃあ、この薬出しとくね」という流れが単純に楽なのです。薬を出すと、それ以上はその症状について話をせずに済みます。

僕は「症状一つに薬一つ」という治療を完全否定はしません。たとえば幻聴や妄想、患者さん本人ではコントロール不能な気分の起伏の症状には薬がやはり一番効果的です。僕もそのときはまずは薬物療法です。実は僕は精神科医になってすぐのころに薬をできるだけ出したくない気持ちが強すぎて、症状から何とか治療法を探そうと、無駄に患者さんの症状を長引かせてしまったことがありました。追い込まれたのちに薬を出した途端、その患者さんの症状が消えたのです。その時は本当に申し訳ないことをしたなと思いました。なので精神科では薬が第一選択ということがやはりあります。

ただ、一番大切なことは患者さんの症状を丁寧に聞けるのか。その体力や気力が自分にあるのか。それにかかっていると思います。そこが面倒くさくなってしまうと、もう「症状一つに薬一つ」という状態に陥るわけです。精神科医として生きていく上で、患者さんの症状を丁寧に聞くという姿勢はいつまでも持っていたいと思っています。

2014年3月20日木曜日

家と社会のギャップが大きすぎると子どもはだめになる

「子どもは外ではストレスが多いから、家ではストレスがないようにしてきました」

みなさんはこの言葉、どう考えられますか?

こんな言葉を口にされる親御さんに年間5人は出会う気がします。

親御さんによると外でストレスが多いので、家でストレスがないように好き放題させるという意味のようです。

外に出てストレスが多いというのは社会で生きていくためには当たり前のことです。それは子どもも大人も変わりません。そのストレスがかわいそうだというので、家では自由奔放。子どもの考え方の基本は家庭から生まれます。その基本を学ぶところである家で自由奔放だとすると、外に出た時に子どもはどうなるのか。少なくとも他の子たちと合わせて行こうとは思わないでしょう。たとえ表面的に合わせていたとしても、それはいずれ家での形で表面化します。なぜなら家で通用する自由が外では通じないわけですから。

僕は家と社会でのギャップが大きすぎると子どもはだめになると思っています。家は社会に出る前の予行演習をするところです。家で上手に箸を使えない子が外に出て急に箸を上手に使うわけはありません。家であいさつを教えられていない子が外であいさつができるわけがありません。家で暴言が出る子は外でも暴言が簡単に出ます。家の中でリラックスすることと、好き放題することとは違います。ご両親のこれまでの常識に従って、家と社会でのギャップが大きすぎないように家でもルールをしっかり作ってください。

そのルールの作り方は簡単です。そのルールをもって、外に出た時に、その子が外でも通用するかどうか。それだけがポイントです。

2014年3月16日日曜日

不登校が遷延化する理由

不登校は児童精神科外来で最多と言えるほど、よく出会う問題です。多数の不登校の子たちに出会うと、長い間学校に行けていない子たちの共通点が見えてきます。

当初は何か問題があって不登校という状態になりますが、それを不憫に思ったお母さんが子どもにきつく言えなくなってしまうことで、本人が学校に行く努力をしなくなる。そうすると行けない状態が続くことになります。それでいて、家では楽しそうに夜中までゲームをして、朝に起きない、昼から起きてきて、またゲーム。週末には遊びに行けてしまう。はじめは「嫌なことがあったんだから」と自分を納得させていたお母さんが家で1日ゲームをしてるわが子をみてついには堪忍袋の緒が切れる。そうすると、子どもは「お母さんは私の気持ちを分かっていない」と激情するか、痛いところを突かれてしんどそうにするかのどちらかになる。そうなると、お母さんはきつく言い過ぎたとまたやさしくなる。こんなからくりで不登校が遷延化します。

このときに大切なのは子どもが何らかの心の傷を持ちながらも、徐々に普段の本人の姿に戻ってきていることに気付けているかです。そのためには元気な時の本人の姿、今の本人の姿をどこまで観察できているかです。そして本人の背中をどこで押すべきなのかを判断できる視点がなくてはなりません。不登校はいずれにしても、必ず本人ががんばらないといけない瞬間が来ます。そこから目をそらすと不登校のままです。

どこで背中を押すべきなのか。診療の中でそれを一緒に考えられたらいいなと思います。

2014年3月14日金曜日

自分に足りないところを埋める

僕は自分が空いた時間にため込んだ本を読む、録画でためた番組を見る、運動をします。

20代のいつの日からか、そうなって、自分でもなんでそんなにも追い立てられるようにいろんなことをしようとしているのか不思議でした。その理由がここ最近、少しわかるようになりました。

僕は自分にはいろんなものが足りないから、それを埋めたくて生きている気がします。遠くの目標をそれほど意識してるわけでもありません(もっと意識できたら変わるのかもしれませんが(笑))。ただ足りないから、知らないことが多すぎるから。世の中のことすべてを経験することができるわけもないのに。僕がまだまだ若すぎて、欲張ってしまうのかもしれません。

