2013年5月31日金曜日

子育てに参加しないお父さん

みんさん、いかがお過ごしでしょうか?

大阪はもう梅雨に入ったのかというくらい湿気が高く、むしむしした日が続いてましたが、今朝はすごくすがすがしい朝でしたね。

今日は子育てに参加しないお父さんについて考えてみたいと思います。
(もちろんすべてのお父さんがそんなわけではありません)

日々の診察の中で、お家にお父さんがいるのにお母さんが一人で子育てをされている家庭によく出会います(物理的な問題は別として)。

そのときに「この子はいったい誰の子なんですか?」と本当に聞きたくなります。
至極当たり前ですが、親は子供を産んだ以上、その子が大人になっても親である自分自身が死ぬまで子どもについて責任を負うものだと考えています。

どうしてこのような状況になるのか、僕はずっと気になっていました。そこでそのたびにお母さんに「お父さんは今のお子さんの状況をどう考えられてるのですか?」とお聞きするのですが、何も言わない、子どもに興味がない、相談しても「子育てはまかせたはずだ」、「適当にしておいて」と言われたとのお返事をよく聞きます。

お父さんが子育てに協力されないわけです。もちろんこの逆もあるでしょう。

 そうなってくるとお母さんが一人で何か問題を抱えた子どもと戦ってるわけです。そしてお母さんもうつ状態になっている。話をお聴きするだけでもこちらもしんどくなります。

普段は仕事で忙しくて、家に帰るとゆっくりしたいという気持ちは僕も本当によくわかります。家事や育児を完全にシェアするのは難しいでしょう。ですが、子どもに何か起こった時、お母さんが悩んでいるとき、意見や助けを求めているときには、お父さんは真摯に向き合うべきです。子どもにとっても「普段はだまっていても、ここという時には頼れるんだ」というお父さんの存在は大切だと思います。逆に言うと「ここ」という時に協力しないと子どもや家族への信頼はなくなります。

僕はこのような場合、お父さんが少しでも子どものことを気にかけているなら診察の時に来てもらい、お子さんの状況について説明し、お母さんに協力してもらうよう僕からお願いします。お父さんの協力を得られる可能性が低い場合にはお母さんの家族やママ友などお母さんをサポートしてくれる人、あるいは体制を一緒に探します。場合によっては行政にお願いすることもあります。

 僕ら医療者はこのとき申し訳ないくらい本当に微力ですが(このときに精神科医としての無力さを一番感じるかもしれません)、診察の時間内だけでもお母さん(またはお父さん)の味方になりたいと思っています。

2013年5月30日木曜日

子育てに自信がない方へ


子育てに自信がない。

いつも「これでいいのかな?」と悩む。

よくお母さんたちからお聞きする言葉です。

正直、僕も悩みます。

でも僕はそれでいいんだと思っています。子育ての正解は一つではありません。算数みたいに初めから答えがあるわけがありません。人生自体が正解がないものではないでしょうか?いろんな正解があっていいわけです。

僕がここで書いていることもあくまで一つの意見です。絶対こうじゃないといけないなんて決して言いません。ただ僕自身が今まで親に育ててもらい(今も育ててもらっています)、僕自身が今まさに子育てをしており、さらに診療の中でいろんなお父さんやお母さんに出会う中で治療がうまくいきやすい人とそうでない人、子どもの中でも家族や社会に適応している子とそうでない子の特徴を見てきた中で気付いたことをここでは書いています。つまり今の僕として最善だと思えることをお勧めしているだけです。

はじめから100点満点の子育てなどありません。日々より良い子育てを模索しながら一生懸命子育てをしていると、結果的に子どもが大人になった時にこちらがお願いしなくても社会がおのずとその結果を出してくれると思います。そのときに自分の子供の幸せそうな姿を見て「自分の子育ては間違ってなかったなあ」と思えれば親として最高に幸せではないでしょうか?

