2018年5月19日土曜日

強いということは柔らかいということ

生きているといろんなことが目の前で起こります。そのときに風で飛ばされそうになったり、踏みつぶされそうになったりすることもあるかもしれません。それでも生き残っていくために必要なのは強くあることだと思います。その強さに必要なのは硬さではなく、柔らかさではないかと考えます。自分が柔らかい状態でいれば、自分に何が降ってきても、形を変えることで、生き残ることができると思います。自分を硬く持ってしまうと何かが降ってきたら衝突してしまい、どちらかあるいは両方が砕けるしかないからです。柔よく剛を制す。本当によくできた言葉だなと思います。

2018年5月11日金曜日

原因が片方だけにあるなんてありえない

先日、すごく礼儀正しい高校生に出会いました。大人に対してきちんと大きな声で挨拶し、扉を閉める時にも音が出ないようにそうっと閉めます。その時、思わず「お母さんがきちんと教育されたんだな」という言葉がつい口から出ました。でも少し考えてみると、これはお母さんだけが良かったわけではなく、この高校生にもそのお母さんの教育を受け入れるだけの土壌があるのだろうと考え直しました。教育が大事だとよく言われます。それは紛れもない事実でしょう。ただ、同じ教育を同じ親から受けたからと言って、同じ兄弟でも結果は違います。一般的に子供は素直で純粋である可能性が高いという意味で、一律にはしやすいと思いますが、それが必ずしも同じ結果は生みません。勉強が好きな子と勉強が嫌いな子に同じ勉強面での教育を受けてもらっても、同じ結果にはならなりません。教育をする側だけの原因ではなく、それを受ける側にも原因は生じます。これは全ての物事に言えると思います。僕たちはいいことであれ、悪いことであれ、常に一方通行の原因で考えがちですが、実際には双方に原因があります。さらに言うならば、双方によって一つの結果が生まれるということです。この考え方があれば、一つの物事を見たときに、どちらだけのせいにしなくていいので、全体を俯瞰しやすく、自分の気持ちが非常に楽になります。

2018年5月3日木曜日

治療者は患者さんに感謝する

治療をする立場にいる人は最初から治療がうまくできるわけではありません。誰しも必ず未熟な時期があり、もしかしたら永遠に未熟なのかもしれません。なので、治療者は未熟な時に出会う患者さんに感謝するのは普通な気がします。もちろん、これは患者さんに膝をついて迎合しろとか、患者さんの権利を大きくするような意味ではありません。ただ、治療者として、治療をすることを生業とするなら、あらゆることを教えてくれる患者さんに感謝することになるのが自然な発想ではないかと思うということです。

2018年4月27日金曜日

僕が治せない人はいます

NHKのプロフェッショナルの中で、将棋の永世7冠の羽生善治さんが、こんなことをおっしゃっていました。

(その負けが)自分の形になるのなら、一つや二つ負けるのは苦にならない

僕はこの言葉を聞いた時、人の治療をしている自分にはこれはあってはいけないことではないかと思い、やはり将棋と精神科治療は違う部分があると思いました。ただ、その後しばらく考えていると、そうでもないのかなと思い始めました。決して後ろ向きな意味ではなく、治療をさせてもらっても僕が治せない人は必ずいます。特に以前は今よりもたくさんいました。精神科治療を勝ち負けで表現するのが正しいかは別にして、治せないということは勝ち負けで言えば「負け」です。現役の精神科医が治せないなんて言葉を口にすることが許されるのかどうかはわかりません。ただ、それがある確率で生じるのなら、それを生かして、自分の肥やしとして自分の治療の形を作り、次の治療に生かして、治せない患者さんを限りなくゼロに近づけていくことが精神科医として自分が目指すところだと考えています。それが羽生さんのおっしゃっていることと同じ意味を持つのではないか。やはり将棋と精神科治療は似ているのではないかと考え直しました。自分の治療の形を作るために、負けても続けていきたいと思います。

