2013年11月28日木曜日

薬を処方するということ

医者になって僕が初めて働いた場所は大学病院の小児科病棟でした。その病棟には白血病などの悪性腫瘍の子どもたちがたくさんおられました。その中で僕が初めて処方した薬は抗がん剤でした。先輩のチェックは当然受けていますが、処方箋に自分のハンコを押すとき、内心すごく緊張したことを覚えています。この薬で何かあれば、自分の責任になるんだろうな、薬の副作用が出たらどうしよう。体に変な力が入っていたことを思い出します。

特に小児科では新生児から中学生まで、体重1kgあたりで薬の量が決まります。それくらい小児科医は薬の量に敏感です。そんな経験から精神科医になってからも、薬を出すということに常にある一定の緊張感があります。実は精神科医になって大人の方に薬を処方するとき、大人であっても体重が30kgの人と100kgの人、20歳の人と90歳の人と、体重や代謝が違うのに、同じ薬を処方するときは同じ量でいいというのはおかしいのですよね。

当然ながら、医者にとって薬は一つの大きな武器です。薬なしで治療するというのはどの科においても一般的にはかなり困難でしょう。効果や副作用の説明も大切ですが、ある一定の緊張感を持って患者さんに薬を処方するという姿勢が医者にとって大切なことであると思っています。薬はもちろん体のどこかに作用するわけですし、今までに報告されていない副作用が起こる可能性もある、さらに飲むときの患者さんの体調にも影響を受ける。もちろん怖がるばかりもいけないとも思います。特に昨今、精神科の薬についてのいいことも悪いことも両極端な情報が流れているように感じます。僕としては、答えはおそらくその両極端のどちらでもないと感じています。問題は薬ではなく、その薬を処方する医者の姿勢にあると思います。

薬であればどんな薬であれ、ある一定の緊張感を持って処方していきたいと考えています。

2013年11月26日火曜日

行間を読む

僕は人のお話を聴くときに、行間を読むことが大切だと考えています。

お話をされるご本人や家族は実際にあった事実やその時の思いを語ってくれます。でも人は事実やその時の思いを話せてるように見えて、実際にはそれを人に伝えることはすごく難しいことです。確かに自分のこれまでのことを本当にきれいに整理して、わかりやすくお話しできる方も中にはいらっしゃいます。そんな方にお会いすると、すごく利口なのか、状態はそれほど悪くないのかと思います。

人に何かを言葉で伝えるときの作業としては3段階あると思います。
事実と自分の感情を整理し、言葉にして、相手に伝える。

自分の思っていることを人に伝える。簡単に見えて、実はこれは大人でも難しいことです。誰かに話をしながら、なんかうまく伝えられてないなと思うことって、僕はしょっちゅうあります。その時、自分の語彙力、整理力にもどかしさを感じますが。。。ましてや子どもなら表現力、語彙の問題からさらに難しくなります。その時に僕たち精神科医にとって必要なのは想像力です。もしかしたら自分の言いたいことをうまく表現できていないかもしれない、言いにくいことを避けて話しているのかもしれない(当然ですね)。お話をお聴きしながらも、ご本人の本当に訴えたいことは何かを想像するわけです。その人の言葉と言葉の間に何が隠れているのかを考える。これが行間を読むことだと考えています。

行間を読むとは本来は文章を読むときに使う言葉でしょう。僕たちは文章を読むときに自分なりに想像をしながら読むはずです。それをお話をお聴きするときにも使うわけです。

この行間を読む力がないと、患者さんにお話しするのに、ちんぷんかんぷんなことを言ってしまいます。僕もこのために患者さんに「えっ」みたいな顔をされることがあります。

行間を読む力を育てていきたいですね。


2013年11月25日月曜日

精神科外来は人生相談?

現在の日本における精神科のイメージは心療内科という言葉の出現、「うつ病はこころの風邪」の宣伝などから僕たちが子どものころからは考えられないくらい一般の人たちに受け入れられることになりました。

そんな中で「となりのうるさい人が困るんです」、「姑さんとの関係をなんとかしたい」、「学校の先生が自分の子を理解してくれないんです」など、時に精神科外来はよろず相談所に代わることがあります。昔なら親や兄弟、知り合いのおじさん、おばさんが相談に乗ってくれたかもしれない内容まで、今の時代は心療内科の戸を叩きます。