 日々の子育ての中では「このときは怒ってもいいのかな?甘えさせたほうがいいのかな?」など細かなことが気になりますよね。僕もそのたびに悩んでいます。ただ、そのときに自分の考えの基準になるものは必要だと思うんです。

迷った時に僕がいつもよりどころにしているのは「将来、子どもが自分の力で生きていけるように」です。ここで叱ったことってこの子にとって役に立つことかな?自分の力で生きていくときに役に立つかな?と考えています。

自分として基準になるものが見つけにくければ、周囲でうまく子育てができているなと思う人のまねをすることから始めてもいいと思います。それを実際にやってみて、その中で試行錯誤しながら、うまくいく経験ができたときに少しずつ親としての自信が生まれてくるのだと思います。ただすべてを同じにはできないはずなので、模索しながら自分の子育ての方法を確立していくことになると思います。

みなさんも「~家」の子育てという形を作ってみてください!



2013年5月27日月曜日

セカンドステップの研修会に参加してきました

みなさん、こんにちは。

福岡の学会から帰ってきて、週末はセカンドステップという子どもたちの暴力を減らすための技術の研修に行ってきました。さすがに連続で研修とはきつかったですが、すごく勉強になったのでみなさんに簡単にご紹介したいと思います。

 セカンドステップを一言でいうと「自分の気持ちを暴力ではなく、言葉で伝えていこう」という目的のもと、その方法を子どもたちに教えていくものです。

セカンドステップは不登校、いじめ、家庭内暴力などが社会問題になったことから1980年代にアメリカで開発されたそうです。現在はアメリカ、カナダ、北欧、日本を中心に世界中の幼稚園、保育園、小学校、児童養護施設などで実際に行われています。対象は4歳から16歳までとなかなか幅広いです。

これは予防教育ですので、今現在暴力をしている子ども個人にするというよりはその暴力を予防するためのものです。

 実際には泣いたり怒ったりしてる子どもたちの写真を見せながらその表情や様子からその子どもの気持ちを考えさせて、そのときにはどうしたらいいのか(声のかけ方、自分の気持ちの伝え方、大人に相談するタイミングなど)を子どもたちに一緒に考えてもらい、対処の方法を教えていくというものです。

教えてくださる先生方々も、受講生の先生方(小学校、保育園の先生、施設の職員の方)も熱心でした。

 ただ、一方でこのような暴力以外の言葉という方法で対人関係が図れるんだよということを改めて幼稚園や学校で教えなければならないという今の社会はかなり深刻ですね。これらのことは元来家庭や学校で自然に学べていたものなのに、それを学べない子供たちが多いのでセカンドステップができたのだなと思いました。

 それにしてもセカンドステップはしっかりとした効果があるものですし、すべての家庭が暴力以外のコミュニケーション方法を教えられるわけではないので、必要だとも思います。また発達障害のお子さんへの療育としても他人の表情や感情を勉強する上で役立つと感じました。

 もしかしたらみなさんの街でもセカンドステップに取り組んでおられる幼稚園や学校があるかもしれませんよ!あればぜひ子どもたちに参加させてあげてください!

ここでなぜか今回の学会での1枚です^^

 

 
 
 
 
 

2013年5月22日水曜日

いつも完璧な親である必要はない

みなさん、こんにちは。

僕は今福岡に来ています。もともと月に1回は僕の師匠である行動療法の山上敏子先生に指導していただくために福岡に来ていますが、今回はそれに合わせて日本で一番大きな精神科の学会に参加するためにも来ています。

今朝は福岡市の真ん中にある大濠公園をランニングしてきました。大濠公園には松林や桜の木がたくさんあり、そこのベンチに座りながら朝の春の風を浴びてきました。最高に気持ちよかったです。みなさんも福岡に来られたらぜひ朝の大濠公園を楽しんでください!