2018年4月20日金曜日

人は自分の頭で全て理解できると誤解してしまう

人は生きていていると、目の前で起こることを全て理解できる、予測できると無意識に誤解してまう。それは自分の心を守るためにそうしているとも言えるかもしれません。でもそんなことはありえないでしょう。人一人の頭で考えたことで、世の中に起こることが全て理解できたら、この世の中を生きて行く意味、新たなことを発見する意味はなくなってしまう。頭で理解できないこと、想像を絶することが起こるからこそ、人はそれを解明しようと努力して、ここまで文明が発展してきたのだと思います。一人でそんなことを考えてみました。

2018年4月13日金曜日

圧倒したいと思うことが敵

ボクシングのWBA世界チャンピオンの村田諒太選手が初の防衛戦に臨みますね。それに向けてこのようにコメントしていました。

「こういう試合は1ラウンド目から圧倒しようという気持ちになりがち。チャンピオンの姿を見せたいという気持ちがはやりすぎるのが初防衛戦が難しいと言われる正体だと思う。その気持ちをいかに抑えた状態でリングにあがれるか、リングの上で気持ちを抑えてボクシングができるかが一つのカギ」

人前でいいところを見せたいという気持ちはみんなあると思います。僕も診療でこの人を良くしたいと力みすぎて、逆に失敗することがあります。そういう自分の気持ち自体が最大の敵なのかもしれません。多くのアスリートの人たちが言うように、敵は相手ではなく、常に自分であるということを改めて確認させられました。人は相手のコントロールはできませんが、自分のコントロールはできます。それさえできれば、今目の前で起こっているいろんなことが変わっていくのかもしれません。

2018年4月6日金曜日

診療には常にストーリーに基づく根拠がある

プロの囲碁棋士の井山裕太さんの本を読みました。井山さんが史上初7冠のタイトルを取られたことは本当に有名なことです。その中でこんなエピソードが書かれていました。井山さんは小学生の頃からすごく強く、全国で優勝していました。しかしそんな強い中でも自分の棋譜は覚えていなかったそうです。なぜなら手合(囲碁の対戦)の時に必然性を持たず、場当たり的に思いつきで打っていたため、自分の棋譜を覚えていなかったとのことでした。確かにプロ棋士で、自分の棋譜を覚えていないなんて話は聞いたことがありません。井山さん曰く、プロ棋士は記憶力がいいから棋譜を覚えているのではなく、全体のストーリーを把握した上で打っているから、自然に棋譜を覚えることになる。つまり囲碁を打つ上でストーリーは非常に重要であるということです。実はこれは精神科臨床でも同じです。一時的ではあれ(特に診療の直後なら)自分の診療の全体のストーリーは明確に記憶しています。逆に、ストーリーなく場当たり的に思いつきでやっている精神科医の診療や面接は見ていればわかります。事実かくいう僕も、ストーリーがない時は師匠の先生が僕の診療を見て、「先生、ここノープランだね」と瞬時に僕が何も次の手が思いつかずに何となく診療していることを見抜かれます。

実はこれは患者さんから全体の話を聞かずにいきなり、「子供が癇癪を起こすのですが、そんな時はどうしたらいいのですか?」と聞かれても、答えられないことに通じています。つまり、全体のストーリーを知らずに対応(囲碁でいう次の一手)を述べることができないことと同じです。棋士も精神科医も全体のストーリーが見えて、初めて根拠を持って対応がわかるのです。もし全体のストーリーを知らずに即答できてしまう精神科医がいるなら、それは神がかった技術の持ち主(この場合も根拠はあるはず)か、その患者さんに関する情報とは関係ない知識や経験で答えているか、当てずっぽうかのいずれかでしょう。つまり、囲碁も精神科臨床も全てストーリーに基づく必然的な根拠がある上に対応(次の一手)がわかるのです。今日は複雑な話になってしまいましたが、囲碁(将棋も含めて)と精神科臨床の共通点の大きさをあまりにも強く感じたため、熱くなって書いてしまいました(笑)。

2018年3月31日土曜日

ノーベル賞を目標にやってきたのではない

最近、2008年にノーベル物理学賞を受賞された益川敏英先生とiPS細胞の山中伸弥先生の対談の本を読みました。本自体は2011年に出版されたものなのでずいぶん前のものです。

