2014年12月30日火曜日

時間をかけて良くなる

はじめてお会いするときはすごく状態が悪くて、すぐにでも治療が必要な患者さん。薬を投与すると、速やかによくなって、数か月後にはもう来なくなってしまう。薬は自己中断されている。そしてまた半年、1年ほどすると、同じ症状で受診される(病院なら救急車が多いですね)。精神科医なら誰もが出会う患者さんです。実際に、うつ病の患者さんに抗うつ薬を投与して、半年後には半数以上の人が内服を自己中断しているという報告があるくらいです。もちろん経済的な理由を含めて理由は様々あるとは思いますが。。。

統合失調症、うつ病、双極性障害など、いわゆる精神病で、発病すれば一生続く可能性のある慢性疾患にも関わらず、最近でてきている薬の効果がすばらしくて、速やかによくなる。そうなると、病気の実際の重さよりも、患者さんにとっては「のどもと過ぎれば」の要素が大きくなってしまう。小児科時代なら、喘息やネフローゼ症候群の方に多かった気がします。さきほど挙げた精神病はその人の人生と命(死因で多いのは自殺)にかかわる病気です。

いい薬があることは素晴らしいことのはずなのに、速やかによくなることが果たしていいことなのか、疑問に思うことがあります。

そのために精神科を含めた医療では心理教育といって、医療者が病気の説明を丁寧にして理解していただこうというのが常識です。しかしそれをどれだけ時間をかけて一生懸命しても難しい患者さんがおられます。僕も精神病の患者さんやご家族に毎週のようにお会いして、説明して、それでもだめだった経験がいくつもあります。実際、今クリニックの外来だけの診療になっても結構な確率でお会いします(僕の説明が拙いというのもあると思います)。そのとき、病気って、あまりにあっさりよくなってしまうと、そのときの辛さを忘れてしまうのかなとも考えます。

人は一つのことを深く理解したり、受け入れていくには時間が必要なようです。医者として倫理的にこんなことを思っていいのか自分自身でも葛藤がありますが、病気とはすごいスピードでよくなるよりも、じっくりと時間をかけてよくなることのほうが、最終的にはその人にとってはいいのではないか、と思います。

2014年12月28日日曜日

地道を超える魔法などない

僕は地道なことが苦手で、せっかちなのですぐに結果を求めようとしてしまいます。そんな嫌な性格を直してくれるんじゃないかと思う言葉に出会いました。

先日のプロフェッショナルに出られていた漫画編集者、佐渡島庸平さん、35歳。漫画家と直接契約して、創作をサポートする会社を経営されています。大手出版社から独立して、33歳で今の会社を立ち上げたそうです。

「魔法の一手を探してないんです。僕には魔法の一手はないんだと思って。みんなが面倒くさがっていることをずっとやり続ける。1個1個丁寧にずっとやっていくことによって、爆発するんだというイメージがわいてると、その1個1個の面倒くさい作業っていうのも、必要な作業だから楽しみながらできるんです」

すごく説得力がありました。僕は患者さんを診療するという仕事自体は地道であると思っていながら、どこかでホームランを狙ってしまう。一足飛びになんとかならないかみたいなすけべ根性がぬぐいきれません。日々の勉強にしてもそうです。

人は自分の毎日の仕事が単調に見えて(見えてるだけかも)、地道で泥臭いことを軽視してしまう。でもこの地道な作業の先の爆発をちゃんとイメージできれば、1つ1つの仕事や作業を大切にできる。

菜根譚にこんな言葉がありました。


「伏すること久しきは、飛ぶこと必ず高く、開くこと先なるは、謝すること独り早し」

長い時間をかけて鍛錬したものが長く高く続くことができる。短い時間で花を咲かせようとすると、早く散ってしまう。

日々の地道な仕事や勉強を大切にするために、今目の前にある1つ1つの仕事の先にある爆発を意識してイメージしていきたいと思いました。

2014年12月26日金曜日

人は口に出したままの人生になる

人は口に出したままの人生になる。

こんな言葉を聞いたことがあります。つまり、「幸せだな」と言っていれば、幸せになるし、「自分はついてない、不幸だな」と言えば不幸になる。僕は外来診療が主な仕事で、毎日のように多くの人にお会いしますが、確かに、小さなことに幸せを感じている人はやはり元気になっていくし、小さな不満をずっと言う人はいつまで経っても、そのまま元気になれない。愚痴を言い続けている人はやはり、それ相応の人相、人生になっていく気がしてなりません(もちろん、それを何とかするのが僕の仕事です)。