新しいこと、自分の知らないこと、やったことがこと。それらの中で自分がうっすらでも興味が持てれば、自分の時間と気力に合わせて、とりあえずはやってみることにしています。

昔、先輩の先生に言われたことがあります。「僕は30代までにためた貯金で、40代以降は生きている。だから宋先生は今はがむしゃらにやらないと。」と、その先生のご経験をお話しいただいたことは、僕の心の中に強く残りました。

もちろん僕の性格もあると思います。ただ漫然と生きるということが苦手です。何もせず日曜日の夕方を迎えると、無性に虚しさがこみ上げてきます。そんな日があってもいいじゃないかという自分を諭す言葉も頭に浮かぶのですが、やっぱり嫌になってしまう。

努力を続けることは一つの才能であるという言葉を聞いたことがあります。僕には特別な才能がないので、せめて努力を続けることができる才能があると信じて生きていきたいです。


2014年3月11日火曜日

最後の山上敏子先生の外来授業

今日も福岡に来ました。今月で山上敏子先生が一旦臨床からは離れられるとのことで、今日で僕の山上敏子先生の外来授業は最後です。

2年前の2月に山上先生の行動療法のご著書に出会い、頭の中に電気が走るくらいの衝撃を受けました。そして翌月の3月に大阪に来られた山上先生の講演をお聴きし、まずは一度外来の見学をさせてもらいたいと思い、講演の1週間後には先生のいらっしゃる病院に電話しました。講演会で僕は質問しましたが、先生が僕のことを覚えてらっしゃるわけもありません。電話口で「ぜひ一度外来を見学させてください」とお話しすると、「そんなの意味ないからやめときなさい」とぴしっと言われました。でもその時の僕は自分に武器となるものが何もなかったので、そこで引き下がるわけにはいきませんでした。なんとしても自分にはこの技術が必要だと思いました。押し問答を15分ばかりしたでしょうか。先生も外来の時間が迫っていたことも幸いしてか「じゃあ、とりあえず来る?」と言われ、4月に初めてお伺いしました。実際にお会いすると、大阪から来たことも手伝ってかすごく優しく接してくださり、「何でも質問しなさい」とのお言葉。目の前で外来を見学させていただくことでご著書や講演でのお話の意味が自分の中に浸透してくることを感じました。1回目の外来見学が終わった後、「来月も見学に来させていただいても大丈夫でしょうか?」という僕に、「えっ?来月も来るの?」みたいな表情をされたことを思い出します^^

それからほぼ毎月福岡に通いました。1年が過ぎたころから僕の中では福岡のおばあちゃんに会いに行く感覚でした(失礼すぎて山上先生にはお話できていません(笑))。あれからちょうど2年。その間、診療の中で何度も思いましたが、もし山上先生に出会えていなければ、僕は今の患者さんの半分以上はどうしていいのか、検討さえ立てられなかったと思います。治療の糸口を探す灯りになってくれるのが山上先生から学んだことであり、「このとき、山上先生ならおそらくこうするだろうな」と思いながら診療しています。そのすごさを一言でいうとすれば、「どんな患者さんが来てもとりあえず何となく道筋が見えてくる」ところなんです。精神科外来に来られる方々は本当に多様な訴えを持たれています。その時に道筋が見えるかどうかは当たり前ですが、生命線です。

今日は山上先生に最後の質問をしました。「50年以上も臨床を続けられる秘訣は何ですか?」。「生活のため、生きていくため」とのお答え。何か特別な答えを期待していた自分が恥ずかしくなりました。

山上先生には何物にも代えがたい精神科医として武器をいただいたと思っています。この感謝の気持ちを今の僕の乏しいボキャブラリーでは表現できません。この感謝の気持ちを忘れずに、もっと勉強して、山上先生が常におっしゃる自分なりの治療法を確立したいと考えています。

2014年3月7日金曜日

開業して7か月が過ぎて

2013年8月6日に開業して、7か月が過ぎました。猛暑の中、開業準備をして、診療が始まって、気付けば梅が咲く季節になりました。開業してすぐのころは(今もですが(笑))、目の前の患者さんを取りこぼしなく、続けて診療できるよう気を配っていた気がします。

社会で生きていくことは基本的には自分を殺すこと。これを地で行く姿勢であったと今振り返っています。どんな患者さんが来ても、基本的には自分がまずは受け止める。そして初診後に僕と患者さんの折り合いがつかなくても2回目以降の診察に可能性を残したい。もちろん勤務医時代にも意識していたことではありますが、開業してからのこのことはある意味、大きな発見でした。このことから学んだのは、自分と考えが離れている人でも話をする中で治療の糸口や考えの一致を見ることがあるということです。そのことで、実際に治療が好転することがあります。我慢したほうが勝つみたいな。

