2015年12月30日水曜日

今日を生きたい

今朝、玉造の街を歩いていても、仕事をしてる風の人の姿はなく、今日まで診療している僕みたいに仕事してる人はそれほど多くないのか、実はたくさんいるのかなとか、よくわからないことを朝から考えていました。それにしても、年の瀬の空の色はなんだか冬らしくなってきた気がします。

今日は今年最後のブログという思いで、僕の好きな言葉を紹介したいと思います。これは僕の大好きな幻冬舎の社長、見城徹さんの本の中に出てきた言葉です。

「君がなんとなく生きた今日は、昨日死んで行った人たちがどうしても生きたかった大切な明日だ」

アメリカ先住民の人の言葉だそうです。この言葉を胸にまた今日を生きたいと思います。

今年1年間も当院に来ていただいた患者さんやご家族、ならびにこのブログをお読みいただた方々に感謝しております。ありがとうございました。常に改善と進歩のある宋こどものこころ醫院でありたいと思っております。来年もよろしくお願いいたします。

2015年12月25日金曜日

礼儀正しく敬語さえ使えれば

当院には問題を抱えた親御さんと子どもたちがたくさん来てくれます。その子どもたちの中で状態が良くなりやすい子どもたちに共通するのは礼儀正しいことです。一見、関係ないように見えますが、これは大切なことだと僕は思っています。礼儀正しく、敬語が使える子どもたちは周囲の人が助けてくれる可能性が高いのです。問題を抱えた子どもの周囲にいる人たちも人間です。不遜な態度でタメ口を使う子を助けてあげたいと思う人はそれほど多くはないでしょう。そうなると問題を抱えたその子が元気になる可能性も厳しいものになります。逆に、まずは礼儀正しく敬語さえ使えれば、何か問題があったときにも誰かが手を差し伸べてくれる可能性が高まり、それに伴って、その子が元気になる可能性も高まります。

子育ての基本は子どもが一人で社会で生きていける子にすることです。大げさではなく、子育てをちゃんとすることは将来の日本において、うつ病での自殺率を下げる一つの大きな因子であると僕は考えています。

2015年12月20日日曜日

問題児なんているのかな

学校で友達を殴る、ガラスを割る、万引きをする、ときに触法行為までする。いわゆる問題児。問診票にそう書いてあるので、どんな大変な子が現れるのかと身構える。でも実際に会ってみると、どこにでもいるあどけない表情の子どもたち。好きな話をすると、笑みをこぼれる。誰がこの子を問題児にしたのかな、いや、この世に問題児なんているのかなと思う。大人も含めて、もとから問題を起こす人なんているのかな。もちろん、日々のニュースを見ていると非情な話も目にします。でも僕が見てきた人たちは生まれた時からの問題児には見えない。これはただの綺麗事で言っているのではなく、僕の今の実感です。

いろんな人から問題児だと言われてきた子が話をするうちにどう見ても問題児に見えなくなることを経験すると、何が真実なのかわからなくなります。問題児という状態は今の状況が維持しているだけじゃないのか、あるいは問題児でないといられない状況があるんじゃないか。それらの状況を少しずつでも変えてあげられたら、問題児でなくなるんじゃないか。今、そんな気がしています。

2015年12月16日水曜日

その人の言葉よりも行動を見ていきたい

人は言葉で言っていることと表情や態度、実際の行動が違うことがあると思います。それは一応この場では言葉では合わせておいた方がいいという大人の判断なのかもしれません。診療の中では「〜していきましょう」と意見を共有したはずなのに、実際は違うことをされている、そんなことがあります。これは決して患者さんが悪いとかそういう問題ではなく、僕がその方の真意を汲み取れなかったということです。

多くの場合、人は口から出てくる言葉よりも実際の行動のほうがその人の真意を表しているのでしょう。そんなことを日々出会う患者さんから学びました。これは患者さんだけでなく、多くの人たちに言えることではないでしょうか。自分の本当の思いを言葉では表現せずにその場をやり過ごすことはできても、さらに実際の行動でも示さないということは至難の技です。「人を見る目がある」などと言いますが、人生経験の豊富な方々が「人を見る」ことができるのは言葉だけでなくそのときの表情、態度だけで、実際の行動までも予測してしまうのでしょう。そんな目を持つことができたら、人生は楽になるでしょうね。まず僕は診療の中ではその人の言葉よりも表情、態度、行動からその人の真意を探していきたいと思います。

2015年12月12日土曜日

自分に正直でありたい

このブログを書いていて、友人や知人からコメントをいただくことがあります。そのときに「本当に思ってることを書いてますよね」とよく言われます。そのとき僕はえっ!と驚きました。ブログってみんな本当のこと書かないの?と。

医者は長くすればするほど、患者さんに対して自分が知らないこと、治せないことを誤魔化す技術が伸びます。それは僕自身の実感です。当然、プロである僕たちが患者さんの前で弱気になるわけにはいきません。僕も自分の前で弱気になる医者に診てほしいとは思いません。ただし、重要なことが2つあります。1つ目は患者さんの前で正直に知らないこと、治せないことを正直に述べること。これは弱気になるのではなく、できることとできないことの線を明確に示すことです。その境界線を示すことができる人はよく自分を知っているということです。それよりも重要なことが2つ目です。それは患者さんに聞かれて知らないこと、治せないことに気付いたら、正直に向き合って、それを解消するために努力をしているかです。


僕は患者さんを目の前にして、誤魔化している自分には会いたくありません(治療的に意味がある誤魔化しならアリです)。つまり一言で、自分に正直でありたいのです。


歌手で作詞家のスガシカオさんが作詞をするときの気持ちでこんなことを述べておられました。


「正直になれないと気が済まない。自分がきれいで正しいって立場からものを言っても伝わらない。お前らダメだろみたいな言い方では伝わらない。」


至言でしょう。言ってる自分に正直じゃないのに、伝わるわけがない。自分に正直に向き合っている人から生まれる言葉が人の心を打つのでしょう。

2015年12月7日月曜日

当院は患者さんを選びません

「ここは大人も診てもらえるのですか?」とよく聞かれます。

当院では幼稚園児から高校生とその親御さんが多いことは確かですが、児童精神科、心療内科の扉を叩いてみたいと思う人であれば僕は原則、患者さんを選びません。リストカット、自殺願望、依存症、赤ちゃんから高齢者まで、どんな患者さんも受診してみたいと思う方はまずは診せていただきます。言葉を話せない夜泣きがひどい赤ちゃんでも、自分は困っていないという暴れる中学生でも、周囲にいる人は困っているわけですから楽になってもらうための介入の余地はあります。

ただし、一つだけ守っていただきたいことがあります。それは時間です。1回の診察時間(初診30分、再診5−10分)、朝から夕方までの診療時間、そして患者さん自身の予約時間です。この範囲内であればすべての方を診させていただきます。時間だけは僕たちの力ではどうしようもできません。このブログを読んでいただけている当院の患者さんはみなさん時間を守ってくださる方々なのに、こんなところで訴えても仕方ないですよね(笑)。僕がこうして時間を守っていただくようお願いしているのですから、僕自身も待ち時間はできるだけ少なくして、予約時間を守らないといけないと思っています。

2015年12月2日水曜日

仕事を一生懸命するのがプロ

プロサッカー選手の本田圭佑選手がプロフェッショナルの中で「プロフェッショナルとは自分がしている仕事に対して真摯であること、すなわち一生懸命であること、まじめであること」と述べていました。

ハッとしました。僕は今までプロというと、優れた技術があったり、責任感が強かったり、すごく特別な言葉としてとらえていました。でもこれを聴いて、ただただ真摯にまじめであることがプロであり、職業人として大切なことなんだと感じさせられました。自分の仕事に一生懸命でまじめであることは当たり前のように聞こえますが、世の中のどれくらいの人が一生懸命に、まじめに取り組んでいるでしょうか。人は自分がお客さんになると、そこで働く人に対して「あなたはプロだろ」と簡単に言いますが、それを言っているご自身は一体どれくらい自分の仕事に一生懸命でまじめでしょうか。そんなことを思います。

僕が本田選手が好きすぎて、この言葉が僕の中にすっと入ってきたのかもしれませんが(笑)。


2015年11月28日土曜日

薬が必要なときがある

明らかにうつ病にある方、発達障害でいろいろ対応している中で落ち着きがなく、イライラが止まらない方。

僕は薬を処方するのが好きな医者ではありませんが、医療者としてどう見ても薬があったほうがいい場合があります。

でも中には薬がどうしてもいやだという方がいます。理由をお聴きすると、「ネットで書いてたのを見て怖くなって」というのが一番多く、「やめれないと困るから」、「~さんが飲んでしんどくなったから」などです。

まあ、理由は何であれ、頑なに拒否されます。もちろんそのお気持ちも理解できます。はじめは誰しも薬を飲むことが不安になるのは当たり前です。その時、僕は当然、強くはお勧めしません。薬なしでしてみて、それで生活ができそうならそれでいい。しかしやはりしんどいなと思う方にはお出しするようにしています。もちろん副作用のために生活に支障があるくらいならすぐに中止します。

最終的な僕の意見としては、薬があったほうが少しでも楽に過ごせるだろうとこちらが判断したときは薬をお勧めします。なぜなら、薬なしで、耐える時間が長くなって、もっと事態が大きくなったり、調子がもっと悪くなってしまうことがあるからです。追い込まれたときに薬が症状をブレイクスルーしてくれて、状態をよくしてくれることがあります。そうすることで家族や周囲の人も余裕が生まれて楽になり、好循環に入っていけます。

当たり前のことですが、薬が必要なのかなと迷われたときは医療機関で薬についてご相談いただけたらと思います。

2015年11月25日水曜日

虐待という言葉の功罪

虐待という言葉が新聞で多く見られるようになりました。
厚生労働省の虐待の定義にはこうあります。

虐待は4つに分類されて、その中には身体的虐待(殴る、蹴るなど)、性的虐待(子供への性的行為、性的行為を見せるなど)、ネグレクト(家に閉じ込める、食事を与えないなど)、心理的虐待(言葉による脅し、無視など)がある。もちろん、この4つについてはさらに多くの状態が含まれます。一見、殴る、蹴る、無視するなどを見ると、昔ならどんな家庭にもあったのではないかと思えることがあります。

虐待という言葉があることで、昔であれば助けられなかった子どもたちを救えていることは間違いありません。小児科医として、精神科病院の勤務医として、子ども家庭センターで嘱託医として働いていたとき、僕自身が児童相談所に通報して、親御さんにも説明し、虐待を受けた子どもたちが一時保護されて施設に入所していく姿を目の当たりにしてきました。虐待という言葉が今くらい広がったからこそ救えた命だと思います。

一方で、虐待という言葉がはびこりすぎて、虐待という言葉に敏感になり、「私は子供を叩いてししまいました。これは虐待じゃないかと思うんです。子どもを叩いていいんでしょうか?」。涙ながらにこんなことを語るお母さんに本当によくお会いします。叩く=虐待という考え方。叩けとは言いませんが、叩くという行為を全面的に禁止する中で、子育てが実際に可能なのでしょうか?「ほめて育てましょう」、「子どものいいところに注目しましょう」。耳障りはいいですよね。これで育児ができる子は確かにいます。でもそれで育児が難しい場合にはどうしたらいいのでしょう。叩くことを奨励しているわけでは決してありません。叩く=虐待という短絡的な解釈はまずいなと思うのです。

僕が一番多く出会うパターンをご紹介します。

怒ってはいけない、叩いてはいけないから優しく子どもに注意する→子どもはきかない→また優しく注意する→それでも子どもはきかない→少しイライラしながら注意する→やはり子どもはきかない→これを何度か繰り返して、最後は親が我慢できなくなって、ドカーンと怒ってしまう→子どもは泣く→親は怒鳴った自分を責めてしんどくなる

このパターンを変えることは難しくありません。1回目に注意するときに「君のその行動は間違っているよ」ということを子どもにわかるように伝えることです。その手段が優しく言うことであれ、きつく言うことであれ、それは家族ごとの考えで構いません。それでダメなら、叩くこともあるでしょう。大切なのは親の言葉が子どもに伝わっているかどうかだけです。

子どもは真っ白な状態で善悪の区別はつきません。生まれたときから善悪の区別がつく人なんていません。当然、間違ったことをします。それを修正していくのが親を含めた周囲の大人の重要な義務であると僕は考えます。

ほどほどに虐待という言葉が広がることを切に願います。

2015年11月21日土曜日

自分はよかれと思っていても

今日はある地方都市に勉強のために来ました。そこにあるビジネスホテルで最上階にある露天風呂に入るためにお風呂の受付にエレベーターで上がると、そこには受付の広さに似合わないくらいのホテルスタッフの多さ。僕としては旅の疲れを癒すためにゆっくりしたいという気持ちの中、受付にきたのですが、ホテルとしては最上級のおもてなしをしているという自信を感じる印象。正直、難しいなと感じました。ホテル側と僕の感じたことにずれがあるわけです。もちろん、僕が感じていることが大多数だとか、正しいとかいうい問題ではありません。ただ、ホストがよかれと思うおもてなしと僕が望むおもてなしにずれがあるということでした。

僕も一商店としてのクリニックを経営している者として、自分を振り返るいい機会となりました。今の自分のおもてなしがベストであることはありえません。通院していただいてる方々が「ここはこうしてほしいな」と思うところがあるはずです。これからも当院に来られる患者さんやご家族の意見を常にお聞きすることがニーズを知ること上で最も大切なことであると感じました。

2015年11月18日水曜日

熱演に勝る好演はなし

僕は萩本欽一さんが大好きで、先日、NHKのファミリーヒストリーで東貴博さんが出ていたので、萩本さんが出るはずだと録画して見ました。皆さんご存知のとおり、萩本さんの師匠は東八郎さんで、その息子さんが東貴博さんです。萩本さんの本の中には東さん親子の話がよく出てきます。萩本さんは東八郎さんの死後、師匠への恩返しとして、東さんの息子の貴博さんに芸を教えた話は有名です。

この番組の中で、人気絶頂のころの東八郎さんのインタビューの場面が出ていました。東さんはこの中で「熱演に勝る好演はなし。うまくなったからといって、小手先でものはやるな」とおっしゃっていました。いい言葉だなと思いました。人は少し何かの技術が上がると、それほど頑張らなくても結果を出せてしまうので、頑張るということをしなくなることが多い。でもそれをするから、きっとその人は落ちていくのでしょう。そこでも熱演を続けた東さんだから頂点を維持できていたのでしょう。この差が一流とそうでない人の違いだと思いました。どんな技術よりも一生懸命に仕事をすることが最も尊いことなのでしょう。

2015年11月14日土曜日

時間をかければ楽にはなるけれど

前回のブログの「最短時間で楽になってもらう」という自分の仕事について続きを考えてみました。

多くの患者さんにお会いして思うのは時間さえかければ、多くの方々はよくなられるということです。物理的に時間が経過して、辛さが軽減したり、苦しい状態から抜け出すためにご本人は全力で楽になる方法を探すし、そのうち偶発的にいいことが起きる可能性も高い。でも人はそれをわかっていても、その時間が待てずに苦しい。なので精神科や心療内科をたずねて来られるのかもしれません。その待てない時間を少しでも短くして、早く楽になってもらうためにこの世には精神科医や心理士がいます。逆に、その時間を短くできないのであれば、その精神科医や心理士の治療はどこか間違っているのでしょう。少なくとも、僕は自分の治療を振り返るときにそう思って治療しています。