ある有名な作家さんはあまりに売れない生活が続きすぎて、夫婦でご飯と漬物だけを食べてるのに、「このビフテキうまいなあ」と二人でお互いにしゃべるながらご飯を食べていたそうです。それは一見、空想で馬鹿みたいで、今の貧しさをごまかしているだけに見えますが、自分の気持ちを少しでも幸せな状態にしておく、心だけは貧しくならないために発していた言葉ではないかと思います。

辛い時に、「ついてないなあ、どうせ自分なんて」。自分の心を慰めるために、一時的に人はこんな言葉で自分を慰めます。でも一通り悲劇のヒロインの時間が終われば、最後は「でも私には~があるから、まだ幸せかな」と何か自分が今持っているもので、「幸せだな」で終わらせてあげることが、その後の人生を変えていくのではないかと感じています。

2014年12月21日日曜日

人から評価されるのは危険なこと

最近、俳優の樹木 希林さんが旭日小綬章を受賞され、そのときにインタビューで「人から評価されるのは危険なことです。賞をもらった時に自分を見失わないようにすれば、次につながる」と言われたそうです。

この人はわかっている人なんだなと思いました。日本を代表する俳優であり、これまでたくさんの評価を受けてきた人の言葉がこれとは。この世の中、みんな自分のことを評価してほしくて仕方ない人たちばっかりなのに、受賞した時にこの言葉が出てくるということは樹木 希林さんは常日頃からこんなことを思っているのでしょう。


人から評価を受けた後に、どういう行動をするのかが大切であることを学びました。



2014年12月17日水曜日

自分で自分の頭を撫でてあげてください

「自分はこんなにがんばっているのにな」って思いながら、なかなか結果が出ない、認めてもらえない。むしろそれが裏目に出て人からの批判を受けたりすることもあるでしょう。一方で、自分のがんばりを認めてもらえたり、ほめてもらえることなんて、ほとんどない。ごくたまにあるくらいです。多くの場合、心の中で一人でみんな耐えている。最終的には今の辛い現状をやり過ごすためには自分で自分を慰撫するしかないと思うんです。自分にとっての一番の主治医は自分です。

生きてるだけで辛いことはほっておいても勝手にやってきます。そんな状況にありながらも人は歩いている。そういう意味で行くと、がんばってない人なんて世の中にいないんじゃないかな。辛くなった時は、実際に「えらい、えらい」って言葉にして言いながら、自分で自分の頭を撫でてあげてください。今を生きてるだけで、十分がんばっているわけですから。

2014年12月15日月曜日

やせているということが美徳になる文化

僕はプレゼンにすごく興味があって、好きなので、NHKのスーパープレゼンテーションをよく見ます。

今回はアメリカを代表するトップモデル、キャメロン・ラッセルさん。彼女は「ファッション業界の偏った美しさの基準が世の女性たちを苦しめている。痩せた白人が美しい、そのイメージを広めてきて、罪悪感を感じるし、非難されて当然」。摂食障害の人たちに向けてそんなメッセージを送っています。

やせていて、スタイルが良くて、服を買いに行った時に似合う体でいたい。多くの人が思うでしょう。僕もそう思います。でも太っている女性が美しいとされる国もあるわけです。僕らの価値観って、所詮、誰かが作りだしたものに乗せられているだけなのかもしれません。

当院にも摂食障害で悩む患者さんたちが来られます。自分の体型のことが頭から離れないし、それを気にしすぎていることも重々承知している。でも体型のこと、食べ物のことが頭から離れない。しかもそんな話を人にできないし、自分でもどうしたらいいのかわからない。やせていることは美徳であり、他のことはだめだけど、やせている自分だけは肯定できる。もしかしたらやせていることだけが自分を肯定できる唯一の材料なのかもしれない。すべて僕が患者さんからお聴きした言葉です。