ただ、今は取りこぼしなくという考え方はなくなりました。一般的に言われる「万人に好かれることはありえない」というのと同じで、すべての患者さんに満足してもらえるわけではありません。恥ずかしながら、そんな当たり前のことに気付くのに半年もかかった気がします。

開業から7か月が過ぎた今思うのは、僕の今のできる範囲で、治せる人を確実に治していきたいということです。こう結論付けるといつもと何も変わりませんが、自分の中での変化であったと思い、綴ってみました。



2014年3月4日火曜日

自分のことをわかってほしい

人は誰しも自分のことをわかってほしいと思っているものです。自分はこんなにがんばってきた、こんなに辛い、こんなに幸せなんだと自分が感じていることに対して共感を求めたくなる。これは人として至極当然の感情でしょう。だから人は他人の話を聴くのが苦手だったり、ついつい話すぎてしまうわけです。今、FacebookやTwitterが流行るのは自分のことをわかってほしいという人の心理をうまくついたものでしょう。

当たり前ですが、外来にも自分のことをわかってほしいという方が大勢来られます。そのわかってほしいという気持ちが強すぎて、社会でうまくいかないこともあります。人間なら誰しも持っているとはいえ、多くの場合、話題や相手を見ながら、それを自制しながら生きています。それが自制できないくらいの理由があるのだろうと僕は考えてきました。

どうしてこんなにも自分をわかってほしいというのが全面に出てしまうのか。その理由を考えた時、それまでのその人の人生の中で自分のことをわかってくれたという経験があまりにも乏しいからなのではないかと考えました。そのわかってもらう経験ができる最も大きな対象は親でしょう。子どものころに自分なりの何か辛い体験をしたときに親にわかってもらえるのかが、大きな分かれ道な気がします。基本的に子どもたちは親にわかってもらえると信じています。そこでわかってもらえないことが重なっていくと、他にわかってもらえる対象を探すようになり、それが友達、学校の先生、親せきの人など身近な人になっていく。それでも難しいと、自分の心を守るために誰に対しても他罰的にならざるを得なくなり、それをしたあとに自己嫌悪に陥り、自傷的にもなるのでしょう。

幼いころから、わかってもらえているという経験をさせてあげることが大人になって社会で生きていくには必要なのだと思います。ただ、わかろうとしすぎて子どもの言うことをすべて聞いてしまったり、親子間でルールがなくなってしまうことだけは避けたいですね。

2014年3月1日土曜日

子どもには荷が重すぎる

先日の映像‘14「ここにおいでよ~居場所を失った10代のために」を見ました。この番組は関西ローカルのドキュメンタリー番組です。

大阪にある公立高校の中に大阪府の委託を受けて子どもたちの居場所「となりカフェ」ができたそうです。ここに通う高校生たちが放課後に担当の相談員の方に話を聞いてもらう、友達同士で話し合うための場所です。つまり居場所のない子どもたちの集まる場です。そこは学校でも家でもない居場所なのです。

親がいない、生活費がない、学費がないから進学できない。バイトがしたいとスーパーの面接を受けたら保証人が必要なので、親に頼んだらそれを拒否された子。となりカフェに来て、相談員の先生の前で声を上げておいおい泣いてました。そこで相談員の先生がバイトの保証人になってあげていたんです。

またある子の言葉。「人生いろいろありすぎ」。中年の大人の言葉ではありません。10代の台詞なんです。

大人でも辛いことなのに、10代の肩にはあまりにも重すぎるものがかかっていることを感じました。これまで子ども家庭センター(児童相談所)、特別支援学校、乳児院、児童養護施設で厳しい境遇の子どもたちに会ったり、その子たちの話を聞いてきたはずなのに、改めてその厳しさを感じました。

冷めきった目。無気力な表情。「別に夢なんか持ったことない」。子どもでいたくてもいられない、早熟せざるを得ない理由がそこにはありました。早く大人にならないと、冷めた自分にならないと自分の心が守れない。

もうこうなると治療とかいうものではなくて、支えることが大切になってきます。一般的によく言われることですが、学校、医療、行政、福祉、民間のネットワークなど、あらゆるものが必要になる。外来でいくら僕らが診療しても、そんなものはほとんど役に立ちません。なぜなら彼らは目の前の「生きていくこと」に困っているわけですから。

僕が今、子ども家庭センター、児童養護施設、支援学校に行きたいと思う理由は外来では見えない世界が必ずあると思っているからです。自分が出会えていない子どもたちがいるはず。外来に来る子たちはごく一部です。いろんな事情から外来にさえ来れない子たちがいる。児童精神科医としてもそうですが、一人の人間として、自分に何ができるのか、長期的に続けていけるものは何か、じっくりと時間をかけて見つけられたらと思っています。