2015年11月10日火曜日

最短時間で楽になってもらうことが僕の仕事

どんな職業人も自分の仕事を突き詰めていく作業をしている。僕は今自分がしている仕事は突き詰めるところ、何なのかなと考えます。

精神科を訪ねて来られる人が本当に求めていることは何か。医療機関を受診する人が本当に求めていることは何か。それを一人で考えてみました。僕が患者さんならどうかなと想像してみました。それは「最短時間で楽になりたい」。これに尽きる気がします。そしたら、僕のすることは決まってきます。宋こどものこころ醫院のスタッフの総力を結集して、来てくれた患者さんを最短時間で楽にする。これをただひたすら追求、そして継続していく。それが今進むべき道なのだと思っています。

2015年11月4日水曜日

子供に失敗させてみる

親は自分の子供が失敗するのを見たくありません。でも人は失敗することなくして、学習することはありません。これは大人であれば誰も否定できないことではないでしょうか。

自分の実体験としては失敗をしてよかったなとは思うけど、子供には失敗させたくない。どの親も感じることでしょう。この矛盾をどう埋めたらいいのでしょうか。

親にとって子供は一番の弱点です。子供に甘い親は自分にいくら厳しくても、最終的には甘い人なのかもしれません。自分より大切な子供が辛い状況にいることが我慢できない(もちろん、大きな病気や障害などハンディキャップを担っている場合は別です)。

親は子よりも先に死にます。そのあとにあなた以上にあなたの子供を大切にしてくれる人はまずいないでしょう。それなら、あなたの子供がこの世で生きていける力をあなたが死ぬ前につけてあげることが最も大切ではないでしょうか。そのために親の裁量の範囲で子供を失敗させてみる。失敗は成功の母。僕自身も親として、この言葉の意味を改めて考えてみたいと思います。

2015年11月2日月曜日

才能=努力

「ゲーテ」という雑誌をご存知でしょうか?僕は幻冬舎の見城徹さんが大好きで、大人の男の雑誌も好きなので、定期購読しています。

その中に、毎回、作家の村上龍さんが短いコラムを書かれています。
今回の題名は「努力という才能」。

元プロサッカー選手の中田英寿さんがイタリアで活躍されているときに村上さんが中田さんの試合と練習を見に行ったときの話でした。豪雨の中、練習は中止になって誰もいないグランドで中田さんが一人ずぶ濡れになりながら、暗くなってボールが見えにくくなるまでボールを蹴っていました。その日の夜の食事で、なぜ雨の中で一人でボールを蹴っていたのかをたずねると、中田さんは質問の意味が分からないという表情で、「だって、雨でもサッカーのゲームは中止にならないですよ」と答えたそうです。

そのときに村上さんは「どんな人間でも、これだけ練習したら、きっとそれなりの選手になれるだろう。これだけの練習ができるというのが才能なんだ」と思ったそうです。

人は秀でた人を見ると、「才能があるんだろう」という簡単な言葉で片付けがちです。僕も安易にそんな言葉を口にしてしまいます。このコラムを読んで、才能のある人=努力をする人、いや「才能=努力」なんだと感じました。今日からは「才能があるんだろう」ではなく「努力したんだろう」と言い換えたいと思います。

2015年10月28日水曜日

どうしていいかわからないから疲れる

診療をしていて、やたらに疲れるなと思うときがあります。それは患者さんの状態がわからないときです。状態がわからないから、どうしていいか迷うし、暗闇を歩くかのように怖くなり疲れる。

小児科医として、精神科医として病院で当直してるとき、他の先生が主治医の重症の患者さんを診ることはすごく怖いものでした。それはその患者さんを診るのは初めてだし、重症でもある。何が起こるか予測がつかない。

これは他の仕事も同じだと思います。新しい仕事を始めるときに疲れるのはまだその仕事の本質や勝手がわからないからです。疲れないためにはその仕事の本質(僕なら患者さんの状態の本質)を早く見つけられるようになることが肝要なのだと感じています。

2015年10月21日水曜日

生き残るために自分を追い込む

日経新聞で、「本田道」というコーナーが時々あります。サッカー選手の本田圭佑選手へのインタビューを載せています。今日はサッカー選手の育て方という題名。長年サッカー日本代表をみてきて、定着できる選手と消えていく選手を分ける一つの条件に気付いたそうです。

「それはある程度、幼少時代に追い込まれた、あるいは自分で追い込んで無理して肉体を鍛えた選手ほど、今の日本代表に残っている」

肉体的にも精神的にも自分を追い込むという状態を経験した人は生き残ることができるそうです。クリニックの開業医、精神科医、医師の業界は今の日本では追い込まれるとか、サバイバルな意識があまりに少ない気がします。バブル崩壊を迎える前の日本は銀行、証券会社、大企業が潰れるなんてことは多くの人が想像しなかったでしょう。でも現実にはそういう大きな組織が崩壊することが証明された。公認会計士や弁護士という特殊な専門職でさえ、就職先がないというニュースが新聞の上を踊ります。過剰でコンビニよりも多いという歯科医院。もうこれだけ条件が揃えば、医師も過剰な時代が来ることは間違いありません。

平時のときは誰でも楽に過ごせます。有事のときに生き残ることができるかどうかは、サッカー日本代表と同様、自分を追い込んだことがあるかどうかが、そのあとの道を分けるのかもしれません。古代の人類の歴史が証明しているように、人生はサバイバルだと僕は思っています。子育ても同じでしょう。有事のときに自分の子供がこの世の中で生き残れるのか。そのために親としてどこまで自分の子供を追い込めるのか、どこまで追い込めばいいのか。その気持ちを親として持っておくことが子育てをする上で最も大切だと思います。

2015年10月18日日曜日

夜尿症には薄い味付けで

夜尿症ってどうすれば治るんでしょうね。治し方はいくつもあると思いますが、基本的な対応と僕の個人的な印象を述べさせてください。

夜尿症の診断はまずは身体的な疾患の除外から始まります。治療法には精神療法、薬物療法もありますが、まずはなんといっても生活指導です。

基本的な生活指導としては以下の3つです。

1.飲水制限
夕食時の水分をコップ1杯までとして、就寝前2時間は飲まないようにします。真夏などでどうしてものどが渇く場合には氷1つを口に含んでもらうこともあります。

2.就寝直前にトイレへ

3.早朝6時から7時に起こしてトイレへ(早朝に失敗する子が多いため)

これを守っていただくだけで、半分以上の子どもたちは夜尿が改善します。

ここからは僕の印象です。2つあります。

a. 全体に肥満傾向の子に多い。
やはり食生活が気になります。味付けの濃いものを食べることが多いと、当然のどが渇くので飲水量は多くなります。

b. スポーツドリンクをよく飲む子に多い。
スポーツドリンクは口当たりがよく勢いよく飲んでしまうため、全体の飲水量が増えます。それとスポーツドリンクの組成は熱中症の予防にいいという話がありますが、組成としては糖分が多く、ほぼジュースと同じです。なので、ジュース同様にのどの渇きが強まります。

もし、この2つがあるようであれば、これらを改善していただくだけで、不要な飲水量が減り、夜尿症が改善する可能性があります。水分を欲しがらなくなるし、痩せる。一石二鳥かもしれませんね。

2015年10月15日木曜日

新聞の魅力

日本新聞協会が財務省が出した軽減税率制度の導入に反対するということから、新聞についての特集記事がありました。その中で、作家の林真理子さんが新聞は「無知を知る第一歩」、「国民と文化と教養の基本」であると書いておられました。

僕は林さんの小説は読んだこともなく、エッセイを数冊読んだり、テレビで出演されてるのを見た程度ですが、さすが視点が鋭く、的確に短かな表現をされるなと思いました。僕も林さんのように上手に文章を書きたいと思っています。

みなさんも新聞についてのご意見はあると思いますが、ここからは僕の新聞に関する私見です。NHKのニュースは事実だけを伝えるということで、もちろん大きな意味がありますが、新聞のニュースがNHKのニュースとは違うのは事実だけでなく、新聞記者の意見や視点が感じられ、それに刺激されて自分の意見が頭の中で想起されやすいところに新聞の魅力があると思っています。民放のニュースは専門家でもなんでもない人がどちらでもいい意見を言うので、あまり見ません。少なくとも新聞記者はニュースから自分の意見を活字にして展開するプロです。書いてあることの是非ではなく、活字のプロの人たちの文章に廉価で毎日触れて、多くのことを考えさせてくれる、なんとも贅沢だなと思います。

2015年10月11日日曜日

開院して2周年のアンケート

開院して2周年を迎えることができて、今年も患者さんにアンケートを実施しました。

今年は全体的な満足度だけでなく、項目を医師、看護師、心理士、受付など、部署ごとに、5段階評価(とても満足、満足、普通、不満、とても不満)としました。


とても満足または満足に⚪️をしていただいた方の割合


1. 当院に通院していただいて満足されていますか? 84%

2. 予約時の対応は? 83%
3. 当院の雰囲気は? 87%
4. 受付の対応は? 91%
5. 医師の対応は? 87%
6. 看護師の対応は? 87%
7. 心理士の対応は? 86%
8. 診察時間、待ち時間は? 53%
9. 今後も通院したいですか? 89% 

診察時間、待ち時間以外の項目で80%以上のご評価をいただけたこと、本当に嬉しく思っています。僕は自分自身が勤務医をしながら、「自分が開業するならこうはしないな」と思うことが数多くありました。それらを具現化したのが今の宋こどものこころ醫院です。もちろん開業してからも日々の改善すべきことを探して、改善してきましたし、これからも改善し続けていきます。


フリーコメントにいただいたご意見をゆっくりと読んでいて、本当に忌憚のないものばかりでした。

改善してほしい内容でもっとも多かったのは診察時間が短いこと、椅子がほしいでした。高評価いただいた内容でもっとも多かったのはすべての部署のスタッフの対応の良さでした。

一番うれしかったのが「先生やスタッフみなさんのおかげでホッとできます」というお言葉。これは僕が院長として経営者としてもっとも大切にしていることです。それでなくても辛いことを抱えて来られる患者さんやご家族にホッとしてもらうこと。これ以上に大切なことはないと僕は考えています。

改善すべきこととして、診察時間の短さをたくさん挙げていただきました。実際、再診の診察時間は5−10分であり、これを長くすることは今の時点では困難です。しかし、これは僕の技量不足であり、この時間内に満足していただけるように技量を上げることが必要です。


そして何よりも大切なのは今回のようなありがたい評価を今後も続けていくことです。1、2回はまぐれです。継続できなければ、何に意味もありません。そのためにこれからも宋こどものこころ醫院スタッフ一同、邁進してまいります。

2015年10月7日水曜日

自分を俯瞰するといいところが見えて来る

先日、僕の師匠(勝手に師事してる)の龍谷大学の東豊先生に僕の患者さんのことでに相談したところ、「この方、もうよくなってるやん。何が問題なの?」と言われ、頭の中に衝撃が走りました。

その診察では患者さんはニコニコしてお話してくれているのに、僕が「まだここが問題だ」と執着しているという構図でした。東先生の言葉を聞いてからもう一度自分の診察を「実はよくなってるんじゃないかな?」という視線で振り返ってみました。すると初診から比べて明らかに状態は改善しており、お子さんもお母さんも機嫌よく日常生活のことをお話してくれていることが見えてきました。よく考えてみると、これまでも患者さんが初診のときには訴えていた内容についてはほとんど言われなくなり、診察での会話が症状や問題とは別の楽しい話題や取り留めもない日常生活の話になることは実はよくあったことでした。

僕の中にはこれまで自分はまだまだできていないという思いや前提が常にありました。いつも患者さんが初診で言われた主訴で自分を縛って身動きを取りにくくしていたんです。でも今回の気づきを与えていただいた事で、自分の診療が大きく変わりました。格好よく言えば、広く自分の診療を俯瞰できたというか、自由になれた気がしました。僕を縛っていたのは僕自身でした。

僕は患者さんに対して、「できてるところを見つけて注目していきましょう」とよく言います。でもそれができていなかったのは実は僕自身だったんです(笑)。

不登校やひきこもりから回復した子どもたちの親御さんたちの多くに共通して言えることは、親御さんがお子さんや家族の状態を俯瞰できていることです。俯瞰できると冷静になれるので、いいところが見えて来るのです。

人は自分の状態を俯瞰するということに慣れていません。ただ自分の状態を俯瞰するということを少し意識するだけで、心が楽になれるようです。みなさんもご自身を俯瞰する練習、ぜひしてみてください。俯瞰できたとき、これまでと違う世界が目の前に広がっているかもしれません。

2015年10月2日金曜日

爪かみはストレス?

「この子が爪を噛んでいるんですけど、何かストレスがあるんでしょうか?」

本当によく聞く質問です。かく言う僕も子供の頃に爪を噛んでいた記憶があります。

ストレス→爪噛み

この理屈が間違っていると言いきることはできないでしょう。確かにそうかもしれません。ただ、ストレスを受けた子たちがすべて爪を噛むのであれば、子どもたちは全員爪を噛まなくてはいけまません。なぜならいくら子どもであったとしても、ストレスというものを完全に避けることはできないからです。愛情が足りてないから指しゃぶりするという説も同じです。愛情が足りてない子たちがすべて指しゃぶりをしているなら、不遇な環境の子たちは全員指しゃぶりをしていなくてはならなくなります。

この質問をしてくれた親御さんの本当の意図は「爪噛みをやめさせたい」ということでしょう。

大切なのは爪を口に運ぶことが始まったときにどう対応しているかです。すべての行動に言えることですが、新しい行動が始まった時に、それをやめさせる働きかけをしっかりする(物理的に止める、言葉で注意するなど)かどうかで、その行動が続くのか止まるのかが決まります。自閉症の子たちのこだわりも同じです。自閉症の子たちは生まれたときから電車が好きだったり、くるくる回るものが好きだったりするわけではありません。それらに何度か接しているうちに、それがこだわりになるわけです。蛇足ですが自閉症の場合、くるくる回るものというのは同じことが繰り返されているからこだわりになりやすいわけです。

繰り返しになりますが、同じ行動やこだわりを作らないためには早期にそれをさせない対応をすることが肝要です。させない対応をしないとその間に、本人が何らかのメリットを感じてしまうからです。例えば、爪を噛んだときにしっくりくる歯ごたえや噛んだときの音かもしれません(僕はそんな感覚で噛んでいました)。つまりはこちら側が様子を見すぎているわけです。子どもに注意するときも同じです。勉強しさない、テレビを消しなさい、寝なさいと言ってから、そのうちするだろうと5分、10分と待たれる方がいます。

何か好ましい行動をしてほしいとき、好ましくない行動をやめさせたいときは早期に介入するのが最も楽で効果的です。。最初にしっかり止めてあげれば、爪かみはストレスなのかなと親としての悩みを深めなくてすみます。子育ても同じです。幼い頃に親としてどんなことを教え、どんな接し方をしているのか大切だと思います。「まだ小さいから」という理由で様子を見すぎないでくださいね。

2015年9月27日日曜日

街で患者さんを見かけたとき

街を歩いていて、一人で結構な大声で独語をしている人を見かけませんか?おそらく幻覚妄想の状態の患者さんなんだろうなと思います。

僕は時折そんな人を見かけるので、どうすべきなのか何度も考えてきました。周囲の人は驚いた怪訝な視線を送っていたり、ただただ過ぎ去っていく人たち。かく言う僕もただ過ぎ去っています。心の中では声をかけて話を聴くのか、救急車を呼ぶのか、警察にお願いするのか、いろいろ思います。周囲に迷惑もかけていないのに、わざわざ僕から「病院に行ったほうがいいですよ」なんていきなり声をかけるわけにもいかず、結局は何もできずに過ぎ去るだけ。