僕は精神科医の仕事は困っている人がいるならその人の問題を一緒に考えることだと考えています。

これまた先日、僕の師匠である山上先生に「私たちの診療は人生相談じゃない。あくまで病気の治療であって、診察が人生相談になったら終わり。私たちは病気の治療のプロであって、人生相談のプロじゃない。人生なんて今もわからない。」と言われました。この言葉も僕を混乱させました。確かに僕たち精神科医は占い師でも、人生のプロでもない。でも患者さんは困って精神科医に頼りたくて外来に来られる。

僕はここでいろんなことを思いました。

時代の流れにしたがって患者さんのニーズは変遷しています。昔は精神科に来られる患者さんはいわゆる病気という人たちしか来なかったのかもしれません。でも今は病気かどうかの不安を持たれて来られる人がいるので、病気じゃない人の確率も高い。ただ一つ言えることは僕たちの仕事は患者さんの役に立たないとなんの意味もないということです。そうなってくると患者さんのニーズに対して、自分ができることであれば最善を尽くしたい。山上先生のおっしゃる病気の治療はもちろんメイン、さらに病気かどうかの判断も。決して人生のプロでもなんでもありませんが、人生相談もお答えできる範囲で対応する。なぜなら時にはその人生相談自体が治療になるからです。ただ、最終決定は患者さんにしてもらう。それはもちろん患者さんの人生ですから。

今後も考え方の柔軟性を忘れず、自分自身の考え方を少しずつ構築していきたいと思います。

2013年11月22日金曜日

親にほめてほしい

診療の中でたくさんの人の気持ちをお聴きしていると、表面的にはいろんな症状や問題がありながらも、診察を進めていくと根底に「親にほめてほしい」というのがある方に出会います。

親にほめてもらいたくて、がんばる。

これは多くの人が心の底で思っていることではないでしょうか。幼いころからの自分を一番近くで見てきた人。一緒に過ごした時間が長い人。社会に出ると周りの人たちは自分のことをそんなに簡単にはほめてくれません。誰かに褒めてもらえない時でも、頑張ってる自分がいます。それを自分でほめることも大切でしょう。でも、誰に一番ほめてほしいって、他人じゃない。他の誰よりも親にほめてほしい。そのほめてほしい気持ちは今さら言えない、恥ずかしい、言ってもどうせわかってくれない。いろんな理由があると思います。

僕の親はそれほどよく褒めてくれたわけではありませんが、子どものとき、たまに褒められた時のうれしさと言ったら、子ども心に言葉では表現できないくらいうれしかったですね。もちろん、今も親に褒めてほしいという気持ちはあります。僕の祖父は褒めるということが苦手な人で、褒められた記憶はほとんどありません。僕が大学生のときに祖父は亡くなりましたが、今も「おじいちゃんに褒めてほしい」という気持ちがあります。

僕は親に褒めてほしいという気持ちをお持ちの子どもや大人の方にお会いしたとき、照れくさいかもしれないけど、勇気を出して「ほめてほしい」という素直な気持ちを話すことをお勧めしています。もし親御さんがいらっしゃらない場合にはそれに代われる人に話す、あるいはそれもできない場合には僭越ながら主治医である僕がほめて差し上げることにしています。そのほめられるという体験がその人の生きる力になりますように。そんな願いを込めて。

他には何もいらない。「よくがんばったね」、その一言がほしいだけ。

そんな気がしています。

2013年11月20日水曜日

病気なのか、病気じゃないのか

日本では精神科の病気の診断にはアメリカの精神医学会やWHO(世界保健機構)が決めた診断基準をもとに行うことが主流になっています。

僕には基本的に典型的な病気じゃない限りは患者さんを病気にしたくないという気持ちがずっとありました。

たとえば、うつ病の診断基準なら

「症状の臨床的著しい苦痛または社会的、職業的、または他の重要な領域における機能の障害を起こしている」

という一文があります。これでいくと何らかの機能が落ちてないと病気じゃないので、仕事や家事ができてしまうと病気じゃないみたいに理解されてしまいます(診断基準の存在の良し悪しもあります)。

ただまあ、言ってしまえば、僕の勝手な「病気だと気の毒だ」という気持ちでしょうか。つまり、診断基準をすべてきちんと満たして、はじめて病気だとしていました。もちろん、診断基準をきちんと使いこなすことが前提です。ただ精神科では病気か病気じゃないかのラインは誰の目にも見える形で明確にするのは難しい部分は確かにあります。

