2016年1月25日月曜日

仕事は人の為ならず

          患者さんのためにがんばる
    
       ↙︎                 ↖
 
患者さんが喜んでくれる   →    僕たちが幸せ

これは僕がうちのスタッフに去年の当院の方針をお話しした時に使ったスライドにある循環図です。多分、これはどの仕事でも同じですよね。


「情けは人の為ならず」

僕はこの言葉が好きですが、それと同様、

「仕事は人の為ならず」

ではないかといつも思っています。人は他の誰でもない自分のために仕事をしているのでしょう。

2016年1月20日水曜日

精神科医は診察のことをどう思ってるんだろう

昨日の新聞に「服薬自殺未遂者に精神科医の診察は重要」という記事がありました。その内容はこうでした。

薬の過量服薬で自殺をしようとして入院した人の中で精神科医の診察を受けた人のほうが、再び過量服薬する割合が低くなったことが調査で分かった。専門家は「自殺を繰り返させないために精神科医は診察の有効性を理解して患者に接してほしい」としている。

この記事を読んで僕はすごく衝撃的でした。「精神科医は自殺に対する診察の有効性を理解していない」という前提に聞こえます。いや、確かに精神科医自身が自殺しようとした人に対して診察の有効性をそれほど理解していないことがあるかもしれない。こんなことが頭の中を巡りました。自殺に対して精神科医が自分の診察の有効性を理解していないなんて悲しすぎませんか?じゃあ、精神科医は自殺を止められないのでしょうか?(すみません、これ誰に対して叫んでるのでしょうか笑)。ターミナルケアなどの一部を除いて、医師としてはできる限り患者さんの死を防ぐことが最大の使命であると思います。精神科において最悪の事態である自殺を止めるために精神科医はこの世にいるのではないでしょうか(ここ最近は日本の自殺者が減少傾向にあります)。このような調査が行われるような精神科医に対する前提を変えていかなくてはならないと思います。

2016年1月17日日曜日

同じ質を保つことの難しさ

オープンしたての頃に行ったことのある居酒屋さんにまた行ってみました。オープン当初のときの印象は威勢が良く、サービスもお店の清潔さも心地よく、また来たいなと思わせてくれるものがあり、2回目の訪問を楽しみにしていました。しかし、お店に入って、座った途端、テーブルの上にはほこり、威勢がいいのは店長さんだけで、店員さんの威勢やサービスはどこに行ってしまったのかという様相でした。

自分が開業して、一つのお店を維持するという感覚にあるせいか、他のお店の店員さんの動き、サービス、清潔さはもちろんのこと、新規のオープン、閉店も気になります。新しくオープンしたときは誰でも緊張感を持っているため、サービスや清潔感はほとんどのお店で質が高いと思います。しかし、その高い質を維持していくことは簡単なことではないようです。逆にその質を維持できるお店だけが長く続けられるのでしょう。人の振り見て〜ではありませんが、その居酒屋さんでの光景に気持ちを改めて引き締められました。

2016年1月13日水曜日

我が子との距離を模索していくことが子育て

我が子がよちよち歩きの時、こけないように手を持ってあげます。幼稚園に入って制服をうまく着れない時に着せてあげます。小学校に入って時間割ができないときに手伝ってあげます。その年齢に合わせて、どこまで手伝ってあげるのかの判断は子供や環境によって個人差があり、判断はとても難しいところです。どこまで手伝うのか、手伝わないのかの判断の基準はその子がどこまでできるのかをよく観察しているかであると思っています。

よく観察しているのに、子供がかわいいから手伝いすぎたり、期待しているから干渉しすぎている親御さんに出会います。非常にもったいないことです。ちなみにですが、勉強、スポーツ、芸術など、何かに一生懸命なご家庭に多い気がします。

NHKに白熱教室という世界の有名大学の中で特に人気の高い教授の講義を一般の人に公開している様子をテレビで見せてくれる番組があります。その中でソウル大学のキム・ナンド教授がこんな話をされていました。あるソウル大学の学生が大学に入学したとき、高校生のときにまでにはなかった社会での経験をして、「お母さんは社会で生きて行く上で必要なこと以外はすべて教えてくれた」と言ったそうです。あまりにも皮肉なことですよね。