精神科の病院に勤務しているときは、街で独語をしていて興奮してきて、周囲に迷惑をかけてるからと警察とともに来られる患者さんは日常的にいました。でもこれは周囲の人が迷惑をかけられたとか、誰かに危害をくわえたとか、事件になったとか、そうなってはじめて警察から病院という流れでした。つまり周囲がかなり問題視しないと病院の受診にはつながらない。

僕の勝手なアイデアですが、警察と精神科病院が連携して、街で患者さんと思われる人がいたら、受診を勧めるようなパトロールみたいのはどうでしょうか。でも警察の人と精神科医のマンパワーと人件費とかいろいろあるのかなとも思ったり。一人でそんなことを思いました。

2015年9月24日木曜日

歌手の人がうらやましい

人の心を元気にする仕事はたくさんありますが、歌手の人の存在はその中でもひときわ大きく感じます。歌は聴くだけで楽しかったときの情景が浮かんできたり、元気をもらえたりします。

注目されるのは大きな天災があるときですが、実はそればかりではなく、僕たちの日常の中で一人になりたいとき、辛いことがあるときに、ふと音楽を無意識に探す人も多いのではないでしょうか。

歌手は歌を通して多くの人に元気になってもらえる。そう思うと、人を元気にする点で、歌手も精神科医と同じなんじゃないかと想像するわけです。でも歌手は一度に元気にする人の人数が違う。僕はいくらがんばっても1人ずつですが、歌手は一気に何千人、何万人と元気にできる可能性がある。でもそのためには歌手、作曲家、作詞家、関係者の方々の大変な苦労と努力があるのだろう、僕にはわからないことがたくさんあるのだろうと想像だけしています。

しかしそれにしても、僕としては歌手の人がすごく羨ましい。

2015年9月18日金曜日

「座ってね」という言葉

電車など公共の場でお母さんがお子さんに「座ってね」と言って、そのまま騒いでる子どもに会うことがあると思います。もちろん、僕の診察の中でもよく遭遇します。

この言葉には座ってほしいというお母さんの気持ちがこめられているはずです。でも本人はその言葉とは違う行動をしている。なぜでしょうか?

言葉が理解できていない、聴こえていない、お母さんのことが嫌いとか、いろいろ理由はあるかもしれません。ただ、もしこの「座ってね」という言葉で、本当に座らせたいのであれば、答えは一つです。お母さんの言葉通り、膝に乗せるなり、手をつなぐなりして、物理的に座らせなければなりません。

第3者からするとこれは当たり前のように聴こえますが、お母さんとしては座らせたいのに、子どもは座れないということが今日も世の中では無数に起こっています。食べなさい、やりなさい、寝なさいなど、他の行動であっても、幼い子であればほとんどの場合は親のコントロールで可能です。お母さんの言葉通りに実際にさせて、「お母さんの言葉はその通りにやらなきゃいけない」と子どもが思えれば、次からは他の指示がどんどん入ります。

日々の診療の中であまりに多いことなので、当たり前のことですが、書いてしまいました。

僕が一番多く出会うのは診察室の中でまともに座れない我が子を見て、ショックを受けたり、イライラされるお母さんです。そうならないで済むように、日々ご自身の言葉とお子さんの行動を比較してみてくださいね。

2015年9月15日火曜日

子どもだからこそ話ができる

「そのまま素直に話をしてもわかってもらえるんだ」

そんなことを感じることがあります。毎日、多くの子どもや大人にお会いします。大人の場合、いろんな技術を使ってお話ししてようやく話を聞いてもらえるところが、子どもの場合、「大好きなお母さんのいうことを聞いてね」というだけで、翌週には問題行動がなくなって、賢くなってきてくれたりします。大人だと曲解されてしまう部分が、子どもはそのまま素直に話を聞いてくれるわけです。

子どもに接するということは、その子の心という白いキャンバスにどんな絵を描くのかということ。そんな気持ちを持てるかどうかが、子どもに接する人たちにとって最も大切なことだと思っています。

2015年9月13日日曜日

誰かのことを想う想像力

大阪は夏が終わりを迎えていますね。8月の暑いときに録画した甲子園の番組を見ていました。

平成10年夏の2回戦、宇部商業対豊田大谷の試合。

試合は2対2のまま延長15回裏、豊田大谷の攻撃でノーアウト満塁。ピッチャーは宇部商業のエースの藤田投手。この時点でキャッチャーのサインを豊田商業に読まれていると判断した宇部商業バッテリーはサインを複雑にしていました。そしてキャッチャーがサインを出しなおしたとき、藤田投手はセットポジションに入りかけていたのに、また腕を戻してしまい、主審の判定はボーク。

満塁からの押し出しでサヨナラ負け、試合終了。

そのときの主審は林主審。

これには後日談があるそうです。

10数年が過ぎて、32歳になった宇部商業の藤田投手はあるイベントの際に、自身が職場で野球を楽しんで元気でやっているということを林主審に伝えるために会いに行ったそうです。

林主審はあのときの判定のせいで高校生の男の子が辛い思いをしたと思い続けていたでしょう。その林主審の気持ちを藤田投手は想像して、自分は元気で野球をしているということを伝えるために会いに行った。

お互いの想像力のなせる素晴らしいエピソードだなと思いました。

誰かのことを想う想像力。人間が持っている能力の中でもっとも美しく人間らしいものだと思います。

2015年9月9日水曜日

ひきこもりへの直接的な介入

ひきこもりへの直接的な介入として、実際に自宅や生活の場に訪問して支援するアウトリート(訪問支援)というのが広がっています。今はそれに対して国も動いています。ケースワーカー、相談員、心理士、看護師、医師など実際に行く人の職種は様々です。

先日のプロフェッショナルは佐賀県で不登校やひきこもりへの訪問支援を行なっている谷口仁史さんが出られていました。児童相談所、学校、若者サポートセンター、医療機関などと連携して、実際にひきこもっている子供や若者の自宅に訪問して、ご家族や本人と直接話をします。谷口さんいわく、初対面がもっとも大切だそうです。はじめてご本人に会うときまでにご家族からご本人の興味があること、普段の生活、嫌いな話題、ご家族のことなど、詳細に情報を集めてから臨む。小学生が好きなカードゲームや遊びも勉強されていました。

僕のところにも不登校やひきこもりでご家族が相談に来られたり、ご本人がなんとか来てくれることがあります。僕も初対面(僕の場合は初診)がもっとも大切だと考えています。そのときにご本人と少しでもいい関係を築けなければ、もうそれ以降は来てくれませんし、初対面はご本人もなんらかの期待を持ってくれていることが多いので最大のチャンスでもあります(ただ、家族療法を勉強してからはご本人がいないとだめだとは全く思わなくなりましたが)。

外来診療という限られた環境の中で不登校やひきこもりの人たちにお会いする僕としては、直接的な介入ができるというのがすごくうらやましいという気持ちと僕には真似できないなという気持ちで複雑です。ただ、このようなアウトリーチをされている方と一緒に仕事ができれば僕たちの仕事の幅もさらに広がり、多様な支援ができていくのであろうと思います。

2015年9月6日日曜日

吸ったら吐きましょう

ストレスを受けると、何か重いものが頭や体にたまるような感覚を覚えることはありませんか?

そんなときにみなさんはどうされますか?深呼吸をしたり、ため息をついたり、中にはタバコを吸って吐かれる方もおられるでしょう。でもそれだけでは難しい。

息は吸ったら吐かなくてはいけません。吐かないと次の新しい空気は入ってきません。吸うのは得意だけど、吐き方がわからない人が多い気がします。なぜそう思うかというと、他の人を見ていてもそうですが、当の僕がそうだからです。なので、僕はいつも自分の息の吐き方を探しています。みなさんも息の吸い方ではなく、ご自身なりの息の吐き方を探してみませんか?

2015年9月2日水曜日

アドバイスをしない医者になりたい

診察の中で患者さんから「この場合はどうしたらいいですか?」という質問を頻繁に受けます。僕はこれまでそれに必死に答えようとして頭を巡らせていましたし、もちろん今もです。

ある日、僕は「なぜ患者さんたちは僕にこんなにもたくさん質問するんだろう」とふと思いました。つまり診療自体が患者さんが質問して、自分が答えるということを繰り返す構造になってたのです。これは当たり前と言えば当たり前でした。どんな業界でも「先生」と名のつく人の前に立つと、人は自分の疑問や悩みの解決法をその人が教えてくれるのではにかという期待を持って、聞きたくなるものです。もちろん僕も「先生」と呼ばれる人に質問します。

つまり、僕は患者さんから質問されると、その流れに乗って、ずっと質問されたことを答えるということになっていたわけです。概して人は質問されると答えなくてはならないという制限がかかります。でも早く答えないといけないと焦って、まだ知りもしないのに、必死に答えていたわけです。この構造を作ってしまったのは他でもない僕自身だと気付きました。

ではどうすればいいのか。つまり患者さんに質問して、的確な情報が得られるまでは答えてはいけない。わかってもいないのに、焦って答えようとするから的を外してしまう。理想的には患者さんにご自身で気づいていただくことが一番でしょう。いつの日か、僕と話をしている中で患者さん自身がいつの間にか「あっ!そうだ!」とご自身で答えに気づいてもらえるような、アドバイスをしない医者になりたいと思います。

2015年8月31日月曜日

まずはお母さんに元気になってほしい

僕が診療をしていて、一番多くお会いするのは子育て中のお母さんです。年齢的には20代から50代と幅広いですが、その中でも特に30、40代が特に多いように思います。

子供への接し方、育て方はもちろん、お母さん自身のご自身の人生を否定される方にお会いします。結婚前は学校生活や仕事を通して、ご自身の人生について考えてこられたのに、主婦としての生活が長くなり、家事や子育てをしていてやりがいは感じるものの、ふと自分の人生ってなんだろう、なぜ生まれてきたんだろうと思う。お母さんたちがそんなことを考え始めるのは僕の印象では、子供たちが少し手が離れる小学校入学後からが多いように思います。子供の小学校入学以降に仕事やパートを始めたりされることが多いのはそのためでしょう。

お母さんも一つの人格を持った人であり、一人の大切な人生を生きているわけです。女性の社会貢献の高さが昨今叫ばれてますが、子育てをしているお母さんの力がこれからの世界の未来を担っていると言っても過言ではありません。もしかしたら、こどもの健康よりも先に必要なのはお母さんの健康なのかもしれません。当院はそんなお母さんたちのお役に立てるクリニックでありたいと思っています。

2015年8月26日水曜日

ルールやマナーを守っていただきたくて



「車内では携帯電話のご使用はご遠慮ください」
「空いている座席に荷物を置くのはご遠慮ください」
「ここでは飲食はご遠慮ください」
「ここに駐車しないでください」

公共の場やお店に入って、こんな張り紙や放送に出会うことがあると思います。

当院のような小さなクリニックにも、僕の小さな器では受け入れるのが困難な方が時に来られます。たとえば、連絡なしに予約時間から1時間以上遅刻される方、他の方がお待ちなのに診断書などの重要な書類をその場ですぐに書いて欲しいという方、他の方がお待ちなのに先に診て欲しいという方、必要性や理由をご説明しているのに薬を長期間処方して欲しいという方、大騒ぎして走り回っている子供をそのままにしておられる方などです。

そこで当院では大変残念ながら上にあるような張り紙をしています。

多くの人と共生していく社会の中でルールやマナーを守らない方に合わせた張り紙や放送に出会った時、僕は「ここまでしないといけない人がいたのだな」と、その張り紙を作らなければならなかった方の心労を思います。だってこんな張り紙や放送をして気持ちがいい人なんていないでしょう。これは特に自分が開業してから強く思うようになりました。

僕自身がいつもルールやマナーを守る人間であるとは到底思えません。ただ、それらを守れなかったときに、誰かに指摘されたり張り紙を見て、行動を改め、周囲の人への迷惑を想像できる人間でありたいと思っています。なので、まずは僕と当院のスタッフが良識のある真摯な姿勢で患者さんに接し、仕事をし続けることで、いつか当院のこの張り紙を外すことが僕の目標です。

2015年8月22日土曜日

ニーズとタイミングが合っているのかが大切

行動分析(行動療法の基礎的概念)の勉強のために軽井沢に行ってきました。大阪から軽井沢に行くにはどうすれば早いかご存知でしょうか?僕はそれを知らずに名古屋から行けるのだろうと思っていましたが、新大阪→東京は東海道新幹線、東京→軽井沢は長野・北陸新幹線という大回りをすることを初めて知りました。ということで、初めて北陸新幹線に乗りました。8月という夏休みであることもあるとは思いますが、北陸新幹線はほぼ満席でした。その光景を見たとき、北陸新幹線は今年3月に開通したばかりで、ここに乗っている人たちは去年まではどこにいてたのかと思いました。つまり、北陸新幹線にはニーズがあったのか、あるいはニーズを生みだすことができたということになります。

満席の北陸新幹線を見て思いました。顧客のニーズとタイミングに合わせたものを作ることができれば、生き残れる。しかし、そのどちらかを間違えればどこかの第3セクターやレジャースポットのように淘汰されていくことになるわけです。

あくまでも顧客という対象がいる仕事、つまり民間の仕事の場合、ニーズを間違えれば消えるしかありません。そのニーズに答えれられる準備を常にしておくことが生き残っていく道なのだろうと、北陸新幹線に乗って、行動分析の勉強をしながら考えました。軽井沢に行って、行動分析の勉強をしながら、こんなことを考えたのは僕だけじゃないかと、自嘲していました(笑)

2015年8月17日月曜日

善行は轍迹無し(ぜんこうはてつせきなし)

精神科医が治療者として、患者さんと最後の診察をいい形で一緒に迎えることができるときは正直幸せな瞬間です。最後の診察をこちらがいい形だと意識できている時点で、患者さんは最後のあいさつにきてくれていますし、治療も成功しています。

「ここに来て支えていただきました」、「先生の声を聞きに来ていました」。

涙が出ますよね。ただ、これらの場合、僕は何がそんなに良かったのか把握できていません。こんなときに思い出す老子の言葉があります。


善行は轍迹(てつせき)無し


本当の善行は人目にはつかないという意味です。ボランティアに参加したことや寄付したことを自慢する人に会います。でもそのことを人に対して語った時点で、それ自体を善行だと考えている時点で、それは善行ではないのでしょう。知らない間に、意識していない中で人に喜んでいただけるということが人間としての幸せなのかもしれません。それでいくと、僕が上記のようなことをブログで書いている時点で善行ではありません。自分が人としてまだまだなのだと実感するわけです(笑)

2015年8月13日木曜日

仕事はおもしろいけど楽しくはない

元LINE社長の森川亮さんの「シンプルに考える」を読みました。ご自身のビジネスや人生観について書かれた本です。

戦わない
ビジョンはいらない
計画はいらない
情報共有はしない
偉い人はいらない
モチベーションはあげない
成功は捨て続ける
差別化は狙わない

などなど、一見して、え?と思う言葉が並びます。普通の人ならその真逆だろうと思うような言葉です。その言葉一つ一つを解説しながら進んでいきます。ビジネスの本質を書いていると感じました。過去1年間で一番面白かった本です。その中でも特に、読みながら、僕と全く同じだ!と思えたのが、