今日は打って変わって子育てをがんばりすぎないでほしいという思いで書きたいと思います。

毎日子育てをしてる中でその日によって親自身の体調が悪かったり、嫌なことがあったりと人ですから波はありますよね。そのときに子どもに当たってしまったり、子どもが遊んでほしいと寄ってくるのに遊んであげられなかったり、ご飯を適当にあげてしまったりする日もあると思います。

そのときに決して自分を責めないでほしいのです。

つまりいつも子供のためを思い、怒らずに冷静で、対応が完璧な親である必要はないということです。

今まで書いてきたことと逆説的に聞こえるかもしれませんが、これも「自分の力で生きていけるように」という原則は同じだと考えています。

家庭で子どもに対していつも怒らずに冷静で完璧な対応をしてると社会に出たときに子どもは混乱するということです。

「親にも怒られたことがないのに」というのを聞きますよね。それを社会に出ていくら声を大にして話しても誰も聞いてくれませんし、何の役にも立ちません。逆にそんなことを社会で言ってると完全に浮いてしまいます。

イライラしてつい子どもに当たってしまったときに、子どもが「あっ、今日はいつもと違う。今日はお母さんの機嫌が悪いんだな」と感じられればいいわけです。社会に出て、上司の機嫌が悪いことに気付けなければやっていけません。そのときに「ああ、今日は上司が機嫌が悪いな」くらいにやり過ごせないと困るわけです。

人生は理不尽なものです。自分にとって理不尽なことがどんどん起こります。

人生では頭の上から踏んづけられても立ち上がらなければならないことがあります。上司に怒られたくらいで1回1回つぶれていたら生きていけません。

親が疲れて、不機嫌になることも必ずしも悪いことではありません。後で気付いて「さっきはごめんね」くらいで軽くだけ謝り(この時に謝りすぎる必要もありません)、またかわいがってあげればいいわけです。

子育ては長く続くマラソンです。途中で投げ出すわけにはいきません。
普段思いっきりかわいがって愛情を表現していれば、時に不機嫌な親を見ても子どもはまたいつものように接してくれます(子どもは幼いほどすぐに忘れてくれますしね)。つまり普段いかに子どもと信頼関係を気付いているかが重要なわけです。

子育てで完璧を目指すことはやめてください。
時には失敗してもいいんです。肩の力を抜いて、しんどくなったときは一人で抱え込まずに周囲に頼りながら子育てしてみてくださいね!

今日は山上先生においしいランチをご馳走していただいたので、そのときの1枚を載せさせていただきます!^^

2013年5月20日月曜日

僕が子育てについて書く理由

みなさん、こんにちは。

これまで子育てについて書いてきました。
要するに親の対応で子どもの様子が変わるということです。

なんでこんなにも子育ての話ばかりを書くのかというと、幼稚園児から大学生くらいの方が来られる児童精神科外来や思春期外来では「~病」、「~障害」と診断名のついた患者さんも来られますが、それよりも子どもとの接し方で悩まれるお父さんやお母さんに出会うことが多いからなんです。もっと言えば、「~病」、「~障害」の場合でもその子との接し方が難しかったり、家庭でのさまざまな問題を抱えていることが多いと感じています。

僕は「子育てを語る児童精神科医」になりたいと思っています。

診断名も大切ですが、自分の育てた子が社会に出て通用するのか、ちゃんと生きていけるのか。これが親として最終的に一番気になるところではないでしょうか。

親は子どもよりも先に年老いていきます。親にエネルギーがあるときは守ってあげられても、いつまでもそばで守ってあげるわけにはいきません。年を取ってから子供の心配をするのはかなりつらいものではないかと想像しています。

子どもはその家庭での一つの作品です。社会に出るまでの20年前後の時間に家庭でどんな教育を受けてきたかで、挨拶、言葉遣いを含めた立ち居振る舞いが変わるわけです。それらはその子の人生に直接影響します。東大や京大では挨拶や言葉遣いは教えてくれません。家庭で教えるものなのです。

有名なレストランで修業した弟子を見送る師匠の気持ちと同じです。みなさんも自分の子供を初めて幼稚園や保育園(これらも社会です!)に行かせるときに心配されたのではないでしょうか?それと同じです。子どもを社会に出すということは自分の教えたことが通用するのか、自分の作品が通用するのかを世に問うわけです。そのときに少しでも自信をもって子どもを送り出せたらいいですね。

子育てに悩まれている方のお役にたてるように、僕自身もこれから子育てについてもっと勉強していきたいです!


