2015年9月27日日曜日

街で患者さんを見かけたとき

街を歩いていて、一人で結構な大声で独語をしている人を見かけませんか?おそらく幻覚妄想の状態の患者さんなんだろうなと思います。

僕は時折そんな人を見かけるので、どうすべきなのか何度も考えてきました。周囲の人は驚いた怪訝な視線を送っていたり、ただただ過ぎ去っていく人たち。かく言う僕もただ過ぎ去っています。心の中では声をかけて話を聴くのか、救急車を呼ぶのか、警察にお願いするのか、いろいろ思います。周囲に迷惑もかけていないのに、わざわざ僕から「病院に行ったほうがいいですよ」なんていきなり声をかけるわけにもいかず、結局は何もできずに過ぎ去るだけ。

精神科の病院に勤務しているときは、街で独語をしていて興奮してきて、周囲に迷惑をかけてるからと警察とともに来られる患者さんは日常的にいました。でもこれは周囲の人が迷惑をかけられたとか、誰かに危害をくわえたとか、事件になったとか、そうなってはじめて警察から病院という流れでした。つまり周囲がかなり問題視しないと病院の受診にはつながらない。

僕の勝手なアイデアですが、警察と精神科病院が連携して、街で患者さんと思われる人がいたら、受診を勧めるようなパトロールみたいのはどうでしょうか。でも警察の人と精神科医のマンパワーと人件費とかいろいろあるのかなとも思ったり。一人でそんなことを思いました。

2015年9月24日木曜日

歌手の人がうらやましい

人の心を元気にする仕事はたくさんありますが、歌手の人の存在はその中でもひときわ大きく感じます。歌は聴くだけで楽しかったときの情景が浮かんできたり、元気をもらえたりします。

注目されるのは大きな天災があるときですが、実はそればかりではなく、僕たちの日常の中で一人になりたいとき、辛いことがあるときに、ふと音楽を無意識に探す人も多いのではないでしょうか。

歌手は歌を通して多くの人に元気になってもらえる。そう思うと、人を元気にする点で、歌手も精神科医と同じなんじゃないかと想像するわけです。でも歌手は一度に元気にする人の人数が違う。僕はいくらがんばっても1人ずつですが、歌手は一気に何千人、何万人と元気にできる可能性がある。でもそのためには歌手、作曲家、作詞家、関係者の方々の大変な苦労と努力があるのだろう、僕にはわからないことがたくさんあるのだろうと想像だけしています。

しかしそれにしても、僕としては歌手の人がすごく羨ましい。

2015年9月18日金曜日

「座ってね」という言葉

電車など公共の場でお母さんがお子さんに「座ってね」と言って、そのまま騒いでる子どもに会うことがあると思います。もちろん、僕の診察の中でもよく遭遇します。

この言葉には座ってほしいというお母さんの気持ちがこめられているはずです。でも本人はその言葉とは違う行動をしている。なぜでしょうか?

言葉が理解できていない、聴こえていない、お母さんのことが嫌いとか、いろいろ理由はあるかもしれません。ただ、もしこの「座ってね」という言葉で、本当に座らせたいのであれば、答えは一つです。お母さんの言葉通り、膝に乗せるなり、手をつなぐなりして、物理的に座らせなければなりません。

第3者からするとこれは当たり前のように聴こえますが、お母さんとしては座らせたいのに、子どもは座れないということが今日も世の中では無数に起こっています。食べなさい、やりなさい、寝なさいなど、他の行動であっても、幼い子であればほとんどの場合は親のコントロールで可能です。お母さんの言葉通りに実際にさせて、「お母さんの言葉はその通りにやらなきゃいけない」と子どもが思えれば、次からは他の指示がどんどん入ります。

日々の診療の中であまりに多いことなので、当たり前のことですが、書いてしまいました。

僕が一番多く出会うのは診察室の中でまともに座れない我が子を見て、ショックを受けたり、イライラされるお母さんです。そうならないで済むように、日々ご自身の言葉とお子さんの行動を比較してみてくださいね。

2015年9月15日火曜日

子どもだからこそ話ができる

「そのまま素直に話をしてもわかってもらえるんだ」

そんなことを感じることがあります。毎日、多くの子どもや大人にお会いします。大人の場合、いろんな技術を使ってお話ししてようやく話を聞いてもらえるところが、子どもの場合、「大好きなお母さんのいうことを聞いてね」というだけで、翌週には問題行動がなくなって、賢くなってきてくれたりします。大人だと曲解されてしまう部分が、子どもはそのまま素直に話を聞いてくれるわけです。

子どもに接するということは、その子の心という白いキャンバスにどんな絵を描くのかということ。そんな気持ちを持てるかどうかが、子どもに接する人たちにとって最も大切なことだと思っています。

2015年9月13日日曜日

誰かのことを想う想像力

大阪は夏が終わりを迎えていますね。8月の暑いときに録画した甲子園の番組を見ていました。

平成10年夏の2回戦、宇部商業対豊田大谷の試合。

試合は2対2のまま延長15回裏、豊田大谷の攻撃でノーアウト満塁。ピッチャーは宇部商業のエースの藤田投手。この時点でキャッチャーのサインを豊田商業に読まれていると判断した宇部商業バッテリーはサインを複雑にしていました。そしてキャッチャーがサインを出しなおしたとき、藤田投手はセットポジションに入りかけていたのに、また腕を戻してしまい、主審の判定はボーク。