「仕事を楽しもうという言葉を耳にすることがあります。これには共感できない。仕事はおもしろいけど楽しむという感覚はありません。なぜなら仕事は厳しいものだから」


僕は仕事を楽しんだことはありません。僕にとって仕事は基本的にしんどいものですし、そのしんどさの中で治療がうまくいって、うれしいな、おもしろいなと幸せを感じることはあります。楽しいとおもしろいは違いますよね。楽しむって言葉には何か余裕を感じます。今の僕のレベルでは仕事を楽しむなんて余裕はありません。僕が仕事について楽しいなと思える時は仕事(治療法など)について勉強している時、仕事について誰かとディスカッションしている時など、患者さんを前にしたときではなく、実際の仕事とは離れて、何かを学んでいるときです。つまり、何かを吸収しているという楽しさです。たしかに何かを吸収しているときはむちゃくちゃ楽しい。でもそれは仕事を楽しむこととは違います。

すごく治療ができる先生方は仕事を楽しまれているのだろうと想像はします。最高ですね。そんな日が来るのでしょうか^^。

2015年8月9日日曜日

「~じゃなきゃいけない」はしんどい

広島カープの黒田博樹投手がインタビューでこんなことをおっしゃっておられました。

「メジャーでは常に100%の状態でマウンドにあがれることはないと自分に言い聞かせていました。100%を求めると、もしそうでないときに、技術面もメンタル面もどんどんネガティブになるから」

僕は今まで診察に向かう前には自分のコンディションをベストにしないといけないと思っていましたし、今も正直ベストにしたいと思っています。でもこの言葉で楽になれました。どうせ自分の調子には波があるし、波のない日常なんてありえないですから、できるだけいいコンディションを目指すのはいいけど、そうでないといけないとか考えることはまずいなと気づきました。

これは仕事のときの自分のコンディションだけでなく、すべてに言える気がします。なんせ、「~じゃなきゃいけない」というのはしんどい。一番思うのは自分の「〜じゃなきゃいけない」という常識を人に当てはめて(当てはめなくていいのに)人のことを批判したり攻撃したりするとき。なので、最近は自分の頭で変な人だなと思う人に出会った時も、頭の中で変だなという程度に止めて、それ以上の心の中での評価や攻撃をやめました。なぜならそれはしんどいから。やめたほうが楽だから。それだけです。いくら心の中でその人のことを思いだして、評価して攻撃しても、解決するものではないし、疲れるだけ。そんなことが本気でできるようになると生きることが楽になるものなんだと感じています。

2015年8月6日木曜日

友人のいる国を大切に思う

僕にとって仕事が終わったあとに、疲れた頭を癒してくれるものの一つに歴史があります。なのでNHKの歴史秘話ヒストリアをいつも楽しみにしています。

先日の歴史秘話ヒストリアは太平洋戦争の直前まで駐日大使を務めていたジョセフ・グルーさん。最後まで太平洋戦争を回避するためにアメリカ政府を説得し、画策しました。ところが、10年間日本で大使として滞在したあと、1941年12月の太平洋戦争の開始とともにアメリカに帰国することになりました。その帰国直前に、将来の日本とアメリカの平和を願って、桜の若木を植えたそうです。

3年以上にわたる戦争の間も、太平洋戦争を早く終結させるために尽力し続けました。その努力もあり、1945年8月14日にポツダム宣言を日本が受諾し、太平洋戦争は終結。その翌日の8月15日にジョセフ・グルーさんは国務省に辞表を提出しました。それから最高司令官のマッカーサーからグルーさんを顧問として招聘したいと言う誘いがありました。しかしこれをグルーさんは「私は10年もの間日本で暮らし、たくさんの友人がいます。そこに支配者の顔をして行きたいとは思いません」と言って拒否したそうです。そしてその後、グルーさんは死ぬまで日本を訪れることはなかったそうです。僕、ここで泣いちゃいました。歴史秘話ヒストリアはほぼ毎回見ますが、泣いたのは初めてでした。

どれほど日本という国とそこにいる友人を愛し、大切に思っていたのかが伝わって来るお話でした。しかし一方で、大好きな日本を訪れて友人に会いたいという気持ちがあったはずなのに、外交官という立場であったため、そのことを遠慮したのでしょう。複雑な気持ちであっただろうと想像します。泣ける話じゃありませんか?^^

2015年8月2日日曜日

降りてくるものを伝える仕事

スイッチインタビューで作家の吉本ばななさんがこんなことを言われていました。

「ほっとくとだんだんじわじわ素材が寄ってくる。で、もう書かなきゃと思って書く」

作家の司馬遼太郎さんは「夜中にものを書いて、朝になって自分の書いた文章を見ると自分が書いたものとは思えない」とおっしゃたそうです。歌手のさだまさしさんは「音楽は神様から与えられるもの。それをみなさんにお伝えするのが僕の仕事」とおっしゃっておられました。

ある一定のレベルを超えた方々は皆、口にする言葉が同じです。僕が個人的に指導を受け、敬愛している心理士の先生も「技術は2割。8割は上から降りてくるから」と言われます。何かに夢中になって精進していると、その域に自分も達せられるのだろうと今はただ漠然と思っています。その域に達すると、治療しながらどんな景色なのか、今から楽しみです。だって、そうなればどんどん治療できて、精神科医という仕事がさらにもっと面白くなりそうですから。

2015年7月28日火曜日

ほんの少しのサービスでうれしくなる

先日、メガネの鼻に当たる付け根の部分が取れてしまいました。メガネをかけておられる方はご存じだと思うのですが、この部分がないと金属部分が当たって鼻は痛いし、固定が悪いからメガネがずれるしで不便極まりありません。そこで、メガネを買ったことはありませんが、近所の眼鏡屋さんに持っていきました。


僕:「あのー、ここで買ったメガネではないのですが、この部分が外れてしまって」

店員さん:「部品があるか見てみますよ」

しばらくして・・・

店員さん:「部品が変わってしまいましたが、やってみました」


うれしかったですね。僕はそのお店は初めてですし、店員さんも何気なしに、当たり前の仕事をしたという印象でした。別に次にメガネを買ってもらおうとかそんなものも一切感じさせない対応。

ほんの少しのサービスで人の気持ちってこんなにもよくなれるんだなと改めて感じました。

そして、あとでメガネをみてみると、メガネのねじの部分までしっかり止めてくれて、レンズまできれいにしてくれていたんです。

心があったかくなるこんな仕事がさらりとできたらいいですね。

2015年7月24日金曜日

大雪山の自然


札幌で行われた日本ブリーフサイコセラピー学会に合わせて、大雪山に行ってきました。大雪山は北海道の中央にあり、総面積では日本最大の山脈で、その中に旭岳は北海道最高峰の山です。大雪山はかつてアイヌの人々が「神々が遊ぶ庭」と呼んでいたそうです。まさにその言葉通り、神の存在を感じさせるかのように荘厳な雄大さがそこにはありました。その中で、大雪旭岳源水という、まさに水源を訪ねました。

実は僕がここに行ったのは2回目で、今回も心をきれいにしてもらったというか、その場に立つだけでありがたいなという気持ちになれました。そこに行けばなんでかわからないけど、心がきれいになれる。そんな場所がいくつかあれば生きやすいんじゃないかなと思います。

2015年7月15日水曜日

精神科受診を前にして悩む方々へ

人は本当に辛いことに向き合った時、自分に起こった事実を認めたくない、受け入れられないことがあると思います。我が子が知的障害かもしれない、主人がうつ病かもしれない、母が認知症かもしれない。これらのことを受け入れるだけでも辛いのに、それを家族以外の誰かに語る場所である、治療を受ける場所とされている精神科の門をたたくということはよりその現実に向き合うことになるわけです。それは想像を絶する高い壁です。精神科医である僕は精神科を患者として受診したことはないし、その家族にもなったこともありません。でも自分を卑下しているわけでもありません。ただ一つ言えることは僕は精神科医を生業にしているということ。つまり、精神科の門を一度でも叩いてくれた患者さんが当院に来る前よりも1mmでも楽になること。それが今の僕の目標です。

だから僕は思います。目の前にある辛いことを認めたくはないけど、少しでも楽になりたいな、精神科ってどんなところなんだろうなと思ったその瞬間に、治療への、そして回復への1歩は始まっているのです。少なくともその方が次の2歩目を踏み出そうとするときに邪魔をせず、少しでも楽に前に向かって踏み出せるようお手伝いしていきたいです。

2015年7月12日日曜日

すでに患者さんは治療の術を僕に教えてくれていた

これまでの自分の診療を振り返って、今になってようやく気づくことがたくさんあります。あの時の診療でうまくいかなかったのはあそこをミスしたからだな、こうしていればまた違っていたのかな、今ならこうするかななど。もちろん、今も診療のあとに、あっ、完全にミスした!っと思うこともあります。ミスしたことに気づくのは僕自身か、僕の診察を見てわかる人だけでしょう。おそらく患者さんは僕がミスしたとは認識されず、怒って帰ってしまう、なんとなく後味が悪いなと感じる、そのまま過ぎていけることもあるかもしれません。

ウイリアム・オスラー(William Osler)という19世紀から20世紀初頭に医学の発展に大きく貢献した医学者がいました。この先生は数々の名言が残されています。その中でこんな言葉があります。

 Listen to the patient, he is telling you the diagnosis.

患者の話を聴いてみて、患者はあなたに病名を話しているよ、とでも訳すのでしょうか。

最近、気づいたことがありました。患者さんは診察室の中でご自身の辛いことを話したり、話せなかったりしながら、僕に治療に役立つ多くのサイン(情報)を送ってくれています。それを今までの僕はちゃんとキャッチできていなかった。つまり患者さんの話の中でどれが治療に役立つのかがわかっていないから、治療がうまくいかない。大事なポイントをたくさん見逃していました。恥ずかしながら、今もまだ見逃していると思います。逆に大事なポイントだけを間違わなければ、治療法は見えてくる。患者さんの症状や話している内容を上手に取捨選択できる人が実力のある医者なのでしょう。今の自分が以前の自分の診療を振り返ることで、多くのことが見えてきました。

今、僕が最も強く感じることは、すでに患者さんは治療の術を僕に教えてくれていたということです。これからはそれをできるだけ見逃さないよう、日々の診療に臨んでいきたいと思います。

2015年7月7日火曜日

今の仕事の環境は最高

今の僕は幸運なことに1日で多くの患者さんにお会いできます。もちろん治療はうまくいくこともうまくいかないこともあります。ただ、毎日確実に患者さんの診療ができるということは毎日確実に診療がうまくなるためのトレーニングを積めるということ。うまくなれば、どんどん患者さんに還元していけることにつながる。

僕は診療がうまくなりたくて本を読んだり、講習会などに参加します。でももっと大切なことは日々の臨床の中で学んだことを武器にして、そこからいかに自分が試行錯誤しているかだと思います。本や講習会で学んだことはあくまでも食材です。その食材だけをお客さんにお出しすることは出来ない。お客さんにお出しするには自分の手を加えて料理をする必要がある。そこでどんな手を加えられるかがその人の実力。

そして診療の中で湧いてきた日々の疑問を考え続けること。患者さんに向き合って、どうしたらいいのかと思い悩んでいる時間が一番自分を成長させているのだと実感しています。誤解を恐れずいうなら、今の僕は診療し放題、トレーニングし放題で、もううまくなるしかないだろと自分で思います(笑)。今の仕事の環境は最高です。もしこれで診療がうまくならないなら、それは僕の努力が足りないからでしょう。こんなにも恵まれた仕事の環境を与えてくださる患者さん、当院のスタッフ、当院に関わる方々に心から感謝したいです。なんかホームページに書いてある文章と同じようなことになってしまいました。違う種類のいろんなことを考えてるはずなのに、いつも結論はここに行きついてしまいます。お粗末様でした。

2015年7月3日金曜日

本当の自分はどう思っているのか

MLBのトロント・ブルージェイズの川崎宗則選手の本、「逆境を笑え」を読みました。2012年にそれまでの実績や立場を捨ててメジャーに移籍するときに「誰でもない僕の人生だから」と発言されたことを知ったときから、僕は勝手に大好きになって、テレビやメディアで動向に注目していました。

川崎選手の元気さと辛い気持ちが生で伝わってきて、すごく興奮しながら一気に読めました。素晴らしい言葉が並んでいたのですが、中でも僕の中にすっと入ってきたのはこんな言葉でした。

「歳を重ねて、自分を見つめる時間が増えてくると、本当の自分はどう思っているんだろうと考えるようになる。そういうことを考え始めると、他人のことよりも自分のことが気になるようになってくる。そうなれたらしめたもの。少しだけ楽になれる」

人は他人が期待している答えを言いたくなるものです。こう答えた方が納得してくれるかな、喜んでくれるかなとか。でもそれを言いながら、違和感を覚えている自分。小児科医をしていた30歳まで、そんなことをずっとしていた気がします。そして精神科医になってから、それをやめて自分が本当に思っていることは何なのかに向き合うことにしました。ずっと思ってきたそのことを言葉で表現してくれたのが川崎選手のこの言葉でした。本当の自分はどう思っているのか。何か判断に迷った時は自分に聞く。

でも自分に聞くって実はそんなに簡単なことじゃない。自分に聞くことためにはじっと考えるためのエネルギーがいるし、考えてもすぐには答えが出なくて時間がかかることがある。自分に聞いてるのに、時間がかかるって不思議ですけど、どうもそうみたいです。自分が本当はどう思っているのかを知るためには時間、出会い、タイミングなどいろんなものが必要です。

もしかしたら、自分にちゃんと聞かない人は自分が思うような人生を生きるのは難しいかもしれない。なぜなら自分が本当に望んでいることが不明確なまま時間は過ぎて、前に進むことになるわけですから、自分が想像していたものとは違う人生になっていく。本気で自分に向き合うことって、しんどいことですから。逆に本気で自分と向き合って、自分の本当の思いが明確になれば生きることが楽になるかもしれませんね。

誰でもない僕の人生だから。この言葉に川崎選手の生き方、考え方が集約されている気がしてなりません。

2015年6月27日土曜日

コントロールできないことは気にしない

アスリートの人たちのお話が興味深くて、よく本や新聞で参考にしています。アスリートの人たちはスポーツや競技で結果を出すという目標がはっきりしている上に、トレーニング、自己管理の方法について公開してくれます。

松井秀喜さんの「コントロールできないことは気にしない」という言葉があります。マスコミの報道が気にならないかという質問に、「気になりません。記者が書く内容は僕にはコントロールできないですから」と答えたそうです。これはきっと相手の投手やチームの状態、その日の天候など、自分でコントロールができないことにはエネルギーを使わないで、そのエネルギーをバッティングや体調管理などに使うということなのでしょう。人は自分を変えるより、他の人や環境に変わるように望んでしまう。つまり誰かのせいにしてしまう。これは僕自身がそう考えてきたから、余計にそう感じているのかもしれません。

僕には診察前までの患者さんの状態はコントロールできません。もしコントロールできるとすれば、ホームページ、ブログ、予約の電話での対応だけです。当然、松井秀喜さんの言葉通り、他の人の僕への評価はコントロールできません。