その中で、益川がノーベル賞を受賞された時に、「たいしてうれしくない」、「我々は科学をやっているのであってノーベル賞を目標にやってきたのではない」という話が当時話題になり、その時の益川先生の気持ちが出てきます。なぜこのような発言を益川先生がされたのかという理由は2つあったそうです。1つ目は他の賞は「受けていただけますか?」と連絡が来るのに、ノーベル賞は「決まりました」と連絡が来るそうです。そこに益川先生はカチンときたそうです。2つ目は益川先生位は難しい問題と格闘している時はワクワクしてテンションが上がるけど、論文にして問題が整理されてくると、熱が冷めてきて、論文が完成した直後には興味の対象がもう別のものに移っているので、「なぜ自分はこんな小さなことに夢中になっていたのか」と自己嫌悪にさえ陥るそうです。この感情、すごいですよね。特にこの時受賞した根拠になった論文は1973年に発表した論文でした。つまり論文発表から30年以上前が過ぎて、受賞されたのです。そんな遠い過去の自分の実績を評価されてもなあというお気持ちだったのではないかと推測します。

人は過去の栄光があると、そこにすがりたくなることがあると思います。でも益川先生はまったく違う視点で、自分が興味のあることをただひたすら追求していくという姿勢でした。だからノーベル賞を受賞されたのでしょう。名誉や栄光ではない、科学者としての姿勢に感服したので、ブログに書いてみました。

2018年3月24日土曜日

自分ができていないことが一番のストレス

誰かに仕事を聞かれて、精神科医であるという話をすると、「人の話を聴くって大変でしょう、お医者さんの中で精神科が一番大変そう」という同情のお言葉をいただくことがあります。確かに精神科医の中には人の話を聴くのがしんどい、自分も鬱になるなんてことを言う人もいます。でも僕は人の話を聴くこと自体がしんどいとは思ったことはありません。その理由はうまく説明できませんが、何が一番しんどいかはわかっています。それは患者さんやご家族を前にして、自分がどうしていいのかわからない時、自分がいかにできていないかを感じる時です。つまりは自分の不甲斐なさほどストレスになるものはありません。それを少しでも減らすために勉強しているわけです。なんか愚痴みたいになってすみません(笑)

2018年3月17日土曜日

好き嫌いと良い悪いは違う

いろんな人を見ていると、人は何かをしゃべるときに、これは良い、これは悪いみたいに、その人の基準でものを言うと思います(僕も含めて)。でも物事の良い悪いの判断は立場や見方によって変わってしまうので、非常に難しい。よくよく話を聴いてみると、その人の好みで良い悪い(あるいは正しい間違っている)が決まってしまっていることが多いように思います。好き嫌いで言えばいいものを、良い悪いと言ってしまうから、そこからもめてしまうことが多い。好きとか嫌いと言えば、聞いてる側は「ああ、この人の好みなんだあ」くらいに思えるけど、それを良い悪いという基準で話をしてしまうと、話が倫理観くらいまで話が大きくなってしまって、聞いてる側が意見が違うときに反感を持つ可能性が高まります。できたら、良い悪いと言わずに、私はそれが好きです、嫌いですと言えば、もう少しみんなが仲よくできるのかなあなんて一人で考えました。

2018年3月10日土曜日

進んだ先がゴールになる

人は目標を決めないといけないとよく言われます。確かにそれは一面では正しいと思います。目標があったほうが方向性が見えるので頑張れる。でもその目標を決められなかったり、その目標に押しつぶされそうになる場合もあると思います。物事は常に両面で見れないといけない。これは常に師匠から言われる言葉です。

アナザースカイという番組の中でたまたまナレーターの方が口にされた言葉が僕の琴線に触れました。

ゴールに向かって進むのではなく、進んだ先がゴールになる。

いい言葉だなあって。いつも自分を鼓舞して、ゴールに向かって走ろうとすると疲れるときがあります。なので、この言葉に反対側からの見方を教えてもらえた気がしました。進んだ先がゴールになる。これもありだなあって。

2018年3月2日金曜日

負けとの向き合い方

将棋や囲碁の勝負という世界と治療という世界は酷似しているように僕は感じています。先日の情熱大陸はそれぞれタイトルの永世7冠の羽生善治さんと2回7冠を達成した井山裕太さんでした。その中で後輩の井山さんが先輩の羽生さんに質問していました。

井山さん
どうしても勝ちたい一局に負けた時にどういう心構えでやっていますか?