我が子とどこまでの距離を取るのか、本当に難しい問題ですが、徐々に離れていかないといけないことだけは間違いありません。その距離の取り方を模索していくことがまさに子育てなのかもしれません。

2016年1月9日土曜日

人の役に立っているという感覚が自分を元気にしてくれる

たくさんの人にお会いする中で、元気になりやすい人にはある傾向があると感じます。

それは誰かのためにやるべきことを持っている人ほど、辛い状況からでも元気になりやすいという傾向です。人は自分のために生ているように見えますが、自分だけを見つめていると本当の意味で心から楽になれない気がします。誰かのために生きていて、そこで自分に返ってくる感謝の言葉や気持ちを通して、自己肯定し自分を元気にするのではないか。もっと言うなら、自分のために生きているようで実は他の人のために生きていて、他の人のために生きているようで実は自分のために生きている。実は自分も他の人も実は繋がっていている。そんな気がしてなりません。

スーパーの福島屋の会長、福島徹さんがこんなことをおっしゃっていました。

「自己利益の追求だけでは頑張りきれない。人のための方が頑張れる」

僕はここからさらに大きく解釈して、人にために頑張って生きていると辛い時に自分が元気になりやすい。もっと言うなら、人の役に立っているという感覚が自分を元気にしてくれる。実は他の人のためにできることを探してみるのも、自分が元気になれる道なのかもしれません。

2016年1月6日水曜日

師弟関係っていいな

みなさんは年末の「赤めだか」をご覧になったでしょうか?落語家、立川談春さんの前座時代を描いたご本人原作の本をドラマ化したものでした。弟子の考えていることを慮ってくれる師匠、立川談志の思いやりにほろっと泣いてしまう場面がいくつもありました。以前に原作を読んだ時もほろっときましたが、ドラマでもほろっときて、本当にいいお話だなと思いました。

今の日本の時代の流れには合っていないかもしれませんが、僕自身、徒弟制度というのは正直、好きです。尊敬する人を師匠と慕って、弟子になり、そこに師弟の愛情が生まれる。技術だけでなく、人間としても尊敬できる師匠に会いたい(技術と人格は全く別物であると僕は考えています)。そんなことを医者になってから夢想していました。それで実際に今の段階で2人の師匠と呼べる人に出会うことができました。2人の師匠には心から感謝しています。

こんなことを考えていると「啐啄同時(そったくどうじ)」という禅の言葉を思い出します。卵の中のヒナ鳥が殻を破ってまさに生まれ出ようとする時、卵の殻を内側から雛がコツコツとつつくことを「啐」といい、ちょうどその時、親鳥が外から殻をコツコツとつつくのを「啄」といいます。雛鳥が内側からつつく「啐」と親鳥が外側からつつく「啄」とによって殻が破れて中から雛鳥が出てくるのです。両方が一致してはじめて雛が生まれるわけです。弟子が実力をつけてきていることに師匠が気づき、機会を与えることで悟りが生まれる、つまり大事を成すということです。素敵だと思いませんか?僕も師匠にそんな機会を与えていただけるように精進したいと思います。

2016年1月1日金曜日

すべては臨床がうまくなるために

明けましておめでとうございます。ここ最近考えていたことを今年初めてのブログにしたいと思います。

人に与えられた1日の時間はみんなに平等で24時間です。僕にとっての24時間を考えてみました。

僕にとって1日で最も長い仕事の時間、その中でも診療の時間。これは僕には最も重要な時間です。他にはご飯、睡眠、家族、友達、運動、勉強、遊び、読書、旅の時間などなど、挙げればたくさんあるように見えますが、それらすべての目的は1つに収斂されることに最近、気づきました。それはオーバーでもなんでもなく、すべては臨床がうまくなるための時間であるということです。臨床がうまくなるためには日々の診療と勉強は基本ですが、それ以外の時間は僕のコンディションを整えてくれたり、視野を広げてくれる時間です。つまり、すべて僕の生業である臨床がうまくなるための時間と言えます。当たり前といえば当たり前ですね。すべての仕事人は同じではないでしょうか。

僕の大好きなプロ野球の川崎宗則選手が、野球がうまくなる薬があるなら借金してでも買いたいと言っていた言葉を思い出します。僕も臨床がうまくなる薬があるなら、すぐにでも借金します。でもそんな薬はないから、臨床がうまくなるために明日からの1日24時間もいろんなことに使いたいと思います。