2015年3月30日月曜日

その方の幸せは何なのかに気づいてもらう治療法

2週間連続で週末を休診にさせていただいて、東京で解決志向ブリーフセラピーのワークショップに4日間参加してきました。

今の世の中は原因→結果(問題)という考え方が一般的になっています。僕たちはどうしてもその原因を見つけ出して、それをなんとかすれば問題が解決するだろうという考えになります。この考え方で確かにいける場合もあります。でも僕はこれでうまくいかないことがほとんどで、自分自身でもこのやり方に辟易としている部分が正直ありました。たとえば、児童精神科で一番多い、不登校という問題。不登校の本を読んで、講習会にも参加しました。でも一向によくならない。また不登校の原因を探していましたが、1つの原因だけで不登校になったり、その状態が維持されているということはまずありません。しかも原因を挙げだすと、きりがなく、それらすべて消すことは不可能に近い。つまり原因と結果の関係はそれほど単純なものではなく、複雑であり、わからない部分もたくさんあります。

解決志向ブリーフセラピーとは患者さんが問題だと感じていることにはそれほど注目せず、その方のいいところ、すでにうまくいっているところに注目するように質問をしていき、解決に向けて考えて、ご自身でよくなれるように手助けをする治療であると理解しています。

実は僕は今まで自分ではなぜよくなったのかわからない患者さんたちがたくさんおられました。それがなぜよくなったのかわからずに、それも心の中にずっとひっかかっていました。この治療法を学んで、自分が何をしてきたからよくなったのかを知ることができました(これは僕にとっては大事件です!笑)。それは僕が治すとかそんな大それたものではなく、その方が持っている資源、成功体験を明らかにして、その中で解決に向けて何ができるのかを一緒に考え、その方向に導くための質問(これがほんとに素晴らしい)を繰り返していく治療でした。まさにこれが解決志向なんです。

4日間のワークショップを通して、一番感動したのは解決志向ブリーフセラピーはその方にとっての幸せは何なのかを気づいてもらうための治療法だということです。すでに診療の中に取り入れていますが、これからどんどん診療で使わせていただき、さらにその深さを味わっていきたいと思っています。この治療法を開発された先生方、今回のワークショップをしていただいた先生方に心から感謝いたします。

2015年3月27日金曜日

人の温かさを感じたいときは

今年も非日常に出会うため、春のお遍路に行ってきました。四国をお遍路の格好をして歩いていると、地元の人からお接待を受けることがあります。みかん、ジュース、コーヒー、お菓子などの間食、お遍路さんの宿に泊まればお昼ご飯のおにぎり、あげるものがないからと1000円札をいただいたこともあります。

これだけでも都会で過ごす日々とは明らかに違う非日常ですが、このような物だけでなく、田舎に行けば道で出会う方々が話しかけてくれます。一番多いのは農作業をされている方々との会話です。「何を作ってるんですか?」と聞けば、農作物のことだけでなく、歩いてどこまで行けば何があるのか、地元でのおいしいお店まで教えてくれます。

今回は道を歩いていると、ある車が僕の前で止まりました。何かなと思って車の窓が開くのを待っていると、その車を運転していたおじさんは「次のお寺に行くまでの近道はここをまっすぐ行って、左に入るといいよ」と。都会にいると、明らかに地方から来られた人がいて道に迷っていても、道を教える人はほとんどいません。今回の場合、僕は道にはそんなに迷ってもいなかったけど、その人は僕の前で車を止めてまで僕に道を教えてくれました。さらにそのあとにそのおじさんは自分の用事を終えて、僕を追いかけてきて、「そう、そっちでいいよ」と行って、去って行きました。

僕は田舎の人がみんな温かくて、都会の人がみんな冷たいなんて思っていません。どこに行こうが温かい人と冷たい人はいます。ただ、お遍路の道をその格好をして歩いていると、人の温かみを感じやすい環境に入れることは間違いないようです。今回のようなおじさんはお遍路では決してめずらしくありません。このような方には行くたびに出会います。人の温かみを感じたいなと思われる人にはお遍路をお勧めしたいと思います。今回の写真は高知県の一番西にある宿毛市の入江の夕陽です。海の向こうはもう大分県です。本当に癒されました。

2015年3月23日月曜日

カウンセリングにも副作用はある

副作用といえば薬。しかも精神科の薬は副作用が怖いからとよく言われます。最近のニュースで子供への向精神薬の処方が増えている、それはADHDの薬の処方が増えいているからだとやっていましたね。そういう報道が増えるとそれを見る親御さんたちは「子供への薬の投与はやめてください。カウンセリングならしてもらっていいですよ」となる。診察中によく言われる言葉です。そりゃそうですよね、僕も医者じゃなかったらこんなニュースを見ればそう言いたくなります。