昨日はいつものように福岡に山上先生に会いに行っていたので、これを相談したところ、

「それはあなたの病気に対する偏見。患者さんを病人にしたくないなら、医者をやめないと。私たちは病気を治すのが仕事。治療は人生相談じゃない。」

と言われました(もちろんやさしく^^)。

たしかに今までの僕の経験でも典型的な病気でない方に「まだ病気とはっきり言えるレベルではありません」と説明すると、患者さんから「そうですかあ、病気じゃないとしたら、どうしたらいいのかわからなくなりました」と言われたことが何度もありました。僕としては「病気じゃないですよ」というので安心してもらおうと思っていたことが、裏目に出てしまっていたのです。病気と言われて、安心する人とそうでない人もいるでしょう。ただ、病気となると、医者と患者さんで一緒に立ち向かっていこうと思える。

このお言葉は僕にとっては衝撃的でした。僕は今まで患者さんという「人」をメインに診ていましたが(これは悪いとは思っていません)、「病気」という視点もしっかり持たないといけない、自分の精神科医としての姿勢を改めないといけないと、帰りの飛行機の中でひとり思っていたのでした。


2013年11月16日土曜日

子どもたちはブレーキが利かない

 人は生まれて、その時まで自分が見てきたものから学んで、それを自分の中に取り入れ、その後の人生での様々な判断をします。逆に言えば、人はその時まで見てきたものでしか、物事を判断できません。

 赤ちゃんはみな自分勝手で、欲望の塊です。お腹がすくと泣いて、周囲を気にせず、目に入ったものを触ったり、したいことをしようとするものです。ごくごく自然なことですよね。

 「子どもは勝手に育つ」なんて言葉があります。僕はこれは違うと思います。親が何も教えず、一人で勝手に育ってるんじゃなくて、それは代わりの誰かが、あるいは経験がその子に教えてくれているのです。

 子どもはブレーキのない車です。そこで、親が「周囲を見て行動しなさい」、「目に入ったものでも危ないものは触らないで」、「したいことでも我慢しないといけない時があるんだよ」と教えるわけです。つまり、これはブレーキのなかった車にブレーキを備え付ける作業なのです。逆に、本能的に子どもがしたがっているからという理由でしたいことをさせると、子どもはブレーキがないまま大人になるわけです。本人のしたいようにさせているということはブレーキのない車が走るのを傍観しているのと同じです。

 これは思春期になった子どもたちも同様です。反抗期という言葉があります。確かに思春期はホルモンバランスの変化、将来への漠然とした不安、対人関係の複雑化、身体の急激な変化からイライラしやすく、ブレーキが利かないことがあるでしょう。それを防ぐためには幼少期にいかにブレーキを教え、時には親自身がブレーキになることです。「もう大きくなったから」と子育てが終わったかのような言葉をよく聞きます。たしかに幼いころに比べれば、親が子どもに直接関わることは減りますが、思春期になったからと言ってそれで終わりではありません。遠くの方からその子の様子を深く観察していなくてはなりません。潮流を見て、「ここだ」というときを見逃さず、親自身が子どものブレーキにならないといけない時があると思います。その時に親がブレーキになれるか。親から見て思春期になった子どもが危ないなと思うときに「やめなさい」とブレーキを利かせることができるかも、それまでの親が子どもに教えたブレーキで決まるわけです。つまり幼いころからブレーキを備え付けておけば、大きくなっても、ここだというときに親が子どもたちのブレーキになれるわけです。

子どもたちはエネルギーいっぱいにアクセルを踏むことは得意です。それはもちろんいいことです。それと同時に親がブレーキを備え付ける、あるいはなってあげることでアクセルとブレーキを備えた人に成長するのだと思います。

2013年11月12日火曜日

うつ病のない民族

みなさんは先日のNHKでの「病の起源 うつ病」をご覧になられましたか?

アフリカのタンザニアにハッザ族という民族がいます。今でも狩をして生活をしている民族です。以下はハッザ族の人たちの言葉です。

「朝起きたらそれだけで幸せ」
「今まですぐに寝れなかったことはない」
「私は家族にとって価値のある人間だ」

学者によるとうつ病に無縁の答えは平等な暮らしのため、現代社会の人たち持つ悩みがほとんどないからということでした。

ハッザ族の人たちは獲物を分け隔てなく平等に分けて、獲物を独り占めすることは絶対ないそうです。つまり損得で生活しているとうつ病になりやすく、公平という考え方を持つことでうつ病になりにくいということです。

これをもとに研究をしている人がいました。うつ病では扁桃体からのストレスホルモンの分泌が過剰になっていることがわかっています。その研究では人は損をした場合も得をした場合も扁桃体からストレスホルモンが過剰に出ており、公平な場合にはストレスホルモンが少なく出ていたのです。

