2014年5月15日木曜日

誰のおかげで今があるのか

親にしてもらって当然という子どもに出会います。僕も子どもの頃、親がしてくれるものをそのまま受け入れているだけでした。

僕は衣食住を含めた生活の面、学校についても何不自由なく育ちました。家長である父は常に一番偉い存在であり、僕たち家族を養ってくれているのだという話を常に母から聞かされていました。食事は父が食べるまでは誰も食べません。家族全員が父の決定に従います。普段は学校のこと、勉強のこと、将来のこと、その日の父の仕事のこと、読んだ本、その日の新聞の話題、あらゆる話をしてくれました。そして最終的には必ず「何をして食べていくのかを考えておけ」という話に収束します。そして、間違ったことをしたときは震え上がるくらいの怖さで叱られ、叩かれました。あと、我が家では両親には敬語でした(もちろん今も)。

ということで、子どもの頃、僕は愛情と厳しさいっぱいの両親に育てられました。一言で言うなら、「思いっきり抱きしめられながら、思いっきり殴られた」と表現できると思います(笑)。

直接的に親を尊敬しなさい、親に感謝しなさいなんて言われたことはありませんが、知らず知らずのうちに尊敬と感謝をしていたと思います。おそらくその理由は母から聞かされていたさきほどの言葉と、両親が一生懸命僕たち家族のために生きている姿を目の当たりにしていたから。僕の場合は父の仕事場と家がくっついていたため、仕事を終えて、憔悴しきった父を見て育ちました。それでもまだわからなかった鈍い僕は社会に出て、冷たい社会の風を浴びるようになった20代後半から親のことを思うようになりました。何も特別でない、どこにでもある話だと思います。

今の僕は大げさではなく毎日のように、知らず知らずのうちに、誰のおかげで今の自分があるのかを思っています。それはもちろん両親のおかげです。なので、同世代以上の人の口から「親にもう2年は連絡してないなあ」みたいな発言が出てきて、育ててくれた親に感謝しない人を見ると、とてつもない違和感を感じます。「今のあなたは一人でここまで来たのですか?」と聞きたくなります。その想像力のあまりの乏しさに、言葉も出ません。

子どもに幼いころから仕事をしている親の姿をできるだけ見せたり、説明したりして、毎日のこの生活は当たり前に来るものではないことを話すことが大切です。それが今はわからなくても、いつかその言葉、その風景を思い出すことがある。将来への布石として、それも一つの教育になると思うのです。

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