では、はたして、カウンセリングってそんなに安全なのでしょうか。副作用はないのでしょうか。カウンセリングの定義は様々あり、一言では言えませんが、大まかには依頼者の抱える問題・悩みなどに対して、専門的な知識や技術を用いて行われる相談援助のことです。つまり、相談ですから、カウンセラーと依頼者との間で会話が行われるわけです。人と人が会話をするのに相手を絶対に傷つけないなんてありえませんよね。カウンセラーが依頼者を言葉で傷つけて禍根を残すこともある。僕もこれまで患者さんを傷つけたことはきっと少なからずあると思います。特に精神科医や心理士という専門職から言われた言葉というのは患者さんやご家族の心に深く残ります。

なので、カウンセリングだから安全だということはありません。カウセンリグにも副作用があるのだということを念頭において、医療機関やカウンセリングルームを訪ねてみてください。気軽な気持ちでカウセリングをお願いしますと言わないことをお勧めします。そして何よりも、精神医療を提供する僕たちにも精神療法やカウンセリングは副作用があるというのを肝に銘じる必要があると思っています。

2015年3月20日金曜日

マイナス思考も悪くない

プラス思考がいい。マイナス思考、自分を否定することはやめておきましょう。僕もうつ病の患者さんを励ますときによく言う台詞です。

確かに前向きなことはいいことです。気持ちがぱっと明るくなります。僕もそんなことを思っていましたが、先日、新聞でプロゴルファーの藤田寛之さんの記事を見ました。その要諦は以下のようなものでした。


若い頃から自分を過小評価し、たたき上げて実力をつけるという考えでやってきました。社会が豊かになり過大評価がはやる時代のなかで、周りからはマイナス思考と言われましたが、自分を鍛えるためには必要だったと思います。


過小評価や、マイナス思考が批判されがちですが、マイナス思考がない限り、人の成長はないのではないかと感じました。

子供がマイナス思考にならないように自信を持たせましょう。もちろん生きていくには自信も必要でしょう。しかし今の子育ての風潮、育児書が子供の心を守る、自信を持たせるという形で偏重の傾向にあることがいつも気になります。自分の子供が自信をなくす経験、失敗する経験、マイナス思考になる経験。それを親としてみれる範囲でさせることは大切だと思います。生きていくには自信と自省のバランスが必要なのではないでしょうか。

2015年3月15日日曜日

患者さんの価値観や常識に合わせる

毎日、いろんな訴えや要望を持った新しい患者さんと出会います。はじめましてのあいさつから、その患者さんやご家族がどのようなことで来られたのかをお聞きします。お聞きしながら、この人は本当は何を望んでいるのかを考えます。

診断をはっきりさせたい、自分の寂しい気持ちを聞いてほしい、育児がこのままでいいのかという不安を解消したい、病気を治したい、セカンドオピニオンなど、多様です。いかにこれらの患者さんの望みを早く汲み取って、それに向けて頭を使う。

ここで大切なのはこちらがよかれと思うことと、その患者さんが望んでいることは違うことがあるということ。議論は分かれると思いますが、例えば、肺気腫の患者さんが医者にタバコをやめるように言われているのに、患者さんはやめない。糖尿病の患者さんが甘いものを止められているのに、甘いものを食べる。僕の場合なら、躾を受けていないお子さんが来られて、躾をしてくださいと僕がお話しても、「いや、この子がかわいいし、躾なんていらない。私は困ってない」と言われる方もいます(ただこの方も何らかの不安を抱えて来られているはずです)。以前の僕はそれでも、持論を展開して、そのお母さんを説得していました。でも最近思うのは説得はあまり意味がない。それよりも、その患者さん(クライアント)が何を望んでいるのかを正確に把握し(患者さん自身も自分のニーズを把握していないことも多い)、それに合わせて、社会的に間違ったことでなければ、こちらがそれに合わせていく。はっきり言えば、僕の意見なんてどうでもいい。もちろん、中には医者の意見、判断に任せると言われる方もいます。一番困るのは医者の意見を聞きたいと言いながら、それをお答えしたら、その人のお考えに合わず、受け入れていただけない場合。その時はその人のお望みのことを言ってもらえるところに行っていただくしかありません。しかし、これも僕の技量不足(いや、度量不足?笑)かなと思います。

とにかく、価値観を押し付けるというのはかなり無意味だなと思うのです。僕の価値観や常識じゃなくて、その患者さんの価値観や常識に合わせて、できるだけその方のニーズにお応えする。それが大切な気がします。

2015年3月11日水曜日

勉強する理由

医者が勉強するなんて当たり前すぎて、改めて考えるまでもないなとは思いながら、長い間なんとなく頭の中で考えてきて、僕の自分勝手な一定の結論に至ったので、書いてみたいと思います。