羽生さん
勝った時も同じだが、前の結果の残像をいかに残さないで次の対局を迎えられるかがすごく大事。勝っても負けてもすぐに忘れて次に向かう。負けた時のいいところは今ある課題が明確になる。そこを見つめて考え直すことがでいる。それから、これまでの中で1年中カド番を迎える時があった。そうするとカド番に慣れてくる。ピンチや大変な状況に慣れてくることも大事なこと。慣れてくると、必要以上に緊張することもなくなる。

井山さん負けた時に燃え尽きることはなかったですか?

羽生さん
それはむしろ何かを成し遂げた後の方が、気持ちを続けていくことの方が難しい。

これらの井山さんの質問とそれに対する羽生さんの回答は非常に含蓄のある言葉であると思いました。

僕は自分の治療がうまくいかなかった時に、どうしてもそれを引きずって次の患者さんの診察にも前のうまくいかなかった患者さんの治療のどこがまずかったのかという考えを引きずって頭の中でそれを検索していまう時があります。それは今の目の前の患者さんにも失礼だし、僕自身も精神的にきつくなります。羽生さんの言葉は僕には非常に深遠な言葉に聞こえました。うまくいかない治療に向き合わず見て見ぬ振りをするのは治療者として論外だと思いますが、それに引きずられ過ぎて、患者さんや自分に悪影響を与えるのは良くありません。いかに自分の課題に冷静に向き合い、そして次の対局(治療)に挑んでいくのか。その大切さを30年以上プロ棋士をされている羽生さんから教えていただいた気がしています。

2018年2月24日土曜日

やはりつぼみが一番美しい


この真ん中にある小さな開きそうなつぼみを見てください。寒い朝に奈良に行って出会うことができました。今年の梅の季節がやってきましたね。毎年この季節の梅のつぼみに癒されます。これまた毎年書いていますが、花は咲いてしまう前のつぼみのときが一番美しいと思います。人もそうなのかもしれません。

2018年2月17日土曜日

どうしても大人の目線で子供を見てしまう

こんな時は空気を読んでほしい、人の気持ちがわからない、テスト勉強の計画を立てない、このままで将来どうなるのかな。親として子供の心配をする。当然ですよね。僕も親として本当によくわかるお気持ちです(他人ごとに思えません笑)。ただ、時に子供の年齢に対して、親御さんの要求水準が高いなと思うことがあります。誰しもが通るように、人は時間経過といろんな経験を通して、今の自分があるはず。そんな気持ちで子供の様子をつぶさに見てあげられたら、親子にとってもっといいのかなと思います。

2018年2月10日土曜日

僕は「わかりません」、「できません」と言います

一般に専門家と呼ばれる人たちはその分野に関してはわからないこと、できないことはないと思われがちです。当の僕も専門家と呼ばれて(この言葉は好きではありませんが)、大きな期待を持って受診されて来られる患者さんやそのご家族にお会いします。当然、プロとしてはその時にできるベストを尽くします。でもニーズによっては、できないこと、わからないことがあります。その時に僕は正直に「わかりません」、「できません」いうようにしています。なぜなら実際にその現場にいない僕はあくまで補助をする脇役であり、主人公は患者さんやそのご家族です。その方々が力を発揮出来るようにベストを尽くすのが僕たち治療者の仕事です。そう言える理由は、僕たちが患者さんやご家族の力に日々驚かされたり、感動させてもらったりするので、その力を本気で信じているからなんです。