心理療法を行った際に、何が治療にとって有効だったのかという研究をしている人がいます。その中で偶然の出来事、患者さんの能力など治療外の要因とされるものが87%であるという報告があります(何をもって心理療法の効果なのかとするのが議論が分かれるところかなとは思いますが)。ただ、僕も自分の実感として、偶然の出来事でよくなられる方が多いのは同じです。あまりにこのことを考えすぎて、自分は何も役に立ってないなと、一人でへこんでいる時期もありました。でも今考えると、治療のすべてを自分が担っているのかと思わせるような、すごく傲岸不遜な考えですよね。そんなこと、あるはずないのに。

自分がコントロールできることに集中して、コントロールできないことは気にしない。大変勉強になるし、自分への癒しにもなる言葉ですね。

2015年6月24日水曜日

大学院生に感謝

僕は診察のときに、看護師や心理士についてもらうようにしています。ついていただく理由は物理的な安全という意味だけでなく、僕にとっても患者さんにとっても閉鎖的な空間を作らないことが多くの意味で安全であると考えるからです。

そしてもう一つの大きな理由が院内でケースカンファレンス(患者さんの治療方針についてディスカッションすること)をするときに実際の患者さんを見ているスタッフがいるので話がしやすいということです。僕は自分の治療がうまくいかない患者さんについて定期的に僕が尊敬している先生2人に指導を受けていますが、このケースカンファレンスもすごくいい頭のトレーニングになります。精神科医になったばかりの何も自分に技術がないときは当てずっぽうに話をして、自分の軸になるものがありませんでした。まさに暗中模索という状態です。それが今は勉強している3つの治療法を始めてからは、このケースカンファレンスの時間にいろんなアイデアが浮かんでくるようになりました。僕はケースカンファレンスのときの自分の発言は自分の実力を示していると考えています。

さらに今年4月から龍谷大学の大学院生が実習生として来てくれているので、一緒にみているケースについて毎週一緒にディスカッションします。すると、大学院生の指導のはずなのに、僕自身がすごく勉強になるんです(もちろん大学院生が優秀というのもあります)。今の僕にとってこの時間もすごく楽しみな時間になっています。大学からの要請でしているはずなのに、僕のほうが勉強させてもらって、龍谷大学、教授の東豊先生、そして大学院生にお礼を言いたいです。ありがとうございます。

2015年6月21日日曜日

ゾーン

先日のスイッチインタビューで、テニスの松岡修造さんがいわゆる「ゾーン」の話をされていました。すごく興味深いお話でした。

松岡さんいわく、「ゾーン」とは超集中状態で、時間がゆっくり流れて、何をしてもできて、落ち着いていて、焦らないで、来なさいと思える。短く言えば、あるがままでいればいい無我の境地だそうです。「ゾーン」に入ると何となくわかって、いい状態に入れるけど、そこで勝つことを意識したり、やってやろうと思うと、「ゾーン」がぽんと逃げてしまうそうです。なので、いかに「ゾーン」を自分がつかんでいられるかが大切であるとのこと。さらにすごいのが、テニスは相手がいる競技なので、そのゾーンを相手が持っている場合にはそれを崩しに行くなどの駆け引きがあるという話まででてきました。レベルが高すぎて感服しました。

最近、「ゾーン」という言葉はアスリートの人たちに対してよく使われていますが、これは何もアスリートだけではないと思います。何かにすごく集中することを繰り返して、試合のような集中する極限の状態を作れば誰にも起こり得ることだと思います。きっと精神科医や心理士の先生の中にもこの状態で治療をされている人がいるでしょう。治療でゾーンに入ることができれば、あらゆる治療が可能になるのではないかと想像します。なぜなら精神科医にとって診療は試合ですから。

「黙って座れば、ぴたりと当たる」の江戸時代の観相師、水野南北ではないですが、患者さんが目の前に座っただけで、その人の状態が把握できて、必要な治療ができる。そんな精神科医になりたいです。


2015年6月18日木曜日

自分の価値観を持たないと楽になる

システムズアプローチという治療法を勉強しています。その中で学んだ大きなことの一つは価値観を持たないという見方です。

初めてお会いした患者さんのことを瞬間的に嫌だなあと感じれば、その瞬間で治療はしにくくなります。その理由はたとえばこのようなものです。

1. 治療する側の自分の視野が狭くなる(つまり俯瞰できなくなる)
2. 患者さんの状態を客観的に見られなくなる
3. 患者さんのいいところが見えなくなる

一言で言えば、治療する側が冷静でなくなるということです。これは治療にとってすごく邪魔になります。話を聞きながらも、「この人のこの態度、いやだなあ」、「問題の犯人はこの人のお母さんだな」とか思っているようでは、治療に集中できない上に、どんどん自分の視野が狭まっていきます。逆に言えば、価値観を持たずにいれば、これらの3つすべてが逆転し、

1. 治療する側の視野が広くなる
2. その人の状態を客観的に見られるようになる
3. その人のいいところが見えるようになる

問題を解決することだけに集中できるわけです。

僕は価値観を持たないということは、患者さんのことを自分の善悪の評価では見ないことだと理解しています。これは治療する僕自身を助けてくれます。価値観を持たないことを意識するようになってから、正直、僕は楽になりました。それは治療だけではなく、完全ではないですが、日々の日常生活も楽になりました。虚心坦懐とはよく言ったものです。虚心でいることが自分自身の心を穏やかにして、生きやすくしてくれるということに今更ながら気付かされました。

2015年6月14日日曜日

どう対応していいかわからないから疲れる

精神科医以外の人とお会いして仕事の話になると「人の話を1日中聴いてると、疲れるでしょう」とこんなやさしい声をかけていただけることがあります。でも、僕としてはこのやさしいお言葉で、人の話を聴くということで自分は疲れているのだろうかという違和感がありました。

みなさんも、日常的に人の相談を受けるということがあると思います。相談を受けた後に、ぐっと疲れませんか?一生懸命に聴けば聴くほど疲れは大きい。これはなぜでしょうか?

今の現時点の僕の答えはこうです。それは人の話を聴くこと自体が疲れるのではなく、その相談内容に対してどう対応していいのかわからないから疲れるのです。人と楽しい話だけをしているときはほとんど疲れません。でも一般的に人は相談を受けると、それを解決策を考えて欲しいというメッセージだと受け取り、その解決策を一生懸命に考えます。そのときのエネルギー消費が大きいわけです。少し蛇足ですが、実際は相談している側は解決策を求めていない、ただ聴いてほしいのだという場合もあります。これは女性が男性に相談事をする場合によくテーマになる部分ですね。そこはしっかりとその人のニーズをこちらがキャッチしなくてはいけません。

相談を聴いて、その対応を考える場合、大きく分けて2つのパターンがあります。どうしたらいいのかがだいたい見える場合、全然何も思いつかず内心どうしていいのかわからない場合。当たり前ですね。答えが見えるか見えないかということです。前者の場合は相談されてもそれほど疲れません。でも後者の場合はすごく疲れます。つまり、話を聴くことが疲れるのではなく、自分がどうしていいのかわからないともがく時間が疲れを生むわけです。それでいくと、対応が浮かんで、それが相手に入れば、疲れない。そう考えると、僕は相談を受けることが生業ですので、自分が相談を聴いたときに、疲れないため、いわば楽をするために勉強する。やりがい、好奇心など少し無理をして(これも本当なので)挙げようとすればいくらでもありますが、僕が勉強する究極の理由はそれです。改めて、所詮自分はそんな程度なんだと我に返ります。かなり自分に正直な僕をお許しください(笑)

2015年6月10日水曜日

上司がいなくても大丈夫

開業して1年が過ぎた時のブログに、「僕には直接的な上司がいなくなった」と書きました。一般的に上司がいないということは僕のことを監督したり、注意したり、助言してくれる人がいないということです。このことをもう一度考え直してみました。確かに上司はいませんが、僕には患者さんがいたんです。患者さんは僕にとってはクライアント、顧客、お客さんです。その患者さんが何を感じているのかを考えていくことで、自ずと自分がすべきこと、その方向性を示してくれていることに気づきました。

つまり、患者さんのあらゆるリアクションは僕に示唆を与えてくれるわけです。どうすれば患者さんを治せるのか、どうすれば患者さんが喜んでくれるのか、どうすれば患者さんにとって心地いいのか、どうすれば患者さんに不満をもたせてしまうのか、不満をもたせてしまった場合にはどうすればそれを軽減できるのか。すべて患者さんのリアクションから僕が感じ取って、それを元に考えて、勉強していく。そうしていると自分が進むべき方向性までもが見えてくる。毎日そんな方々にお会いできるなんて、よく考えてみると幸せすぎますね(笑)。

上司や先輩、偉い指導者が必要なんじゃなくて、自分がクライアントである患者さんに向き合うことがもっとも重要であることに気づきました。

偉い先生方がよくこんなことを言われます。

「あの患者さんに出会ってから、自分の人生が変わった」

そんな先人たちのお話を思い出します。

2015年6月8日月曜日

初対面なのに笑顔で来てくださる患者さん

初診で初めてお会いしているはずなのに、いきなり笑顔で挨拶してくださる患者さんやご家族にお会いします。当初、内心では笑顔だから、やりやすいなと思う反面、何かあったのかなと不思議な気持ちでいました。それで後からいろいろお聞きして、ホームページやブログを丁寧に読んで来られていることを知りました。正直、初対面(初診)ということは何らかの問題を持たれて、来院されるわけですから、笑顔でお会いするのは難しいはずなんです。それなのに、笑顔できていただけるわけですから、僕たちとしては感謝としか言いようがありません。

僕は初めてお会いする患者さんとは、いつも心の中で「まずは仲良くなりたいな」と思っています。なぜなら、仲良くなれるかどうかで、その後に診療の流れ、治療の効果が変わってくるからです。この関係が築けないと、そのあとの診療は針のむしろ状態で苦しくなります。もちろん、途中で急に関係がよくなったり、治せたりして、大逆転というのもあります。ただ、これはそれほど多くはないし、しかも相当なエネルギーと技術を要します。患者さんと医者は基本的に病気を治すということで、目指しているゴールは同じはずです。そのためにはお互いが協力関係を持ちたいはずです。それがうまく築けないというのは、多くの場合は医療者側に問題があると考えます(もちろん、例外は否定できませんが)。

来院前に当院と直接患者さんやご家族が接する機会としてはホームページ、ブログ、そして予約の時の受付スタッフの電話での対応です。この3つの質を高めていくことが、患者さんやご家族がいかに楽な気持ちで受診できるのかの鍵になると考えています。初めて来られるときに、笑顔まではいかないまでも、少しでも楽な気持ちで来院していただけるよう、今後もスタッフ全員で精進していきたいと思います。

2015年6月3日水曜日

自分で感じたものしか信じない

今の世の中に生きていると、人は有名人の言葉や活字になったものを信じる傾向にあると思っています。それは情報やメディアが作り出したこの構造の中で生かされていると言えるかもしれません。それがあまりに度が過ぎると、芸能人の行くレストランがたちまち人気店になるなんてことが起こる。もちろん、その芸能人は料理に詳しいわけでもなく、食の専門家でもありません。あくまで一個人の趣向です。

作家の瀬戸内寂聴さんがインタビューの中でこんなことを述べられていました。

「私は戦争に負けた後で、人の言うことを鵜呑みにしたらダメだ、自分が経験して、手で触って、温かさも滑らかさも自分で感じたものしか信じないと誓いました。それが自分にとって、戦後の最も大きな革命でした」

以前にも書きましたが、僕は本を読んでこの人はすごいなという方にはできるだけ直接会いに行くようにしています。また、偉いとされている人、すごい肩書きを持っている人、いわゆるすごいスペックを持ってる人にもお会いします。でも、実際会ってみて、この人は本物だなと思えることは半分もありません(もちろん僕の本物を見抜く能力が低すぎるというのもあるでしょう笑)。「あれ、この人何か違うな」と思うことが多い。正直、その時は内心ショックです。それまでの自分の想像と現実の感覚が違うから。そこで僕が思ったのは肩書き、学歴、スペック、うわさは大事ではない。本当に大切なのは自分自身の感覚です。

逆に言うと、自分の感覚を磨いておかないと、周囲に翻弄されたり、人を見誤ったり、道を間違えるのだと思います。もちろんですが、こういう僕もたくさん間違います。すみません、なのでブログにこう書きながら、いつも自分に言い聞かせています(笑)。

自分で感じたことしか信じない。

2015年5月29日金曜日

発達障害の子のかんしゃくで、最初に確認すること

発達障害の子のかんしゃくをどうしたらいいのか。本当によく聞かれます。そのときに僕が大切にしていることは本人の不快感を取り除くことです。具体的には大きく分けて2つです。

まず1つ目は身体のケアです。自閉症を含めた発達障害の子たちによく見られる身体的な症状があります。消化器症状(下痢、嘔吐、便秘)、アレルギー(アトピー、喘息)、睡眠障害(不眠、浅眠)、感覚過敏、けいれん性疾患(てんかん、よく見ないと発作とわからないものもあります)などです。このときに注意したいのはこれらの症状は一見して軽視されることがあるということです。見た目に少しの便秘、咳、アトピーだと、長期的になると日常的には本人や家族もあまり気が付かないこともあります。さらに、本人がうまく言葉で表現できないというのも重なるのかもしれません。なので、これらの身体症状については必ず確認するようにしています(必要であれば小児科受診も)。僕は身体症状が改善することでかんしゃくやイライラが改善したケースを何度も経験しました。

2つ目は環境、特に本人への刺激を減らすことです。いわゆる五感。つまり音、光、感触、匂い、食事です。大きな音はないか、ゲームのような刺激の強いものに長く触れていないか、本人が触れているソファやベッドはどうか、食事の内容はどうか(食感、食物アレルギーなど)、気温や湿度はどうか、などです。これらを注意深く観察することで、本人の不快感の原因を見つけられることがあります。

これらを観察してから、本人の行動、周囲のかかわりなど、行動分析的な見方を始めます。それでもまだイライラやかんしゃくがある場合にはお薬(抗精神病薬、漢方薬)を出すことにしています。もちろん、薬が劇的に効くことも多いです。

発達障害のお子さんのかんしゃくで困られている場合にはこの2つをぜひ確認してみてあげてください。

2015年5月25日月曜日

リスクを取る人と取らない人

僕は最近、NHKの知恵泉という番組をよく見ます。経営者をゲストに呼んで、歴史上の人物の考え方を紐解いてもらう番組です。すごく勉強になり、興味深い番組です。

先日はUSJのマーケターの森岡毅さんが出ていました。その中で一番印象的だったのは「リスクを取る人と取らない人とでは10年、20年と時間が経つと、実力にものすごい差がつく」というお話でした。つまり、厳しいところに自分の身を置いていくことが実力を伸ばすことにつながるのだと理解しました。今まで自分が思ってきたことと同じことをおっしゃってるなと思うと、やっぱりそうなんだとうれしくなりました。

僕はしんどいこと、きびしいことが嫌いです。でも実力がつくとか成長するとかいう言葉に弱くて、しんどいことにふらふらと足を突っ込んでいくことがあります。実際に足を突っ込んでみると「なんでこんなにしんどいことを選んだんだろ」と後悔することも多くて、途中で投げ出すこともあります。でもそれに耐えていると、今まで見られなかった世界が見えてきて、人や学びに出会い、そこから次の新しい道が開けることがありました。これから10年後、20年後を見据えて、できるだけリスクを取っていきたいです。

2015年5月22日金曜日

診断せずとも治療はできる

医学教育では多くの場合、診断していくというのを最初の目標にしています。それは診断して、それに合わせた治療法というのを決めているからです。いわゆるガイドラインというものです。精神科の教科書も病名、症状、診断基準、鑑別診断、必要な検査、治療法という流れで書かれています。つまり教科書のほとんどのページは診断に割かれており、肝心の治療は少しだけ。診断が重視されているわけです。

