2018年6月22日金曜日

自分の内面を外に出すことへのカタルシス

芥川賞作家の西村賢太さんが、「小説家はどこか露出狂、カタルシス、一種の快感がある。だからまた小説を書いてしまう」とおっしゃっていました。

僕はよくなぜこのブログを自分は書いているのかと考えます。これまでは自分の考えの整理、自分が感じていることや考えていることでいいなと思ったことがどこかの誰かにも役に立つんじゃないかと思って書いていると思っていました。ただ、今回の西村さんの言葉は僕自身の気持ちに気づかせてくれるものでした。僕はこのブログの中で自分の内面にあるものを外に出したいという欲求の元に書き続けているのだと気付きました。もちろん、これだけが理由ではありませんが、このカタルシスの部分は大きいと正直に思います。今回は単なる僕の告白だけになってしまいました(笑)。

2018年6月15日金曜日

他の人じゃなくて、自分を見る

いろいろな場面で他の人の人生や体験(成功も失敗も)や結果を見せてもらいます。それは本やテレビだけでなく、僕の周囲の人たちからもです。それで、気づいてみると、自分なりにあの人はこうだとか、とても自分にはそうなれないとか、過大評価、過小評価、憧憬、批判など、僕は好きなことを思ったり、言ったりしてます。でもそれはあくまでも限られた情報の中で自分一人のメガネを通して見たその人の人生であり、ご本人が考えていることや見ている景色とは到底違うはずです。どちらが正しいかは別にして、他人を自分なりに評価しているわけです。でもそんなことをずっとやっていても、僕自身の人生はおそらく何も変わらない。大切なのは他の人を見て、自分がどうするのか。自分がどうしたいのかを自分に尋ねることで初めて、自分にとって何らかの現実的な影響や肥やしになると思います。

実は僕はコーチングを学んだことがあり、その講義の中で一番初めに教えてもらったことはこれです。

・自分の意識が他の人に行きすぎていないか
・自分の意識を自分に向ける
・自分の感情、意識、反応に敏感になれ、そうすると相手にも感情、意識、反応がある
 こ・とがわかり、相手が見えてくる
・もっと自分を信頼しろ

という言葉でした。
僕にとっては自分が感じてきたことを肯定してくれた気がして、安心感とともにすごく腑に落ちる言葉でした。他の人ではなく、自分のことを見つめていこうと改めて思いました。

2018年6月8日金曜日

厳しい条件でも治療できるようになりたい

誤解を恐れず言うのですが、もしカウンセリングのためならいくらでもお金を使えたり、治療のためなら仕事を休んで時間を作れたり、頼れる協力的な家族がいたり、そんな条件の整った患者さんが来てくれれば、誰がやっても治療できてしまう気がします。でも実際は患者さんの条件はそんなに整っていません。もっと厳しい条件のもとに暮している患者さんがほとんどだと思います。つまり、やっとのお金で生活していたり、仕事があるので通院するのは1か月に1回が精一杯であったり、毎日が辛すぎて生きること自体が綱渡りのようであったり、頼れる家族がいなかったり。そんな方もいると思います。そんな厳しい条件の患者さんにも治療ができる。そんな治療者が本当の治療者であると考えています。

2018年6月2日土曜日

その人の人生の大きな流れの中に治療という小さなことがある

悩みや苦しみを抱えて受診される患者さん。そして、その悩みや苦しみに対して自分なりの考えを持っておられる患者さん。さらにはその患者さんにもどうしようもない出来事が起こることもある。そういう患者さんの考えや出来事の流れが大きいと、治療でそれに抗うようなことはしないほうがいい、いや、してはいけないと考えています。一緒にその時期を耐えないといけない場合、その患者さんの強い考えを尊重しつつ少しずつ治療しないといけない場合もあります。医者はことさら教科書にある治療、自分の治療の経験や個人的な体験などから得た自分が最も良いとを思っていることを患者さんに提供することが使命であるかのように信じて治療することが多い。もちろん、これは倫理的に全く問題がない。しかし、なぜか治療がうまくいかないことがあります。それは実は医者自身の信じている最も良い治療は、患者さんにとっては最も良い治療でない可能性があるからだと考えています。それは見方によって患者さんへの治療の押し付けになり、患者さんとの関係が悪くなり、状態がもっと悪くなることはよくあります。かくいう僕もそのような治療をしてきましたし、今もしている可能性があります。その人の人生の大きな流れ、強い意志には決して抗わず、それにきちんと合わせながら治療という小さなことを続けて、結果として患者さんが今よりも楽になってくれることを願う。そんな小さなことを続けることが精神科医としての仕事なのではないかと思います。