2013年5月19日日曜日

情熱大陸 プロボクサー 井岡一翔選手の言葉

みなさん、こんにちは。

子育てのことを考えているといろんな場面で「子育てと同じだ!」と思うことがあります。

去年のお正月にしていた情熱大陸がまさにそうでした。

その日の情熱大陸はプロボクサーの井岡一翔選手。

試合前の過酷なトレーニング、過酷な減量が連日続く中、お昼ご飯は行きつけのうどん屋さんでぶっかけうどんの小を頼んでいました。そのうどんを食べながら

「おなかがすいてくることで自分の中の闘争本能にスイッチが入るんです。欲が満たされてるのに戦う気持ちとか生まれてこないでしょう。飢えているから戦う気持ちが出てくる。」

子育てもまさにこれだなと思いました。

子どもたちも同じです。いつもおいしいものが食べられて、いつもしたいことができて、いつもほしいものが手に入る。こんな風に欲が全部満たされちゃうと頑張ること、悩むことをしなくなります。自分はどうして生きていくのかを考えたり、自分は何をしたらいいのかを探す必要がなくなりますよね。頑張る理由がなくなるわけです。この生活がずっと続くと思ってしまうから。

子どもたちの欲は満たしすぎないことが大切です。いつも「何か足りない」くらいがちょうどいいと考えています。「おなかすいたなあ、おいしいもの食べたいなあ」と思うから「どうしたら自分も大人になったらおいしいものが食べられるのかなあ」と思って悩んで頑張るわけです。おいしいものは一口だけ子どもにあげて、残りは全部お父さんやお母さんが食べてください。そしてそれを食べながら「あなたも大きくなって自分の力でこんなおいしいものを食べれるようにがんばりなさい」と言ってください
(すみません、食べ物の話ばかりで。もちろん食べ物じゃなくてもいいです。僕が食べることが好きで、こういう話を子どもにしているもので(笑))。

今の日本社会で実際に食べ物に飢えるという状況を作るのは簡単なことではありません。だからこそ普段の生活で「何か足りない」という状況を作ってあげないといけないわけです。

社会に出たときにちゃんと戦える(頑張れる)子になるように。

2013年5月16日木曜日

かわいがることと甘やかすこと

みなさん、おはようございます。

大阪は夏のような暑い日が続いていますが、朝晩はちょうどいい気温で快適な気がします。

今日のテーマはたくさんのお子さんを診せていただきずっと感じてきた「かわいがること」と「甘やかすこと」の違いです。

先日も書きましたが、子どもがかわいいという感覚は多くの親からすれば当たり前ですよね。親としては自分の子どもが喜ぶ姿が見たい、泣いたり悲しんでる姿は見たくない。親に共通する認識ではないでしょうか。もちろん僕もそうです。

子どもが喜ぶこと、楽しいことは子供も親も幸せな気分になります。これは何の問題もありません。でも子供が泣いたり悲しんだりすると、子供本人も親も辛いわけです。ここで大切なことは子どもが身体的な健康が害されない限りは、このときにいかに親がその状態を我慢してみていられるのかです。親と子どもはいつも知恵比べです。子どもは自分の要求を通すためにあらゆる手段を使ってきます。僕の経験では1歳を過ぎれば子どもは自分の要求を通すための駆け引きを始めます。泣きじゃくる、公衆の場で大声を出す、親を困らせる行動をとる、地面で寝転んでしまう、甘えるふりをするなど。そのときに「だめなものはだめ」、「我慢を覚えさせる」という気持ちで親が子どもの泣きじゃくる姿、辛そうにしんどそうにしてる姿に反応せず、耐えられるかです。

このときに注意することはどこまで自分の子どもが耐えられるのかを普段の本人の様子をしっかり観察して、「ここまでなら大丈夫だろう」というラインがどこにあるのかをいつも親が探っておくことが大切です。普段子どもの様子を観察せずに、子どもが辛そうにしているのをただ見ているだけではいけません。ここを見誤ると大変なことになるかもしれません。

デパートのおもちゃ売り場でおもちゃを買ってほしくて泣きじゃくる子供にお母さんが「帰るわよ」なんてて言いながら颯爽とその場を離れていくお母さんを見ると、このお母さんは子どものことをよく知ってるなあと感心させられます。内心はきっとちゃんと着いてくるのかなと心配なのかもしれないのに、そんなそぶりは全く見せません。