でも僕は小児科医時代、そして精神科医になってからも、これに疑問を感じていました。診断はしたはいいけど、治療法はこれだけです、ということになる。この壁にぶつかって心底の違和感を覚えた人がその病気の原因や治療法を探すために研究者になっていくのだろうとも思います。

精神科の中でも診断基準は決まっているのに、治療法が決まっていないものがたくさんあります。発達障害、人格障害、摂食障害、依存症など、どれも治療が難しいと言われるものばかりです。

そう考えると、今の医学では診断名から治療法へという流れだと行き詰まる(器質的疾患などの一部を除いて)。ならば診断名に関わらず、治療できる方法のほうがいいですよね。僕の知る範囲でも、診断名に関わらず治療できる精神療法や心理療法は複数あります。おそらく大切なのは診断よりも、状態の把握です。木を見て森を見ずではありませんが、状態を把握すれば、発達障害や人格障害でも、今の現在の状態よりはよくすることはできます。

医者は患者さんに出会ったとき、この人はどの診断になるのかなという目が働くように教育されています。でもそんなことより、状態を把握して今よりも状態をよくするにはどうしたらいいのかという発想をするほうが患者さんのニーズに応えることになるのではないでしょうか。僕はそんなことを精神療法を学ぶ中で知りました。状態をよくする手段として薬物療法、手術、リハビリ、精神療法、その他の多くの治療法があるのでしょう。このうちどの武器をその医者が持っているのかということです。

きっと患者さんやご家族の多くは診断を望んでいるのではなく「しんどいことをわかってほしい、今よりも楽になりたい、そして治して欲しい」。これではないでしょうか。

2015年5月19日火曜日

子供だからこそ話を聞いてくれる

人は自分の常識や考えを人に伝えたくなる生き物のようです。

他の人を見たとき、「これは違うだろう」と思ったら、自分から見たその人の違うところを一生懸命に指摘して、自分がよかれと思う方向に持って行こうと説得したくなる。その対象が自分の子供であれば、その気持ちはより強くなるでしょう。自分の経験からすると、危なっかしくて見ていられない。それが親の気持ちなのかもしれません。

僕は子供から大人まで、毎日多くの人に出会いますが、僕自身の価値観に照らしてみると、「これは違うかな」と思う方に出会います。でもそれを大人の方に押し付けるというのは違う気がしますし、押し付けたところで当事者であるその方は納得しません。日々の臨床を通して、自分の価値観を押し付けることのちっぽけさを痛感します。僕個人の人生観なんてどうでもいい。

ただ、僕はたまたま子供に接するチャンスがすごく多い。子供たちはどんな環境で育ってきても、大人に比べて、素直で純粋です。つまりこちらが話をしても曲解されることが少ない。すると、僕がその子のためになると思って正論を話すと、翌週にはちゃんと行動を改めてくれる子たちがいます。

「鉄は熱いうちに打て」とはよく言ったものです。

年齢が幼いと、僕たちが伝える大人としての価値観が入りやすい。良し悪しはあるにしても、柔軟であることに変わりはありません。逆に、大切だと思うことを伝えるのが遅くなると、こちらが大切だと思う話は入りにくくなる。

大人になるといろんな技術を使って、話をうまく持っていかないと聞いてもらえないのに、子供だと「今日からは大好きなお母さんの言うことを聞いてね」というだけで、問題行動がなくなることをよく経験します。人としての純粋な部分にいつでも触れられる、児童精神科の醍醐味なのかもしれません。

子どもたちに接する人たちの言葉はそのままその子の心に刻まれる可能性が高い。真っ白なキャンバスである子どものこころにどんな絵を描くのか、それをちゃんと考えて発言しているのか。それが子供に関わる人が考えるべき最も大切なことのように思えます。

成功体験を振り返る

僕は行動療法、システムズアプローチ、ソリューション・フォーカスト・アプローチという3つの治療法を勉強しています。この3つを勉強していてつくづく感じることがありました。

それは僕が治療をしていて、よくなられる患者さんには共通点があり、その理由をこれらの3つの治療法は説明してくれていたんです。

・患者さんの話を上っ面ではなく、具体的に聞いていること
・患者さんが辛いところをしっかりと労えていること
・患者さんとの関係が良好であること
・大きな変化ではなく、小さな変化を狙えていること
・少し距離を置いてみれていること
・患者さんの本当のニーズをしっかり把握できていること
・治療の目標が明確にできて、それを患者さんと共有できていること

こう書くと、一見単純で当たり前に見えることですが、これらを少し理解できたなと今思えます。でも、もっと大切なことはこれらを患者さんを前にして実践できているのかということ。これを僕は今、日々自分自身でトレーニングしています。

さきほどの「一見単純で当たり前に見える」というところですが、物事の本質はいつもシンプルで、一見当たり前に見えるものが多いのではないかと思っています。それらを理解した上で、自分の人生や日常生活の中で実践できてはじめて、その本質がわかったと言えるのでしょうね。

閑話休題。

逆に、振り返ってみると僕が今まで患者さんをよくできなかったのは上のいずれかができていない場合です。

昔、師匠の山上先生に言われたことを思い出します。

「失敗した経験を振り返ることも大事だけど、それよりも自分がうまくいった患者さんのことをよく振り返りなさい」

この言葉がまた今になって、また身にしみています。日本という国に暮らしていると反省することが美徳みたいになります。でもいくら反省してもうまくいかないことがあります。そんなときご自身の成功体験を具に振り返ってみてください。成功したときにただ喜ぶのではなく、次もまた成功するためには、そのときなぜうまくいったのかをよく振り返ることで、次に何をすべきかが見えてくる気がします。それはほかの人から見ると、一見全く違うものに見えるかもしれませんが、成功した理由をしっかりとつかめている本人には同じことなのかもしれません。

2015年5月16日土曜日

第三者だから言える

診察の中で僕がお子さんへの対応の提案をすると、「ああ、なるほど、先生みたいにそう言えたらいいんですね」とよく言われます。

我が子のいいところを見てあげたい、褒めてあげたいのに、子供のことを叱ってしまう。叱ったあとに自己嫌悪に陥る。これでよかったのかな、また叱ってしまった。多くの親御さんが思うことだと思います。

我が子の嫌なところが目について叱ってしまう。これは当たり前だと思うんです。「先生は子供の心理をわかっているから、先生のお子さんにはちゃんと声かけができてるんでしょう」みたいなことを言われます。正直、こどもの心理なんてわかっていません。もっと言えば、僕は神様じゃないんで、人の心理なんてわかりません。僕も自分の子供には小言をいって、「また同じことをしてんのか、何やってんねん!」と叱っています。逆に、愛する我が子にどこまでも冷静な親ってちょっとどうかと思います(笑)。

僕は子供への対応について考えて、それをお話しすることを生業にしているので、自分なりに日々考えて、トレーニングはしています。でもそれは第三者としての僕が診療の中で少し距離を置いたところから見て言えることです。僕の人格とか能力とかそんなものは何の関係もありません。誤解を恐れず言えば、プロだから。それだけです。

なので、我が子を叱ったあとに自分を責めないでほしいです。自分が冷静な判断ができていなかったという認識があるだけすごい内省の能力です。今の自分の対応でいいのかなと思ったときに第三者である医療機関や子供に関わる機関に相談されることで、また少し違った見方を感じてもらえればいいんです。そのために僕たちがいるわけですから。

2015年5月13日水曜日

自分への刺激が少ない時間を持つ

僕は今、週5日間診療しています。僕にとって診療は試合に出るようなイメージです。そこでのパフォーマンスが明日以降の僕の生活、気持ち、大げさに言えば人生に影響すると考えています。

仕事の日は朝から夕方まですごく刺激的です(笑)。頭のモーターをフル回転させて、仕事の直後はモーターの回転数が多いままなので、そのモーターがゆっくりと回転するまでに少し時間がかかります。正直、刺激の量では勤務医をしているときと今とでは比較になりません。頭への刺激があまりに多い。なので僕はアクション映画や見ていてしんどくなるテレビ番組は見ません。普段の実生活で刺激を受けすぎているから、そこまでして刺激を受けたくない(笑)。

しかも、僕は何もせずにぼーっとするのが苦手なので、仕事のあとや休みの日にも本を読む、録画したテレビを見る、運動する、物を考える、人に会う、外出するなどをしてしまいます。そんな自分の性格に嫌気がさす時もあります。僕のようなこんな生き方をしている人も多いのではないでしょうか?

そんなとき、一つのことに気づきました。僕の頭は刺激を受けている時間が長すぎる。なので、刺激の少ない時間を作るべきだと思ったんです。そのために睡眠を多く取る、自然を見る、一人になる、考え事はせずぼーっとする、ゆったりとした音楽を聴くなどの時間を持つ(当院のHPの写真を海にしたのも南の島をみると僕自身の気持ちが楽になるので、HPを見られる方の気持ちが楽になればと思い、海の写真にしてもらいました)。

もし僕みたいな方がおられたら、少しでいいのでぜひ頭への刺激が少ない時間を意識して作ってみてくださいね。

2015年5月11日月曜日

さらに発達を伸ばすために

発達の遅れがあると、発達を伸ばすために療育を受けるというのが通常です。しかし、その療育は施設や機関によって玉石混交というのが僕の印象です。

そこで僕は開業するまでに療育としてしっかりしたものはないのかと探して、見つけたのが現在当院で発達障害の子たちに行っているABA(Applied Behavior Analysis、応用行動分析)でした。ABAは効果がはっきりしており、体系化されているため、親御さんの協力さえ得られれば、効果の差さえあれ、今までできなかった言葉を含めた日常生活で必要な動作を着実にできるようにしてくれます。またABAの考え方は健常の子であっても、育児に悩む親御さんに方向性を示してくれます。

僕はその後も発達障害の子たちが抱える問題、ご家族の悩みをさらに改善できる方法を探していたところRDI(Relationship Development Intervention、対人関係発達指導法)を見つけて、昨日当院の心理士の木村先生と一緒に勉強に行ってきました。

これは自閉症の子たちの本質的な問題である社会性、状況に合わせた対応、人間的な情緒交流をできるようにするための方法です。RDIでは健常の赤ちゃんがどのような段階を経て、成長するのかを細かく分析したものをモデルに、それらがまだできていない自閉症の子供の親御さんに丁寧に指導していくものです。

僕の拙い理解の中で、ごく簡単にそのステップを説明するとすれば、

①まずは親御さんの心をある程度まで健康にし、時間的余裕を保つ
②子供の身体的な健康(睡眠、食事、排泄、免疫機能、アレルギー、てんかん、注意、集中、行動のコントロール)を整える
③子供の生活環境をシンプルにして、本人にとって生活の負担を減らし(ABAなどの療育)、刺激の少ない状況にする
④親御さんと本人との間でガイド関係(愛着、信頼関係)を作る
⑤マニュアルに則って、定型発達の過程のやり直し(育て直し)を行う

となります。

そして何よりもRDIが目指しているのは成人後に就労、社会貢献、友人関係、結婚など健常の人たちがしていることをできるようにすることです。何よりも印象的だったのは「福祉を受ける人ではなく、納税ができる人にする」という言葉でした。つまり自閉症と付き合うのではなく、自閉症を治すという観点に立っているのです。

RDIを正式に行うにはアメリカで研修、課題、試験をクリアしなければならず、さらにご家庭の状況を含めた様々な条件をクリアしなければならないため、実際のRDIは行うことが困難です。しかし、子供の身体的、精神的状態をまずは健康にしていくこと、親子の愛着を大切にすること、健常の子たちが経てきた過程を自閉症の子たちにも徐々に経てもらうというごく自然な考え方はすっと入ってきますし、とても勉強になりました。RDIについてさらに勉強を深めて日々の診療、ABA、カウセリングに生かすつもりです。そして何よりも、まずは親御さんの心の健康が大切であるという僕がこれまで臨床の中でずっと感じてきたことを再確認できたことは大変自信になりました。

2015年5月7日木曜日

人生は運をどれだけ貯められるかの勝負

僕は萩本欽一さんの「ダメなときほど運はたまる」という本に出会ってから、萩本欽一さんが大好きになりました。この本の中には以下のような言葉が並んでいます。

失敗は運の定期預金
仕返しすると運は消えていく
がっつくと運が逃げていく
お金は汗水たらして稼ぐもの
過分なご褒美はもらわない
人との付き合いは損から入る

そして何冊かある同じシリーズの本で、最終的に書いてあったことは、「人生って結局運をどれだけ貯められるかという勝負なんです。だから他の勝負で勝とうなんて思わなくていい」

僕たちが生きている中で、人生訓みたいな言葉を日常的に聞きますが、それを総括してくれているように思います。例えば、上の言葉を今までたくさんの人から聞いてきた解釈に直すと、

失敗は運の定期預金→失敗は成功のもと
仕返しすると運は消えていく→人に仕返しをしないほうがいい
がっつくと運が逃げていく→欲をかきすぎないほうがいい
お金は汗水たらして稼ぐもの→楽をしてお金儲けをしてはいけない
過分なご褒美はもらわない→身の丈以上の報酬はもらわないほうがいい
人との付き合いは損から入る→まずは自分が人に与える

このようになりました。煩悩のかたまりである僕は自分がしている行動とこれらの人生訓が解離しているとき、すごくもやもやしていました。それらを、萩本欽一さんの言葉が生きる上で一つの公式にまとめてくれた気がして、すごく楽になりました。

聖人君主ではないので、きれいな行動だけでは済まないときもありますが、基本的には自分に運がたまる方向に進むにはどう行動すればいいのか。シンプルにこれだけを考えれば、日々の自分の行動が見えてくる気がします。

2015年5月1日金曜日

ホームページをリニューアルしました。

去年8月の開業からまだ2年弱ですが、ホームページをリニューアルしました。

http://child-mental.com/

当院に来てくださる方のほとんどはホームページを見て、来院されます。開業してから改めて、ホームページの大切さを感じています。そこで、それなら来院前から患者さんが癒されるようなホームページがあればいいなと考え、開業前からずっとお世話になっている方にお願いして、全面的に作り直していただきました。シンプルで見た人が癒されるようにという僕の意図したところをしっかり感じ取ってくれて、それを反映させてくださいました。

僕は開業時を除いて、ホームページ以外には一切広告費を使っていません。もちろん、経費節減というのもありますが、僕の理想は「声なくして人を呼ぶ」です(ホームページがあるのでそこまでは行きませんが(笑))。つまり、大声を上げて宣伝しなくても、毎日、目の前の患者さんにしっかりと結果を残せるように診療すれば、自然と患者さんは来てくれると信じているからです。自分の実力以上のことはできるわけはありませんから、自分を大きく見せるつもりもありません。

ホームページには僕が今まで考えてきたことを散りばめてもらいました。当院のホームページを見た時から、その方の癒しになり、治療になればいいな。そんな思いを込めて、ホームページをリニューアルしました。ご覧ください。

2015年4月29日水曜日

無駄をなくす

財津和夫さんのコンサートに行ってきました。財津和夫さんといえば、チューリップですね。歌手デビューして45年だそうです。開業して1年そこらの僕にはその年数を続けてこられ、今も活躍されているというだけで、本当に尊敬します。