もちろん、やせていることを美徳とする文化だけが原因ではないでしょう。しかしその一端を担っているのは事実かもしれません。

またキャメロン・ラッセルさんはこうも言っています。「女性の価値を見た目だけで判断する社会は馬鹿げている。ファッションを楽しんで、内面も磨いてほしい」。摂食障害で苦しむ患者さんたちに何か助けになればと思います。

2014年12月13日土曜日

人間万事塞翁が馬

今年のプロ野球パリーグのMVPはオリックスの金子投手でした。16勝5敗、防御率1.98。負けない投手との評価で、オリックスでは1996年のイチロー選手以来だそうです。

金子投手はリーグを代表する投手になれたのは?という質問に「けがをしたから」、「投げられなかった時期にどうすれば抑えられるか、他の投手が考えないようなことを考えた」と述べていました。

僕は新聞でこの2つの言葉を見た時、いろんなことが頭を巡りました。一つは「人間万事塞翁が馬」という言葉。これは何が禍で、何が幸せなのかわからないというあまりにも有名な故事ですね。金子投手はけがをして、思うように投げられない時期を過ごしたわけです。そのことで、自分のピッチングを見直すことになり、今回のような結果が得られた。

そしてもう一つ。自分が投げられない、つまり仕事ができないときに何を考えるのか。辛い状況をただ我慢するのではなく、その時期に打開策を模索するということ。これはさらに一段階辛いこと。いや、辛いからこそ打開策を人は考えたくなるのかもしれません。

いつも思うことですが、人は調子や状態がいいときは誰でもご機嫌に楽に過ごせます。大切なのは苦しい時、雌伏の時をいかに過ごすのかなのでしょう。

2014年12月9日火曜日

ちょっと損をしたらいい

僕の祖父は1940年に韓国の田舎から日本に渡ってきました。祖父の家は村で一番の貧乏で、祖父は給食代が払えず、小学校4年生までしか学校に行けなかったそうです。その当時日本の統治下にあった韓国の田舎には職がなく、日本に行けば仕事があるらしいという噂を聞いて、祖父は18歳で日本に渡ってきたそうです。それから60年余りを日本で過ごして他界しました。その祖父がいつも言う口癖がありました。「ちょっと損をしたらいい」。

僕の中ではこの言葉が特に印象が強く残っていました。なぜなら僕自身、幼いころから自分が打算的でせこい人間であることを知っていたからです。なので、自分自身が人との関係の中で損をしてるということを感じると、いつも自分を慰めるためにこの「ちょっと損をしたらいい」という言葉を思い出すようにしていました。ちょっと損をすれば、あとで自分にまた運が回ってくるという意味です。

そんなとき、コメディアンの萩本欽一さんの本に出会いました。萩本さんは幼少期は裕福な家庭で育った後、中学生のときにお父さんの事業が傾いたことで、高校に行くための革靴が買えず、学校のあとはバイトをしなくてはならない生活をされていたそうです。そんな中で、萩本さんが高校の夏休みにとんかつ屋さんでアルバイトをしたときのこと、萩本さんを含めて同時に3人の高校生が雇われたそうです。そのときにお店のおばちゃんが「仕事は3つある。カツを揚げる人、配達をする人、皿洗いをする人」と言われた時に、萩本さんは一番に「僕、皿洗いします」と言ったそうです。それを選んだ理由は誰でもカツを揚げたいけど、それを選ぶと他の2人と仲が悪くなる、みんなが嫌がる皿洗いをしたほうがもめない、そしてもしかしたらお店の人によく思ってもらえるかもしれないという理由だったそうです。それで皿洗いを一生懸命にして夏休みを終えた最後の日、お店のおばちゃんから萩本さんだけが呼び止められて、「これからも働いてくれない?」と言われたそうです。そのときに萩本さんが思ったのは自分から損をしてたり、一生懸命していれば、やっぱり誰かが見てくれているということ。

今、ちょうど「私の履歴書」で萩本欽一さんが連載されてますよね。あまりにもうれしくて毎朝楽しみして読んでいます。みなさんもチャンスがあれば、萩本欽一さんの本、読んでみてください。「ちょっと損をしたらいい」。いい言葉だなと思います。