かわいがることと甘やかすことは違います。

子育ては植物を育てることと同じです。

花を育てるときに水と肥しをふんだんに与えると、植物はきれいな花を咲かせません。温室で育てた花は気温の低い環境ではすぐに枯れてしまいます。花の鉢を大きくしすぎると土の栄養を得ようとどんどん下に向かって根ばかり生やして、上に伸びて花を咲かせようとはしません。つまり楽をしちゃうわけです。植物にとって花を咲かせることは楽じゃないようです(人と同じですね)。

逆に水と肥しを最低限にし、雨風のあたるところで小さな鉢で育てると植物はどんな場所でもきれいな花を咲かせます。

みなさんもきれいな花を咲かせてください。


2013年5月14日火曜日

この子は大人になった時、どんなことをして生きてるのか

みなさん、こんにちは。

今日は「将来、子どもが自分の力で生きていけるように」のための具体的なことの3つ目として
「この子は大人になった時、どんなことをして生きてるのか」です。
幼い時からの習い事がその人の生業になるがあります。それもすごくいいですね。タイガーウッズ、イチローはお父さんと一緒に幼いころからずっと一緒にスポーツの練習をしてきたわけです。これは一例ですが、つまり、何がその子にとって生業となり得るのか、どこで何に出会うのかで変わってくるわけです。このチャンスを子供が幼い時は親が変わりに探しながら、いろいろと子どもに見せたり、させてみたりする。

そして小学校高学年くらいになったら「学校を卒業したらもうお父さんやお母さんは何も援助しません。だから何をして生きていくのかを自分で考えなさい」という話を子供に繰り返ししてください。また、これは必ず真剣に話してください。親が真剣かそうでないかは子どもは十分に見抜きます。

アメリカの一般家庭では高校を卒業したら、それ以降は一人暮らしをしながら自分で生活費、学費を稼ぎながら自活するという話を聞きました。一方、今の日本では親の年金をあてにして生活していく若者というのが現実にいるわけです。あまりにも対照的ですね。自分が何をして生きていくのかを考えずに生きてきて、大学3年生になってはじめて、自分の就く仕事のことを考えて、いろんな就職活動の本を読みあさる。その人が就職できない。それまで大きな不自由なく生活し、人生について何も考えずに生きてきたわけですから、それは当然な気がします。
 
教育人間学者の汐見稔幸先生がこんなことをおっしゃっておられました。
 
・何を体験させ、どんな本を読ませ、ここで何を本気でしかり、どう励ますのか。ずっと真剣勝負なんです
 
・人間は子どもの頃の育ちが自分の価値観の原点になり、青年時代に悩んだことややってみたことがライフワークになる
 
これは真実だと思います。
 
親業はいつも子供に対して真剣です。子育てに対して親が心底真剣になれるのかが大切です。
 
その子のどこを刺激すれば子どもが真剣になるのか。これじゃだめだ、やばいなって思うのか。その「心のスイッチ」を常に探しながら子育てをしてください。
 
将来、子どもが自分の力で生きていけるように。
 
それではまた。
 

2013年5月12日日曜日

思わず涙があふれるとき

みなさん、こんにちは。

今朝の大阪は快晴で、朝のランニングがこの上なく気持ちよかったです。そしてその後、朝刊を読みながらのあったかい朝のコーヒー。これが僕の至福の時間です。

そんな中、今朝の日経の記事に目が留まりました。
東邦大学の脳生理学の有田秀穂先生の研究の記事です。

そのテーマは「情動の涙」。
心温まる映画や音楽にふれると思わず涙があふれる。これを専門家の間では「情動の涙」というそうです(すみません、脳生理学は僕は詳しくありません)。