満塁からの押し出しでサヨナラ負け、試合終了。

そのときの主審は林主審。

これには後日談があるそうです。

10数年が過ぎて、32歳になった宇部商業の藤田投手はあるイベントの際に、自身が職場で野球を楽しんで元気でやっているということを林主審に伝えるために会いに行ったそうです。

林主審はあのときの判定のせいで高校生の男の子が辛い思いをしたと思い続けていたでしょう。その林主審の気持ちを藤田投手は想像して、自分は元気で野球をしているということを伝えるために会いに行った。

お互いの想像力のなせる素晴らしいエピソードだなと思いました。

誰かのことを想う想像力。人間が持っている能力の中でもっとも美しく人間らしいものだと思います。

2015年9月9日水曜日

ひきこもりへの直接的な介入

ひきこもりへの直接的な介入として、実際に自宅や生活の場に訪問して支援するアウトリート(訪問支援)というのが広がっています。今はそれに対して国も動いています。ケースワーカー、相談員、心理士、看護師、医師など実際に行く人の職種は様々です。

先日のプロフェッショナルは佐賀県で不登校やひきこもりへの訪問支援を行なっている谷口仁史さんが出られていました。児童相談所、学校、若者サポートセンター、医療機関などと連携して、実際にひきこもっている子供や若者の自宅に訪問して、ご家族や本人と直接話をします。谷口さんいわく、初対面がもっとも大切だそうです。はじめてご本人に会うときまでにご家族からご本人の興味があること、普段の生活、嫌いな話題、ご家族のことなど、詳細に情報を集めてから臨む。小学生が好きなカードゲームや遊びも勉強されていました。

僕のところにも不登校やひきこもりでご家族が相談に来られたり、ご本人がなんとか来てくれることがあります。僕も初対面(僕の場合は初診)がもっとも大切だと考えています。そのときにご本人と少しでもいい関係を築けなければ、もうそれ以降は来てくれませんし、初対面はご本人もなんらかの期待を持ってくれていることが多いので最大のチャンスでもあります(ただ、家族療法を勉強してからはご本人がいないとだめだとは全く思わなくなりましたが)。

外来診療という限られた環境の中で不登校やひきこもりの人たちにお会いする僕としては、直接的な介入ができるというのがすごくうらやましいという気持ちと僕には真似できないなという気持ちで複雑です。ただ、このようなアウトリーチをされている方と一緒に仕事ができれば僕たちの仕事の幅もさらに広がり、多様な支援ができていくのであろうと思います。

2015年9月6日日曜日

吸ったら吐きましょう

ストレスを受けると、何か重いものが頭や体にたまるような感覚を覚えることはありませんか?

そんなときにみなさんはどうされますか?深呼吸をしたり、ため息をついたり、中にはタバコを吸って吐かれる方もおられるでしょう。でもそれだけでは難しい。

息は吸ったら吐かなくてはいけません。吐かないと次の新しい空気は入ってきません。吸うのは得意だけど、吐き方がわからない人が多い気がします。なぜそう思うかというと、他の人を見ていてもそうですが、当の僕がそうだからです。なので、僕はいつも自分の息の吐き方を探しています。みなさんも息の吸い方ではなく、ご自身なりの息の吐き方を探してみませんか?

2015年9月2日水曜日

アドバイスをしない医者になりたい

診察の中で患者さんから「この場合はどうしたらいいですか?」という質問を頻繁に受けます。僕はこれまでそれに必死に答えようとして頭を巡らせていましたし、もちろん今もです。

ある日、僕は「なぜ患者さんたちは僕にこんなにもたくさん質問するんだろう」とふと思いました。つまり診療自体が患者さんが質問して、自分が答えるということを繰り返す構造になってたのです。これは当たり前と言えば当たり前でした。どんな業界でも「先生」と名のつく人の前に立つと、人は自分の疑問や悩みの解決法をその人が教えてくれるのではにかという期待を持って、聞きたくなるものです。もちろん僕も「先生」と呼ばれる人に質問します。

つまり、僕は患者さんから質問されると、その流れに乗って、ずっと質問されたことを答えるということになっていたわけです。概して人は質問されると答えなくてはならないという制限がかかります。でも早く答えないといけないと焦って、まだ知りもしないのに、必死に答えていたわけです。この構造を作ってしまったのは他でもない僕自身だと気付きました。

ではどうすればいいのか。つまり患者さんに質問して、的確な情報が得られるまでは答えてはいけない。わかってもいないのに、焦って答えようとするから的を外してしまう。理想的には患者さんにご自身で気づいていただくことが一番でしょう。いつの日か、僕と話をしている中で患者さん自身がいつの間にか「あっ!そうだ!」とご自身で答えに気づいてもらえるような、アドバイスをしない医者になりたいと思います。