はじめは知識がないから、患者さんに説明するために病気やその治療法の勉強を教科書的に勉強していました。もちろん、その後にも新しい知見の吸収は必要でしょう。

でもそれがある程度まで終わっても、それ以降も勉強してるのってなぜか。それは医者として患者さんを前にしたときに、その患者さんの状態をよくできないというのはこの上なくストレスだからです。僕が思う医者として一番しんどい瞬間は患者さんを治せないとき。このストレスさえなければ、毎日面白いように患者んさんをよくして、しかもそれで喜んでもらえて、僕もご飯が食べられる。なんていい仕事なんだろ、最高ですよね。なので、僕が勉強する(当たり前すぎてすみません)理由は知的欲求というのもなくはないですが、自分が仕事中にしんどくならないため、もっと言えば自分が楽をするためです。僕はいつも、診療は息を止めて潜水するみたいだなと思うのですが、治せるとこの潜水の時間はもっと短くなって、息ができるようになる。治せないと、潜水する時間は長くなるし、次回その患者さんに会うときにまた潜水しないといけないので、会うのが辛くなる。

ブリーフセラピーの東大の森先生が本の中でこんなことを書いておられました。

治療者の中に「問題行動・症状はそれなりの機能を持っている」という人がいるが、それを逃げ口上に使っている人が多すぎる。治らない患者なんていない。治せない治療者がいるだけ。治らないことを患者のせいにするなんてもってのほかです。

素晴らしすぎませんか?頭の中が本当にすっきりします。行動療法の山上先生も「若いころは治らないことを患者のせいにしていた自分が恥ずかしい」と同じようなことをおっしゃっていました。早くばんばん治せるようになって、医者という仕事が最高だなと思いたいものです。っていうか、ずっと無理だと思いますが、診療で楽したいです(笑)。

2015年3月8日日曜日

人はみんな、必ず誰かの役に立っている

詩人の吉野弘さんの詩で、「生命は」という詩があります。


生命は自分自身だけでは完結できないようつくられているらしい
花もめしべとおしべが揃っているだけでは不十分で
虫や風が訪れてめしべとおしべを仲立ちする
生命はその中に欠如を抱き
それを他者から満たしてもらうのだ
世界は多分
他者の総和

・・・(中略)

私もあるとき誰かのための虻(あぶ)だったのだろう
あなたもあるとき私のための風だったかもしれない


人はみんな、必ず誰かの役に立っているのに、みんなそれを知らない。そういう意味だと僕は解釈しました。人は辛くなると、自分の存在を否定するようになります。自分は人に迷惑ばかりかけている。自分なんていないほうがいいんじゃないか。自分は誰の役にも立っていないんじゃないか。

そんな患者さんに出会った時、この詩をお勧めしたいと思います。

2015年3月4日水曜日

おめでとうと言われることはそこからが始まり




この度、4年間の大学院の課程を経て、学位(医学博士)をいただきました。

医者になってから医学論文を読むようになり、他の人の論文を読んでいろいろ意見は言うくせに、自分は英語論文を1つも書いたことがないという違和感を自分の中に覚えました。それで大学院に行って、医学論文を書いてみたいと思っていたところ、ご縁があり、獨協医科大学大学院医学研究科でお世話になることになりました。その間、開業もありましたが、主任教授はじめ、多くの先生方のおかげで学位を取得することができました。

これまでいくつかの資格を取得し、その度に思うことですが、資格を取得するということは、決してゴールということではなく、そこからが始まりです。もっと言うなら、入学、卒業、就職、昇進、結婚など人から祝福されること、おめでとうと言われることはすべからく、そこからがスタートなのではないかと思います。その後、自分がどうしていくのかが試される。医師免許をとっても、その人は何もできません。〜専門医をとっても専門の治療などできません。資格を取ったり、昇進したりして、その立場に安住している人たちをたくさん見てきました。自戒の意味を込めて、そのあとにそれに見合う実力をつけるために努力と研鑽を続けているかが大切であると、身が引き締まる思いです。

2015年3月2日月曜日

自分の経験としっかり向き合う

新聞の記事でヤンキースの田中将大投手の言葉に出会いました。

「多少のことには動揺せず、自分が自信を持ってやれるようになるには、それまでの経験の積み重ねが全てです。一つ一つの経験に対して自分がどう対峙して、乗り越えていくか。」

同じ病院で同じように働いて、同じだけ経験しているはずなのに、実力が違う先生たちをたくさん見ました。その実力の違いは日々している経験の振り返りの時間に比例するのではないかと思います。うまくいった場合もそうでない場合にも、自分の経験一つ一つにしっかり向き合うことで、次に違うパターンに出会った時に、頭の中にある経験を分析したデータからその対処法を探すことになります。つまり、頭の中にそのデータがなければ、何も対処法は浮かんでこない。インプットがないのにアウトプットがないのと似ています。

医者の世界ではよく「卒後〜目」という単語をよく使います。僕も最初の5年くらいはそんなことを意識していました。でも、今はそんなのどうでもいい。何十年とされているベテランの先生でも「何してるの?」と思う人もいますし、卒後すぐの研修医の先生でも一つ一つの症例を大切にしてしっかり次に生かしている人もいます。

よく言われる「経験が大切」という言葉は間違ってはいませんが、ただ経験することが大切なのではなくて、その経験としっかり向き合う時間を持ったかどうかのほうが大切だと思います。