その研究とは成人100人に「フランダースの犬」や「火垂るの墓」を見てもらい、脳の血流を測るというものでした。するとそのうち9割の人が涙を流し、65%の人が「気が晴れた」、「悩みが不安が消えた」などと述べ、脳の前頭前野(脳の司令塔で、感情、理性、記憶、やる気など人間的なところを司ります)の血流が増えたそうです。前頭前野の血流が増えて、その働きが高まると交感神経優位(緊張、ストレス状態)から副交感神経優位(リラックス状態)になりました。どなたにも経験があると思いますが、涙を流すと楽になるときがあります。僕は診察の中で涙を流される方を見ると「遠慮せず、人目をはばからず思いっきり泣いてください」という気持ちになります。それが少しでもその方の気持ちを軽くできるものであれば、それも治療の一つだと考えています。

以前、お話した被災者の方が高校生たちが歌う中島みゆきさんの「時代」を聴いて被災して初めて涙を流したという話。やはり涙を流さないというのは心としてはかなり危険な状態です。虐待を受けた子供たち、非常に厳しい体験をされたPTSDの方たちもそうだと思います。

東邦大学の有田先生によると「週末だけでも思いっきり号泣してください」とのこと。僕もまったく同感です。人は大人になるとあまり感情を外に出さずに、何かあっても無意識に自分を落ち着かせよう冷静になろうとしますよね。それが大人だみたいな。それももちろん正しいと思います。でも普段からいいものに触れたときに感動したり、辛いことにぶつかって涙を流す。これは知らず知らずのうちに「自分の心を浄化してる」のだと思います。

僕は泣き上戸なので、不覚にも診察中に泣いちゃうことがあります。実は大泣きしすぎて患者さんに気付かれちゃったことも何度かあります。その時、内心は「これは精神科医として大丈夫なのか」と自分自身疑問を抱いています。僕がこの疑問を僕の師匠である行動療法の第一人者の山上敏子先生に質問したところ、「それは患者さんに感情移入しすぎ」と指摘されてしまいました。といいつつ、山上先生はかなり患者さんに優しい方ですが(笑)。

今日は久しぶりに子育ての話から離れてみました。

それではみなさん、よい週末を!

2013年5月10日金曜日

子どもが間違ったことをしたなと思ったとき

みなさん、こんにちは。

今日は「将来、子どもが自分の力で生きていけるように」のための具体的なことの二つ目として「子どもが間違ったことをしたなと思ったとき」です。

これまた難しい問題だなと思います。どう接するべきか、いろいろ考えてしまい悩ましいですよね。
「どう叱ったらいいんでしょうか?」という質問をよく受けます。

まずは基本的な事実関係を確認します。
それで子供本人に非があることがはっきりした場合には1回目から叱ります。ここで大切なのは本人の目をちゃんと見て、本人と向き合って「今回のことはあなたが悪かった。だから二度としないようにしなさい」という内容のものを数分で短く伝えます。決してだらだらと冗長に叱ってはいけません。冗長に叱ると子どもは途中からほかのことを考えたり、叱られたという嫌な印象だけ残して、なぜ叱られてるのかの事実を忘れてしまいます。

よく言われるのが、「ちゃんと本人の言い分を聞いて、叱らずにどうしてだめなのかを理解できるように本人に説明してるのにだめなんです」というのです。確かにいろんな育児本にはそう書いてますよね。これで親の真意が伝われば、できるお子さんも多いでしょう。でもこれでだめな場合には親の真意が伝わっていない、あるいは叱ってる人の話を聴こうとしていないことが考えられます。

電車の中などでお母さんが「静かにしなさい」と繰り返し子どもに言うにも関わらず子どもは一向に静かにならない。よく見る光景だと思います。それでなぜ静かにならないかというとまずは親の言葉の意味を本当の意味で理解していない、あるいはお母さんに言われても気にしない場合ですね。実はこの後者の「お母さんに言われても気にしない」が多いのではないかと考えています。

昔から「長幼の序」というのがありますよね。
辞書には「年長者と年少者との間にある秩序。子供は大人を敬い、大人は子供を慈しむというあり方」と書いています。この秩序が逆転して、子どもが家で王様や王女様みたいになってしまっているご家庭が多い気がします。