財津和夫さんのコンサートは予想どおり、平均年齢は僕よりもだいぶお兄さん、お姉さんの世代でした(笑)。始まって1時間が過ぎた頃に、財津さんが出て行かれるので、なぜかなと思うと、自動的に電気がついて、観客の皆さんも当たり前のようにどんどん出て行かれました。その後、「15分間の休憩に入ります」というアナウンス。なるほど、休憩なんですね。コンサートで休憩があるのは僕自身、初めてでした。

もちろん、僕は財津さんの歌、歌声が好きで、聴きに行ったのですが、その中でこんな話がありました。財津さんはコマーシャルソングをたくさん書かれたそうです。コマーシャルは基本、15秒で観ている人の気持ちを掴まないといけないため、一旦歌を作った後に、どんどん無駄を省いていく作業をするそうです。そうすると、これもいらない、あれもいらないとなり、本当に必要な部分だけを残すことになり、大変勉強になったそうです。

そのときに、自分の診察のことを思いました。長くとも10分という診察時間の中で、まだまだ無駄があるんじゃないか。もっとスマートで質の高い診察にすることができるはず。「今のこの質問、いる?」と自問自答するようになり、このコンサート以降、診察をしながら、自分の診察をつぶさに見ることを始めました。すばらしい歌だけでなく、いいお話をいただいた財津さんに感謝ですね。

2015年4月25日土曜日

患者が医者を育てる

今日もプロとして、こんなことを書いていいのかな、こんな精神科医っているのかなと思いながら綴ります。

これまでの僕は、なんらかの問題を抱えた患者さんにお会いしたときに持っている武器といえば、教科書の知識、医者という肩書き、患者さんの話を一生懸命に聞いて、その解決の方法を考える。こんなところでしょうか。これを全否定するつもりはありませんが、僕の中では自分がしていることが何かずっと嫌でした。これだけではいつも僕が思う、単なる町のおばちゃんに相談するのと変わらない。

数えてみると、僕は精神科医になって、まだ丸6年が過ぎたばかりです。未熟としか言いようのない年月ではありますが、精神科医になったばかりの時から、今も続けて僕のところに来てくださる患者さんがおられます。これまで僕はこれらの患者さんに対して内心、何の技術もないことを本当に申し訳なく思っていました(まさか診察中にそんなそぶりは出せませんし)。それが今になって改めて、通い続けてくださる患者さんたちを含め、出会ったすべての患者さんが僕を育ててくれたのだと心から感謝しています。なぜなら、それらの患者さんたちのおかげで、自分の無力さに気づき、自分がちゃんと使える治療技術を探そうと思えたからです。そして出会えたのが、今も勉強している行動療法、システムズ・アプローチ、ソリューション・フォーカス・アプローチです。もちろん、まだまだではありますが、最近になってようやくこれらが少しずつ自分の武器になってきていることを感じています。

「患者が医者を育てる」という言葉があります。恥ずかしながら、この言葉が今になってようやく身にしみます。これからも患者さんに育てていただきながら、少しでも治療ができる精神科医になりたいと思っています。今後ともよろしくお願いいたします。

2015年4月23日木曜日

発達障害の子どもたちへの関わりの先にあるもの

できたことをほめましょう、具体的に示してあげましょう、視線を合わせて指示しましょう、前もって予定を説明しておきましょう。そしてそれをご家庭だけでなく、幼稚園や学校の先生にもお伝えして、実践してもらう。発達障害に関する本にはこのようなお手本があふれています。正しいことですし、診断されたあとに、まずはしておきたい。もちろん、僕もこのような接し方の説明は診療の中でよくします。

これらの関わり方を行う目的は発達障害の子たちがこれまでできなかったことができるようになり、周囲とうまくコミュニケーションを取れて、自信を持ってもらうためです。お薬を飲んでもらう目的も同様です。この目的に異論のある方はおられないと思います。

でも発達障害の子どもたちにとって、本当に大切なことはこの先にあると僕は思っています。多くの発達障害の子どもたちに対して、これらの関わりをいつまでも周囲はしてくれません。薬についても我が子にいつまでも薬を飲んで欲しいと望む親御さんはおられないでしょう。これらの関わりは薬を減量することと同様に、徐々に丁寧な関わりを減らして、その子が自分で気付けたり、自分でできることを増やしていかなければなりません。その未来へのビジョンをもって親御さんや周囲の人が今の関わりをしているかです。漫然と同じ関わりを続ければいいというわけではないということです。程度の違いはあれ、子どもを支える梯子を一つずつはずしていき、自分で這い上がって来れる子にしてあげることが本当の意味でその子のためになるのではないでしょうか。

2015年4月17日金曜日

相談者の気持ちになりすぎない

精神科医や心理士でなくとも、人からの相談を受けることがあると思います。僕が一番よく見聞きするのは、ある人があまりにしんどそうにしていたり、かわいそうに見えるために、友人や周囲の人が全身全霊で支えようとして、「いつでも連絡してね」と言っておきながら、自傷行為や自殺の話が出てくると、途中で投げ出してしまったり、連絡を拒否したり、支えようとした人自身がうつになってしまうパターンです。これって一番してはいけないことだと考えています。

先日の新聞に公益社団常人「日本駆け込み寺」の玄秀盛さんの話がありました。新宿歌舞伎町にある駆け込み寺といういろんな問題を抱えた人の相談を受けるところを運営されています。その玄さんのインタビューにこんなくだりがありました。

「自分自身に経験があるからといって、相談者と同化しすぎてはだめ。同じように辛い経験をしてきたうちのスタッフで1日数件の相談を受けると、重たいといって落ち込む人がいる。それは相談者と同じ気持ちになろうとしすぎるから。一緒に泥沼にはまってしまう。常に一歩引いて、その人にとり何が一番良いことかを考える。時には突き放すことも必要。そのバランスが大事です」

これは人の相談を受ける仕事をしている人だけでなく、人の相談を受ける可能性のあるすべての人に言えることだと思います。あと、心理士になりたいという人の中に自分も同じような辛い思いをしたから心理士になりたいという方によくお会いします。これはもちろん素晴らしい心意気ですが、自分が辛い経験したから、その辛い経験をしている人の気持ちがわかるというのは違います。相談を受けるときに一番大切なのは「自分はその人の悩みについては知らないのだ」という前提で話を聞くこと。本当につらいことはその当事者でない限りはわかりません。

精神科医の間では「家族や知人の治療はできない」と言われます。距離が近ければ近いほど客観的な判断が困難になるからです。人から相談を受けて、これは尋常ではないなと思った時には、完全な他人である専門家にお願いすることをお勧めします。

2015年4月14日火曜日

応援よろしくは余計な一言

今年の1月にイチロー選手がマーリンズに移籍した時に言った言葉が有名になりましたね。「これからも応援よろしくお願いします、と僕は絶対に言いません。応援していただけるような選手であるために、自分がやらなければいけないことを続けていく、ということをお約束します」

僕もこの言葉に感銘を受けた一人です。それでたまたま、最近になって3年前に発売された萩本欽一さんの本を読んでいたら、全く同じようなことが書いてあったんです。それはこんな内容でした。

最近、頑張りますから応援宜しくお願いしますというスポーツ選手が多い。でも頑張るのは当たり前。自分の生活もかかっているし、ファンの人へのサービスでもある。試合を見ている人は頑張ってる選手がいたら応援したくなります。素晴らしいプレイをすれば感動しますから「すごい!」って認めるでしょ。だからプレーする前に自分から応援を頼むのはおかしい。歌手も同じ。「今度CDが出ますから買ってください」なんて言うけど、聞いた人が「これはいい」と思えば買うんだから最初から買ってと言わないのが礼儀じゃないかな。

イチロー選手はこの本を読んでいたのかなと思いました(笑)。選挙前の政治家じゃないんだから、自分から「自分を応援してください」、「これを買って下さい」なんて言うのはおかしいですよね。萩本欽一さんの言葉はいつもあまりに本質をついていて、感動します。みんなから応援してもらえるように、ただ黙って黙々と努力していくことを自分の言い聞かせたいと思いました。


2015年4月12日日曜日

心理士は心理療法だけで勝負している

精神科医にとってお話を聴く、お話をするという精神療法は最も大切な武器です。その精神療法がうまくなりたいので、いろんな勉強会に参加していますが、いつも感じることがあります。それは精神療法(心理療法)の勉強会に行くと、精神科医がほとんどいないことです。まず前提として精神科医が主催する精神療法の学会、勉強会が少ない。となると必然的に心理士さんが主催されている勉強会が多いので、医者の割合が低いのは仕方がない。しかしそれにしても、それらの勉強会に行くと、医者はほぼゼロで、僕だけというときがほとんどです。薬の勉強会には医者しかいけないというのもあるかもしれませんが、薬については皆一生懸命勉強するのに、なぜか精神療法のことを一生懸命勉強しているという先生に出会うことは本当に少ない。その点、勉強会に参加されている心理士の先生方は本当に一生懸命に講演を聞いて、そこで悩んでいることを質問しています(もちろん、その勉強会に参加してる時点でやる気のある心理士だと思いますが)。

以前、ブログで書いたように薬で目の前の患者さんの症状をよくしようと考えるのは正直、楽です。だって、その薬で症状がどうなるかを見ればいいだけですから。でも話を細かくお聞きして、そこからどうしていくのかを考えることは大変にエネルギー、時間、技術が必要になります。無論、薬がとても大きな武器であることは間違いありませんが、それだけでなんとかしようと考える精神科医が多すぎる気がします。

精神科医は精神療法、薬物療法という2つの武器を持っています。でも心理士の先生方はいろんな心理療法があるにしても、薬は使えない。なので、自分の口ひとつで勝負するわけです。心理療法だけだから、勉強会でこんなに熱心なのかなとも思います。自戒の意味も込めて、精神科医はもっと精神療法を大切にして、もっと勉強しなくてはいけないと思っています(熱心に精神療法を勉強されている精神科医の先生方、すみません)。

2015年4月7日火曜日

ちょっと背伸びをさせる

新学期が始まりますね。子どもたちに関わる仕事をしていると、新学期や夏休みなどの長期の休みは大人になっても敏感になります。新学期が始まる時に僕がよく子どもたちにかける言葉があります。

「これから2年生になるけど、どんな2年生になりたい?」みたいに、新しい学年を意識してもらう質問をします。誕生日の後にも「10歳になったらお兄ちゃんだよね」とか。さらに、僕は診察の中でその年齢に合わせた接し方をするようにしています。「もう1年生だもんね」、「中学生なんだよねー」、「20歳って大人だよね」のように。子供達はお兄ちゃん扱い、お姉ちゃん扱いなど、その年齢に合わせた接し方をすることで、自分の年齢や立場を意識するようになります。子どものときには一つ一つ歳を重ねていくことで意識が変わった経験は多くの方にあるのではないでしょうか。

子供に幼い時のままの接し方をするということは、子供の成長を妨げているのだと僕は考えています。幼稚園の年長さんが4月1日になった途端成長するわけではありません。19歳の子が20歳の誕生日を迎えた途端、大人になるわけではありません。周囲の接し方がその人をちょっと背伸びさせるわけです。そのちょっとの背伸びが大事な気がします。子どもたちにもちょっとの背伸び、させてあげてくださいね。

2015年4月4日土曜日

こんなことをどこで話せばいいの?

僕の大好きな伊集院静さんの言葉に「人はそれぞれ事情を抱えて平然と生きている」という言葉があります。

人はみんな家族、友人、知人など、知っている人には話せないことがあると思います。家族には心配させたくないし、友人や知人には知られると恥ずかしいし、どうせ理解してくれない。そんな時にだれに話せばいいのかわからず、僕のところにたどり着いてくれる人がいます。そんな患者さんが泣きながら僕に言ってくれた言葉がありました。

「こんなことを先生にお話ししてもいいのかなと思うのですが、誰にも話せなくて、ここでお話できて私はすごく救われるんです。ありがとうございます」

このお言葉には僕のほうが頭が下がりました。僕は何も特別なことをしていません。ただただお話をお聴きするだけです。

このときに僕が気づかせていただいたのは、悩んでいることを誰にも話せなくて困ってる人が大勢おられるのだということです。人はある程度人生を生きてると、他人には話せないことが誰しも起こります。周囲から見れば大したことでないにしても、その当事者であるご本人にとっては深刻であることがたくさんあります。誰にも話せない悩みを話せる場所に宋こどものこころ醫院がなれたらいいなと思います。

2015年3月30日月曜日

その方の幸せは何なのかに気づいてもらう治療法

2週間連続で週末を休診にさせていただいて、東京で解決志向ブリーフセラピーのワークショップに4日間参加してきました。

今の世の中は原因→結果(問題)という考え方が一般的になっています。僕たちはどうしてもその原因を見つけ出して、それをなんとかすれば問題が解決するだろうという考えになります。この考え方で確かにいける場合もあります。でも僕はこれでうまくいかないことがほとんどで、自分自身でもこのやり方に辟易としている部分が正直ありました。たとえば、児童精神科で一番多い、不登校という問題。不登校の本を読んで、講習会にも参加しました。でも一向によくならない。また不登校の原因を探していましたが、1つの原因だけで不登校になったり、その状態が維持されているということはまずありません。しかも原因を挙げだすと、きりがなく、それらすべて消すことは不可能に近い。つまり原因と結果の関係はそれほど単純なものではなく、複雑であり、わからない部分もたくさんあります。

解決志向ブリーフセラピーとは患者さんが問題だと感じていることにはそれほど注目せず、その方のいいところ、すでにうまくいっているところに注目するように質問をしていき、解決に向けて考えて、ご自身でよくなれるように手助けをする治療であると理解しています。

実は僕は今まで自分ではなぜよくなったのかわからない患者さんたちがたくさんおられました。それがなぜよくなったのかわからずに、それも心の中にずっとひっかかっていました。この治療法を学んで、自分が何をしてきたからよくなったのかを知ることができました(これは僕にとっては大事件です!笑)。それは僕が治すとかそんな大それたものではなく、その方が持っている資源、成功体験を明らかにして、その中で解決に向けて何ができるのかを一緒に考え、その方向に導くための質問(これがほんとに素晴らしい)を繰り返していく治療でした。まさにこれが解決志向なんです。

4日間のワークショップを通して、一番感動したのは解決志向ブリーフセラピーはその方にとっての幸せは何なのかを気づいてもらうための治療法だということです。すでに診療の中に取り入れていますが、これからどんどん診療で使わせていただき、さらにその深さを味わっていきたいと思っています。この治療法を開発された先生方、今回のワークショップをしていただいた先生方に心から感謝いたします。

2015年3月27日金曜日

人の温かさを感じたいときは

今年も非日常に出会うため、春のお遍路に行ってきました。四国をお遍路の格好をして歩いていると、地元の人からお接待を受けることがあります。みかん、ジュース、コーヒー、お菓子などの間食、お遍路さんの宿に泊まればお昼ご飯のおにぎり、あげるものがないからと1000円札をいただいたこともあります。

これだけでも都会で過ごす日々とは明らかに違う非日常ですが、このような物だけでなく、田舎に行けば道で出会う方々が話しかけてくれます。一番多いのは農作業をされている方々との会話です。「何を作ってるんですか?」と聞けば、農作物のことだけでなく、歩いてどこまで行けば何があるのか、地元でのおいしいお店まで教えてくれます。