2018年2月3日土曜日

本質は技を極めること

先日の「アスリートの魂」はノルディック複合の渡部暁斗選手。ノルディック複合とは瞬発力のジャンプと持久力のクロスカントリーという真逆のことを同時に求められ、その両方で結果が決まる競技で、キングオブスキーと言われているそうです。渡部選手は本当のキングオブスキーを目指しているそうです。渡部選手がこんな言葉を言っていました。

「世界一になりたい、金メダルを取りたい、一番になりたい、勝ちたいとか言ってるけど、そういうのはただの言葉。金メダルもただの物。競技の本質を求めて行った時に地位とか名声とかは必要なくなる。純粋に技を極めることに集中することが僕の取り組むべき本質なのではないかと思う」

本質を求めていくと、技を極めることに集中することにたどり着く。僕もすぐに地位や名声が頭の中に湧いてきて、技を極めることを横に置いてしまいそうになります。これは完全に本末転倒ですよね。実際、渡部選手の部屋にはメダルやトロフィーがありませんでした。この言葉を聞いて自分が恥ずかしくなりました。地位や名声ではなく、精神科臨床の技を極めることに集中して、いつかキングオブリンショウになりたいと思います。

2018年1月27日土曜日

大きく見せようとしている自分が一番格好悪い

時々自分のブログを読み返します。4年余りの自分のブログを読んでみると、いかに僕が自分の考えが強すぎる人間なのか、この数年前でもあまりにも幼い考えをしていたのか、心の底から恥ずかしくなります。でもそれを消すという行為は今の所しないつもりです。恥ずかしいけど、これがその時の自分だからです。格好悪く恥ずかしい自分を隠すというのはしたいけど、したくないというか。自分を大きく見せるという行為が僕はどうしても好きになれないし、できるだけしたくない(でも僕は絶対どこかで自分を大きく見せようとしていますが)。等身大の無理をしない自分でいるのが理想です。だって大きく見せようとしている自分が一番格好悪いと思うからです。でも、逆説的ですが、結局格好良くいたいという自分もすでに無理をしているのかもしれません(笑)。

2018年1月20日土曜日

すごくきれいに元気に実をつけてくれました



冬の朝は空気が冷たくて澄んでいて気持ちいです。醫院の前ですごくきれいに元気をくれるものを見つけたので、みなさんにもおすそ分けしたくて写真をアップしました。なんか呼吸ができた感じがしました。

2018年1月13日土曜日

自分の中に汚いものがあるから綺麗なものがわかる

菜根譚の中にこんな言葉があります。

潔(けつ)は常に汚(お)より出(い)で、明は毎(つね)に晦(かい)より生ずる

清潔なものは常に汚い物から出てくるし、明るいものは常に暗い物から生ずるという意味です。

世の中の格言やすばらしい至言は何か高潔で崇高な概念から生まれているように見えますが、そんなはずはないですよね。その言葉を生み出した人がそれに気づいたのは自分の中の汚いものがあったからこそ、その綺麗なことに気づけたと思います。なぜなら、汚いと言う概念は綺麗という概念があるからこそ成立するからです。なので、自分という中に汚いものがあるから綺麗なものがわかるし、暗いものがあるから明るいものがわかるのでしょう。つまり、自分の中に汚いもの、暗いものがあっていいわけです。それがないと世の中の綺麗なもの明るいものに気づけないでしょうから。

2018年1月6日土曜日

難しいからこそ何十年もかけてやる価値がある

将棋で29連勝を達成した藤井聡太四段。30連勝にならなかった時に藤井四段の師匠、杉本昌隆七段がこんなことを言っておられました。

「毎回いい将棋が指せて勝っていけたらこんな簡単な世界はない。難しいからこそ何十年もかけてやる価値がある」

これは負け惜しみでも弁解でもなんでもなく、物事の真理であると思います。そんなに毎回勝ってしまえるなら、それは長く続かずに途中でやめてしまうことになる。僕も日々の臨床で連戦連勝なんてことはありません。本当は治療の成功率を100%にしたいです。当院に来てくれた人は全員楽になってもらいたい。でもそれができなくてへこむ時があります。そんな時にこの言葉はまた次の治療に臨む時に力をくれる言葉です。