子どもはもちろん一人では生きていけません。子どもを守り、養っているのは当然お父さんやお母さんです。そのお父さんやお母さんが普段から子どものご機嫌をとって、「次は何したい?何食べたい?」と言いながら、ある日突然「これはしてはだめよ」と言われても、子どもはその人の言葉を聞かないのは当然ですよね。誰のおかげで今暮せているのか、学校に行けているのか、ご飯を食べているのかを繰り返し説明する必要があると考えています。お父さんやお母さんに偉そうにしろと言ってるわけではありません。外でお父さんやお母さんは仕事をして、それで家族の生活が成り立っているのだということを子どもたちに幼い時から伝えて行かないと、「ここだ」というときにお父さんやお母さんの指示が入らなくなるということです。絶対にしてはいけないこと、危ないことなどその大事な時に子どもに指示がすぐに入らないと大変なことになりますよね。

みなさんの何かのお役にたてばと思います。



2013年5月9日木曜日

子どもに人との接し方を教える

みなさん、こんにちは。

今日は「将来、子どもが自分の力で生きていけるように」のための具体的なことの一つ目として「人との接し方を子どもたちに教える」です。

具体的には

1.人に会ったら目を見て挨拶をする

2.目上の人には敬語を使い、礼儀正しい態度で接する

です。

知人のお子さんや診察に来られるお子さんの中で挨拶ができる子どもたちは僕の感覚では2,3割くらいでしょうか。確かに子どもからすれば知らない大人に会うわけですから緊張するでしょうからなかな勇気のいることだと思います。でもその挨拶を子どもに教えることは非常に大切なことです(当たり前ですが)。はじめから挨拶ができる子などいません。親が挨拶することを教えているかどうかです。
社会に出て、挨拶をするのに慣れていない人とちゃんと目を見て笑顔で挨拶ができる人。どちらが上司としては仕事を任せたいと思うでしょうか。

敬語となると目上の人に敬語を使う子どもたちは小学生なら1%くらいでしょうか。中学生になり部活に入ると先輩に敬語なので、そこで敬語を覚えてくれる子たちが多いようです。それでも敬語を覚えてくれるだけでいいと思います。
聞いた話ですが、大学生になっても大学の教授に対して友達感覚いわゆる「ため口」で話す学生がいるようです。その状態でどうやって社会にでるのでしょうか?

僕が家庭訪問や懇談で担任の先生に確認することは「うちの子は先生に敬語を使えてますか?」、「みんなと仲良くしていますか?」これだけです。

子どもは幼いころは真っ白の柔らかい出来立てのおもちのようなものだと考えています。時間が過ぎるとそれぞれの形で固まっていきます。ある程度固まってしまうと、その形を変えることは大変な力が必要になります。「鉄は熱いうちに打て」です。

「まだ小さいから」というので、子どもが挨拶ができない、敬語が使えないというのを看過してはいけません。逆に言うと、挨拶や敬語をいつから教えるのかということです。高校生になってから「もう高校生なんだからそろそろ人に挨拶して、目上の人には敬語を使いなさい」と教えて、その子が翌日からそれができるでしょうか?できるようにするために親や本人はかなりの努力を要するでしょう。小学生から教えれば、高校生になった時には自然と挨拶や敬語が出てくるでしょう。しかも幼い時だと親と子どもの努力はかなり少ないもので済むはずです。

人は環境の動物という言葉があります。つまりご家庭で子どもにどんなことを教えるのかで、その子が大人になった後の人生が変わります。

社会に愛してもらえる子どもにするために。

今日はこの辺で。

2013年5月7日火曜日

子どもの接し方の基本

みなさん、こんにちは。

連休明けはなかなかきついですね^^

今日は児童精神科外来でよく質問される「子どもにどう接していいかわかりません」という問いについてです。(発達障害については別のところで書きますね)

先日、こんなテレビを見ました。ある親が子どもを空手教室に通わせていて、「空手教室では礼儀を教えてくれるからいいんです」と空手教室の良さを主張していました。
僕は愕然としてしまいました。礼儀って空手教室で習うものなの?お金を出して子どもを育てるという発想が昨今は当たり前になってきているようです。勉学や芸術などの特殊な技術は別として、育児は家庭でするものです。礼儀も同じです。