2014年12月6日土曜日

人は逆境にいるときこそ成長している

これまで何度となく、いろんな人や本の中で「中国の古典を読みなさい」と言われてきました。それで中国の古典をたくさん買ったきたのですが、なかなかとっつきにくくて、少し読んではやめるということを続けてきました。しかし、今回、NHKで菜根譚を見て、自分の心に響く古典に初めて出会えた気がしています。菜根譚は16世紀に書かれたとされる処世訓です。実際に読んでみて、これまで自分が悩んできたこと、思ってきたことが400年以上も前に書かれているものの中に答えがたくさんありました。つまり、人や社会は昔から何も変わっていない。色あせないとかそんな言葉で表現できるものではなく、いかに人間社会が普遍的なものであるかを感じました。その中で今回読んでみて、一番いいなと思う言葉を紹介します。

逆境の中に居れば、周身、皆鍼砭(しんべん)薬石にして、節を砥ぎ行いを礪(みが)きて、而(しか)も覚らず、順境の内に処(お)れば、満前(まんぜん)尽(ことごと)く兵刃戈矛(へいじんかぼう)、膏(あぶら・こう)を銷(とか)し、骨を靡(び)して、而かも知らず。
これを訳してみると以下のようになります。

人間は逆境にいるときは、悪いことが重なっても、身辺に起こるすべてが鍼や良薬であって、節操や礼節を高め、行いを磨き研ぐように、真剣にことに当たっているが、自分では実はそのことの大切な意味を悟っていない。ところが順境であるときには天が味方してくれているように思い、周辺のすべてが実は、刀や矛となって自分に鋭い刃を向けている、すなわち、骨身を削られ、体をとろけさせられ、骨抜きにされているのに、自分ではそれに気づいていない。

確かに僕の短い経験を振り返ってみても、順調なときはそれほど自分が成長してるとは思えず、むしろ、何かこれでいいのかなと内心は不安です。でも逆境にいるときは人として成熟し、成長していたように思います。

人は逆境にいるときこそ、知らない間にプラスになるものを得て、成長している。逆境にいるときはその問題を解決するために一生懸命に考えて、苦しいながらに耐えて、なんとか生き残るために人は努力します。でもその時は本人は余裕がないので、それをあまり意識していない。一方で、順調な時は流れに身を任せていれば、それなりに結果が得られるため本当の意味で成長することは難しい。むしろ危険が近づいてきているのに気付かずにいる。ここでさらにすごいのは逆境にいるときも順境にいるときも当の本人はそれに気づいていないという点です。

僕がここで感じた事は逆境のときは苦しい中でもがいているから、ほっておいても成長できます。そしてその成長があとで役に立つ。でも順調なときはそのときが楽なので、努力することを人は忘れがちです。成長が止まるわけです。逆境にいるときはほっておいても人として成長しているのだから、ある意味幸せで、人として最も大切な時間なのかもしれません。そう考えれば、今逆境にいる人も、少し心が軽くなるのかな、なんて思います。

2014年12月2日火曜日

その人のことを本気で労う

人は心が弱った時、自分を否定しがちです。自分の何がダメだったのか、やっぱり自分ってダメなんだ、頭が悪いから、もともとできる人とは自分は違う、などなど。否定的な言葉が頭の中にどんどんわいてきます。

仕事、家族、学校、社会での失敗、悲しい体験などいろんな話をお伺いします。多くの方はその中でもその人なりに精一杯やってこられた方がほとんどです。僕はお話を聴くときはなるべく客観的に聴くようにしています。それでも、どう見ても、一生懸命やってこられたと思うことのほうが多いのです。その当たり前のことにその方自身、周囲の人も気付けてあげられていないことが多い。その当たり前のことをお話しすると、少し表情が柔らかくなることがあります。そこから、その患者さんと少し関係ができるようになると、ご自身のいけなかった部分、言いにくいところもお話してもらえます。

仕事で失敗を繰り返し、周囲からいつも厳しい評価を受けている方がおられました。そこでその人の仕事の課題とその対策を毎週ノートに書いてもらい、その詳細を一緒に見ていきました。すると、その人なりのがんばりがよく見えてきました。そしてその努力を労うと、その方は「いつも先生のその言葉を聞きに来てるんです」と。そのときに気付いたのです。人は苦しい中でも自分が何かを一生懸命しているときに、誰かにそれを気付いてもらいたい、労ってもらいたい。精神科医として、そこにちゃんと気づくアンテナを張れているのか、そこが大切なのだと思いました。