今回は道を歩いていると、ある車が僕の前で止まりました。何かなと思って車の窓が開くのを待っていると、その車を運転していたおじさんは「次のお寺に行くまでの近道はここをまっすぐ行って、左に入るといいよ」と。都会にいると、明らかに地方から来られた人がいて道に迷っていても、道を教える人はほとんどいません。今回の場合、僕は道にはそんなに迷ってもいなかったけど、その人は僕の前で車を止めてまで僕に道を教えてくれました。さらにそのあとにそのおじさんは自分の用事を終えて、僕を追いかけてきて、「そう、そっちでいいよ」と行って、去って行きました。

僕は田舎の人がみんな温かくて、都会の人がみんな冷たいなんて思っていません。どこに行こうが温かい人と冷たい人はいます。ただ、お遍路の道をその格好をして歩いていると、人の温かみを感じやすい環境に入れることは間違いないようです。今回のようなおじさんはお遍路では決してめずらしくありません。このような方には行くたびに出会います。人の温かみを感じたいなと思われる人にはお遍路をお勧めしたいと思います。今回の写真は高知県の一番西にある宿毛市の入江の夕陽です。海の向こうはもう大分県です。本当に癒されました。

2015年3月23日月曜日

カウンセリングにも副作用はある

副作用といえば薬。しかも精神科の薬は副作用が怖いからとよく言われます。最近のニュースで子供への向精神薬の処方が増えている、それはADHDの薬の処方が増えいているからだとやっていましたね。そういう報道が増えるとそれを見る親御さんたちは「子供への薬の投与はやめてください。カウンセリングならしてもらっていいですよ」となる。診察中によく言われる言葉です。そりゃそうですよね、僕も医者じゃなかったらこんなニュースを見ればそう言いたくなります。

では、はたして、カウンセリングってそんなに安全なのでしょうか。副作用はないのでしょうか。カウンセリングの定義は様々あり、一言では言えませんが、大まかには依頼者の抱える問題・悩みなどに対して、専門的な知識や技術を用いて行われる相談援助のことです。つまり、相談ですから、カウンセラーと依頼者との間で会話が行われるわけです。人と人が会話をするのに相手を絶対に傷つけないなんてありえませんよね。カウンセラーが依頼者を言葉で傷つけて禍根を残すこともある。僕もこれまで患者さんを傷つけたことはきっと少なからずあると思います。特に精神科医や心理士という専門職から言われた言葉というのは患者さんやご家族の心に深く残ります。

なので、カウンセリングだから安全だということはありません。カウセンリグにも副作用があるのだということを念頭において、医療機関やカウンセリングルームを訪ねてみてください。気軽な気持ちでカウセリングをお願いしますと言わないことをお勧めします。そして何よりも、精神医療を提供する僕たちにも精神療法やカウンセリングは副作用があるというのを肝に銘じる必要があると思っています。

2015年3月20日金曜日

マイナス思考も悪くない

プラス思考がいい。マイナス思考、自分を否定することはやめておきましょう。僕もうつ病の患者さんを励ますときによく言う台詞です。

確かに前向きなことはいいことです。気持ちがぱっと明るくなります。僕もそんなことを思っていましたが、先日、新聞でプロゴルファーの藤田寛之さんの記事を見ました。その要諦は以下のようなものでした。


若い頃から自分を過小評価し、たたき上げて実力をつけるという考えでやってきました。社会が豊かになり過大評価がはやる時代のなかで、周りからはマイナス思考と言われましたが、自分を鍛えるためには必要だったと思います。


過小評価や、マイナス思考が批判されがちですが、マイナス思考がない限り、人の成長はないのではないかと感じました。

子供がマイナス思考にならないように自信を持たせましょう。もちろん生きていくには自信も必要でしょう。しかし今の子育ての風潮、育児書が子供の心を守る、自信を持たせるという形で偏重の傾向にあることがいつも気になります。自分の子供が自信をなくす経験、失敗する経験、マイナス思考になる経験。それを親としてみれる範囲でさせることは大切だと思います。生きていくには自信と自省のバランスが必要なのではないでしょうか。

2015年3月15日日曜日

患者さんの価値観や常識に合わせる

毎日、いろんな訴えや要望を持った新しい患者さんと出会います。はじめましてのあいさつから、その患者さんやご家族がどのようなことで来られたのかをお聞きします。お聞きしながら、この人は本当は何を望んでいるのかを考えます。

診断をはっきりさせたい、自分の寂しい気持ちを聞いてほしい、育児がこのままでいいのかという不安を解消したい、病気を治したい、セカンドオピニオンなど、多様です。いかにこれらの患者さんの望みを早く汲み取って、それに向けて頭を使う。

ここで大切なのはこちらがよかれと思うことと、その患者さんが望んでいることは違うことがあるということ。議論は分かれると思いますが、例えば、肺気腫の患者さんが医者にタバコをやめるように言われているのに、患者さんはやめない。糖尿病の患者さんが甘いものを止められているのに、甘いものを食べる。僕の場合なら、躾を受けていないお子さんが来られて、躾をしてくださいと僕がお話しても、「いや、この子がかわいいし、躾なんていらない。私は困ってない」と言われる方もいます(ただこの方も何らかの不安を抱えて来られているはずです)。以前の僕はそれでも、持論を展開して、そのお母さんを説得していました。でも最近思うのは説得はあまり意味がない。それよりも、その患者さん(クライアント)が何を望んでいるのかを正確に把握し(患者さん自身も自分のニーズを把握していないことも多い)、それに合わせて、社会的に間違ったことでなければ、こちらがそれに合わせていく。はっきり言えば、僕の意見なんてどうでもいい。もちろん、中には医者の意見、判断に任せると言われる方もいます。一番困るのは医者の意見を聞きたいと言いながら、それをお答えしたら、その人のお考えに合わず、受け入れていただけない場合。その時はその人のお望みのことを言ってもらえるところに行っていただくしかありません。しかし、これも僕の技量不足(いや、度量不足?笑)かなと思います。

とにかく、価値観を押し付けるというのはかなり無意味だなと思うのです。僕の価値観や常識じゃなくて、その患者さんの価値観や常識に合わせて、できるだけその方のニーズにお応えする。それが大切な気がします。

2015年3月11日水曜日

勉強する理由

医者が勉強するなんて当たり前すぎて、改めて考えるまでもないなとは思いながら、長い間なんとなく頭の中で考えてきて、僕の自分勝手な一定の結論に至ったので、書いてみたいと思います。

はじめは知識がないから、患者さんに説明するために病気やその治療法の勉強を教科書的に勉強していました。もちろん、その後にも新しい知見の吸収は必要でしょう。

でもそれがある程度まで終わっても、それ以降も勉強してるのってなぜか。それは医者として患者さんを前にしたときに、その患者さんの状態をよくできないというのはこの上なくストレスだからです。僕が思う医者として一番しんどい瞬間は患者さんを治せないとき。このストレスさえなければ、毎日面白いように患者んさんをよくして、しかもそれで喜んでもらえて、僕もご飯が食べられる。なんていい仕事なんだろ、最高ですよね。なので、僕が勉強する(当たり前すぎてすみません)理由は知的欲求というのもなくはないですが、自分が仕事中にしんどくならないため、もっと言えば自分が楽をするためです。僕はいつも、診療は息を止めて潜水するみたいだなと思うのですが、治せるとこの潜水の時間はもっと短くなって、息ができるようになる。治せないと、潜水する時間は長くなるし、次回その患者さんに会うときにまた潜水しないといけないので、会うのが辛くなる。

ブリーフセラピーの東大の森先生が本の中でこんなことを書いておられました。

治療者の中に「問題行動・症状はそれなりの機能を持っている」という人がいるが、それを逃げ口上に使っている人が多すぎる。治らない患者なんていない。治せない治療者がいるだけ。治らないことを患者のせいにするなんてもってのほかです。

素晴らしすぎませんか?頭の中が本当にすっきりします。行動療法の山上先生も「若いころは治らないことを患者のせいにしていた自分が恥ずかしい」と同じようなことをおっしゃっていました。早くばんばん治せるようになって、医者という仕事が最高だなと思いたいものです。っていうか、ずっと無理だと思いますが、診療で楽したいです(笑)。

2015年3月8日日曜日

人はみんな、必ず誰かの役に立っている

詩人の吉野弘さんの詩で、「生命は」という詩があります。


生命は自分自身だけでは完結できないようつくられているらしい
花もめしべとおしべが揃っているだけでは不十分で
虫や風が訪れてめしべとおしべを仲立ちする
生命はその中に欠如を抱き
それを他者から満たしてもらうのだ
世界は多分
他者の総和

・・・(中略)

私もあるとき誰かのための虻(あぶ)だったのだろう
あなたもあるとき私のための風だったかもしれない


人はみんな、必ず誰かの役に立っているのに、みんなそれを知らない。そういう意味だと僕は解釈しました。人は辛くなると、自分の存在を否定するようになります。自分は人に迷惑ばかりかけている。自分なんていないほうがいいんじゃないか。自分は誰の役にも立っていないんじゃないか。

そんな患者さんに出会った時、この詩をお勧めしたいと思います。

2015年3月4日水曜日

おめでとうと言われることはそこからが始まり




この度、4年間の大学院の課程を経て、学位(医学博士)をいただきました。

医者になってから医学論文を読むようになり、他の人の論文を読んでいろいろ意見は言うくせに、自分は英語論文を1つも書いたことがないという違和感を自分の中に覚えました。それで大学院に行って、医学論文を書いてみたいと思っていたところ、ご縁があり、獨協医科大学大学院医学研究科でお世話になることになりました。その間、開業もありましたが、主任教授はじめ、多くの先生方のおかげで学位を取得することができました。

これまでいくつかの資格を取得し、その度に思うことですが、資格を取得するということは、決してゴールということではなく、そこからが始まりです。もっと言うなら、入学、卒業、就職、昇進、結婚など人から祝福されること、おめでとうと言われることはすべからく、そこからがスタートなのではないかと思います。その後、自分がどうしていくのかが試される。医師免許をとっても、その人は何もできません。〜専門医をとっても専門の治療などできません。資格を取ったり、昇進したりして、その立場に安住している人たちをたくさん見てきました。自戒の意味を込めて、そのあとにそれに見合う実力をつけるために努力と研鑽を続けているかが大切であると、身が引き締まる思いです。

2015年3月2日月曜日

自分の経験としっかり向き合う

新聞の記事でヤンキースの田中将大投手の言葉に出会いました。

「多少のことには動揺せず、自分が自信を持ってやれるようになるには、それまでの経験の積み重ねが全てです。一つ一つの経験に対して自分がどう対峙して、乗り越えていくか。」

同じ病院で同じように働いて、同じだけ経験しているはずなのに、実力が違う先生たちをたくさん見ました。その実力の違いは日々している経験の振り返りの時間に比例するのではないかと思います。うまくいった場合もそうでない場合にも、自分の経験一つ一つにしっかり向き合うことで、次に違うパターンに出会った時に、頭の中にある経験を分析したデータからその対処法を探すことになります。つまり、頭の中にそのデータがなければ、何も対処法は浮かんでこない。インプットがないのにアウトプットがないのと似ています。

医者の世界ではよく「卒後〜目」という単語をよく使います。僕も最初の5年くらいはそんなことを意識していました。でも、今はそんなのどうでもいい。何十年とされているベテランの先生でも「何してるの?」と思う人もいますし、卒後すぐの研修医の先生でも一つ一つの症例を大切にしてしっかり次に生かしている人もいます。

よく言われる「経験が大切」という言葉は間違ってはいませんが、ただ経験することが大切なのではなくて、その経験としっかり向き合う時間を持ったかどうかのほうが大切だと思います。

2015年2月27日金曜日

ミスをするから上達する

僕は超小柄です。体が小さくて、運動ができない。小さい頃からそれがずっと僕のコンプレックスでした。高校の体育の授業でラグビーを先生から教えてもらい、こんなにもおもしろいスポーツがあるのだと知りました。そして是非やってみたいと大学に入り、ラグビー部に入りました。でも実際は自分の弱さから4ヶ月でやめてしまいました。それでも、ラグビーへの興味は消えず、観戦だけですが、毎年冬のラグビーの季節を楽しみにしています。今、ラグビー日本代表は史上最高の世界ランキング9位まで上がり、2019年にはラグビーのW杯の日本開催が控えています。

先日のプロフェッショナルはラグビー日本代表監督のエディー・ジョーンズさん。僕は嬉々とした番組を見ました。

ラグビーの練習であえて、すべりやすくて小さなアメフトのボールを使って、選手たちにミスをさせていました。「私たちは失敗から学ぶ。人生もそう。日本の練習で一番間違っているのはミスをしないように練習していること。ノーミス、ノーミスというが、ミスするから上達するんだ」

僕も日々の診療の中でミスをしないようにと気をつけるあまり、自分自身これでいいのかなと思うことがあります。もちろん、プロなので基本的にはミスをしてはいけませんし、ミスにもいろんな種類があります。ただ、ミスを恐れるあまり、成長していないなと思うことがあります。ミスをしながらも、それをリカバーするためにもがくからこそ、成長する。ミスを恐れすぎずに、診療に向き合いたいと思います。

2015年2月23日月曜日

荷物を置くカウンターを設置しました


これまで患者さんからの要望で多かった受付時に荷物を置くためのカウンターを設置しました。僕自身、お店やホテルを利用するときに少し荷物を置く場所があると、それだけでちょっとほっとする感覚がありました。

内装については大幅な変更が難しいところもありますが、できるだけ通院される患者さんが少しでも気持ちよくご利用いただけるように常に刷新していきたいと思っています。

今後とも、お褒めの言葉とともに、ご要望もいただきますようお願いいたします(笑)

2015年2月20日金曜日

地獄を見てこい

今年、京大から初のプロ野球選手となった田中英祐投手。田中投手は大企業へは就職せず、プロ野球に進みたいという意思をお父さんに伝えたとき、お父さんはその選択でいいのかという意思の確認をしたあとに、息子がプロで通用しない、挫折するだろうとは思いながらも「地獄を見てこい」と言ったそうです。

獅子の子落としですね。ライオンはあえて自分の子を谷から落として、その子の器量を試し、一人前に育てる。僕も含めて、今の日本に田中投手のお父さんのような言葉を自分の子供に言える親がどれだけいるでしょうか。

自分の子供がかわいいのはどこの親も同じです。本当は地獄なんて決して見て欲しくないし、苦労なんてしてほしくない。でも地獄も苦労もない人生なんてありえないことを親は知っている。だから自分の子供が地獄を見ているとき、その地獄が我が子を育ててくれるのだと信じて、傍で見ている親がどれだけやせ我慢ができるのか。そこが大切な気がします。

2015年2月18日水曜日

もっとシンプルな文章を

ブログを書きながら僕は自分の文章を内心、なんと蛇足の多い文章なのだろうと思っています。まず説明が多すぎる。伝えたいことを完全に絞り込めていない。

これに気づいたのは自分が論文を書いた時です。指導してくださる大学院の教授から「宋の文章は言いたいことを詰めこみすぎ。人はそんなにお前の論文に興味はないよ。みんな忙しい仕事のあとに疲れてる状態で読むんだから。コーラのようにすっと飲めるような文章にしないと」

多くのことを教授から学びましたが、この言葉は本当に勉強になりました。言うまでもなく、僕が最初に書いた論文の文章からは削ぎ落とされ続け、洗練された読みやすい文章に教授にしていただきました(笑)

人の心にすっと入っていける文章。難しいこともわかりやすくシンプルに。診療と同じですが、もっと言葉を大切にして、短な文章で読者のみなさんの琴線に触れられるような、そして読みながら想像力を掻き立てられるような文章を心がけていきたいです。