僕にも3人の子供がいて、正直子どもとの接し方を10年くらい悩んでいます。
ただ僕が指針にしていることがあります。

「将来、この子が自分の力で生きていけるように」

一言で言えばこれだけです。

多くの親は自分の子供ですからかわいくてたまらないですよね。親が子供を愛する。それは当たり前です。でももっと大切なのは社会に愛してもらえるのかどうかということ。

子育てに悩まれてるご両親に僕が診察の中でよくいうことがあります。「ほとんどの場合お父さん、お母さんはお子さんよりも先に死にます。そのあと、この子は一人で生きていけますか?」

僕は自分の子どもたちを普段は思いっきりかわいがって、間違ったことをしたときは思いっきり叱るようにしています。
この子が社会という大海原に一人でポンッと出たときに生きていけるのか。
つまり子育ては社会に出るまでが勝負です。
実はこれは昨日お伝えした「家庭で快適すぎる状況を作らないこと」ということとつながっています。
家では自分の要求がすべて通り、外に出たときにそれが通らないと学校や社会でトラブルになったり、本人が辛くなるのは当たり前ですよね。

次回以降は具体的に書いていきますね。

2013年5月6日月曜日

暴れる、言うことを聞かないのは親の愛情のせい?

みなさん、おはようございます。

今年のGWは連日快晴で、気持ちのいい日が続きましたね。

今日は児童精神科外来に来られる親御さんの悩みに多い「暴れる、言うことを聞かない」ということを考えてみたいと思います。これらを主訴にされる親御さんは「うちの子は発達障害で指示が入らないんでしょうか?私の愛情が足りなかったんでしょうか?」と涙を流しながら話されます。
はたしてそうなのでしょうか?

「暴れる、言うことを聞かない」で親御さんが困られるのは体が大きくなり、知恵もたくさんついてくる小学生のお子さんに多い気がします。要求が通らないとお母さんをたたく、ご飯を食べなさい、お風呂に入りなさいと言っても言うことを聞かない。それらが1,2歳の幼少期から始まる場合は今よく言われているコミュニケーションの問題で発達障害という可能性が確かにあるかもしれません(もちろん経過をよく聞かないと判断はできません)。またご家庭の環境が困難な状況でということもないとは言えません。
ただ、多くのご家庭では子どもへの愛情はたくさん注いでおられますし、発達障害というのも程度の問題はありますが、当然健常発達のお子さんのほうが多いわけです。

このとき僕が多いなと感じるのは
「ご家庭で子どもの要求がすべて通る状況がある場合」です。

幼いころから子供がしたいこと、食べたいもの、ほしいものがすべてそろっていると、子どもたちはそれが当たり前になります。

たとえばお母さんと子どもがスーパーに行くたびに子どもはお菓子を買ってもらえていたとします。しかしある日お母さんは時間がないので、「今日はお菓子は買えないよ」といいます。そうすると子供たちは「今までほしいお菓子をいつも買ってもらえたのに」となり、要求が通らないので大声で泣くなどして大騒ぎになります。これで大騒ぎをしてお母さんが急ぎながらも好きなお菓子を買ってあげました。すると次回からお菓子を買ってもらえないとなるとその子どもは毎回大泣きするようになります。なぜなら大泣きすると好きなお菓子を買ってもらえるからです。

お菓子を買ってもらえない→大泣きをする→お菓子を買ってもらえる

という流れができるわけです。これらは昔は躾、我慢を覚えさせるなど言っていたことで、最近では行動分析学(後日ご説明しますね)で説明できます。

さて今日の結論です。
ご家庭で大切なのは「快適すぎる状況を作らない」ことだと考えています。幼少期から「だめなものはだめ」、「何かをがんばった時に物ではなく、言葉や抱きしめるなどの体全体で思いっきりほめる」ことが大切です。幼いころは物を買い与えなくても、大好きなお母さんからほめられるだけで子どもたちはすごく喜びます。これは小学生まででも多くは通じます。ただ注意点として子どもが大きくなればなるほど難しくなりますし、接し方を変えた直後は必ず大騒ぎになります。でも数回続けて親御さんが子どもの要求を飲まなければ、うまくいくことがあります。
ぜひやってみてください。