では現代社会で暮らす僕たちがうつ病になりにくい状態にするにはどうすればいいのか。この研究からは損得で物事を考えないこと、ということになります。でもそれは日本に暮らす一般の人間からすればかなり難しいことでしょう。なぜなら僕たちは幼いころから「~さんよりも私は得をした、損をした」、「前は得をしたのに、今回は損をした」という損得勘定の社会で生きてきたからです。

それではどうすればいいのか。僕なりに2つの方法を考えてみました。
1つ目は「自分が少しくらい損をしてもいいや」という考えを持つことだと思います。「それくらいならいいよ」と他の人よりお金を少し多く出す、他の人が嫌がる仕事をする、自分から何かを人に提供する。僕が今まで出会ってきたそんな人たちはみんな幸せそうに暮らしている気がします。その逆の損得勘定が出てしまっている人はいつも何かに不満を持っているように見えます。

2つ目です。損得勘定というのは何かとの比較の中で生まれます。そこで、他の人と自分、または過去の自分と今の自分を比較しないことです。他人や過去の自分と今の自分を比較しなければ、少なくとも損得を考えることは少なくなるでしょう。

「少しくらい損してもいいや」と「比較しない」
僕自身もこれから実践していきたいです。

2013年11月10日日曜日

地域の診療所の連携の講演会で講演させていただきました



 昨日は地域の精神科の診療所の先生方のお誘いを受けて、診療所のスタッフの方を対象に発達障害のお話をさせていただきました。みなさん、すごく熱心に聴いていただき、質問をお聴きする中で、普段真摯な姿勢で患者さんに向き合われてる気持ちが伝わってきました。そのうれしさの反面、自分がうまく説明できなかったり、早口になってしまったり、自分のプレゼン力がまだまだだなと内心はへこんでいました。

 僕は講演の前の準備はできるだけ時間をかけて内容を練るようにしています。アメリカのゴア副大統領はプレゼンの達人と言われています。90分のプレゼンに90時間の準備時間を費やすそうです。プレゼンは普段自分が考えていることを立ち止まって考え直し、その考えを整理し、人に伝えられるチャンスです。自分がどんなに素晴らしいことを考えていても、それに共感してくれる人がいなければそれはただの独りよがりな考えになってしまいます。だから人に何かを伝える能力というのは本当に大切です。能力がありながら、伝える力の乏しい方はもったいないなあと思います。なので考える力と伝える力の両方が必要なのです。僕は両方まだまだです(笑)。
 また、講演では他の人に自分の考えをお話して、ご意見をいただくことで考えの修正もできます。さらに人前で話すことは緊張はしますが、その緊張感、達成感は何物にも代えがたい興奮です。なので、僕は講演は大好きですし、依頼をいただいた場合には極力お受けすることにしています。それが自分を成長させるチャンスだと感じているからです。

2013年11月8日金曜日

患者さんとの関係を作るための時間

患者さんとの治療関係というのは精神科における大きなテーマです。関係ができていないと治療が進まない、進められない。逆に関係ができていると同じ言葉、説明であったとしても、しっかり理解してもらえます。

治療関係ができるまでにかかる時間は患者さんによって違います。それは人対人なので当然かもしれません。あくまで僕の印象ですが、初めて会ったときから関係が気付けた気がする(?)ときもありますし、何か月もたってからようやく徐々にできてくる関係もあります。

もちろん初診時の関係は非常に大切です。その時に関係がうまくできないと、それ以降の治療ができずに、残念な気持ちになることがあります。患者さんとしては切羽詰まってこられるので、すぐに結果がほしいと思われるのは当然です。しかし精神科の治療はどうしても時間がかかってしまうことがほとんどです。なので、患者さんの状態と状況によりますが、しっかりとした治療が必要な方は僕としてはせめて3か月(この間の治療の回数は人によって違います)は通っていただきたいなと個人的には思います。

それともう一つ。
僕は最近、徐々にできてくる関係のほうがより丈夫な関係を築けて、治療がしやすい気がしています。時間をかけてお互いの関係を気付いていくと、僕の治療への考えを患者さんや家族に説明する時間があること、お互いの性格がわかってくること(笑)、僕自身も患者さんの状態を把握するのに時間をもらえることから、治療がしやすくなります。お互い人間ですから当たり前ですよね^^

精神科の治療は人対人でするもので、検査や薬だけでするものではありません。

そのために患者さんとの関係を時間をかけてしっかり作りながら、治療して行けたらと考えています。