2016年4月27日水曜日

精神療法は融通無碍

外来で診療する精神科医の武器として大きく2つあります。精神療法と薬物療法です。ただ、今の段階では薬中心で治療していこうとすると限界があると僕は感じています。なぜなら薬の種類は限りがあり、患者さんの状態の種類は無限だからです。薬の規格に収まらない人がいて当然ですよね。一方で精神療法は患者さんと治療者で一緒に進めていくもので、いわば融通無碍です。そうすると、文字通りオーダーメイドの治療ができるわけです。これから薬物療法も遺伝子研究の進歩からオーダーメイドの時代に入ると言われています。薬物療法と精神療法の療法がオーダーメイドになれば、この両輪で精神科診療はかなり楽なものになります。そんな夢のような日が早く来て欲しいものです。

2016年4月20日水曜日

力のおすそ分け


僕自身のケアのため、癒しを求めていつも行く奈良のお寺で牡丹の蕾を見つけました。春ですね。この蕾にあまりに大きな力をいただいて、独り占めするのがもったいなくてブログに挙げてみました。この日は雨が降った翌朝で露が葉を湿らせてくれて、より瑞々しい美しさを与えてくれました。

2016年4月17日日曜日

どう意味づけするのか

震災のあとになんらかの精神疾患を発症する人とそうでない人がいます。なんでこんな違いが生まれるのでしょう。勝手な僕の考えですが、それは「意味づけ」の違いだと考えています。つまり目の前で起こったことを自分がどう意味づけするのかの違いです。こんなに辛いなら死んだほうがマシだと思うのか、いやこんなことで死んでたまるかと思うのか。どう意味づけをするのかは自分次第です。最近流行っているアドラーがこんなことを言っています。

「我々が状況に与える意味によって、自らを決定するのである」

目の前に起こっているすべてのことは善にも悪にも意味づけできます。僕のおすすめの方法は普段から目の前に起こることにいい意味づけをする練習をすること。そうすれば何かが起こったときに、いい意味づけをする習慣がついているので、いろんなことにいい意味づけをしやすい。こうすれば少しでも人生が楽に生きられるのではないでしょうか。

2016年4月13日水曜日

仕事は楽しいのか

仕事を楽しむことが大切だ。こんな言葉をよく耳にします。仕事って、楽しめるのか。頭の中でいろいろ考えてみますが、今の僕にはまだその言葉の真意が完全にはわかりません。

僕の場合、仕事というのは大きく4つあります。

1. 患者さんと接する診療
2. 経営を含めたクリニック全体のシステムを考える
3.当院のスタッフのことを考える
4. 臨床の技術や医学の勉強

このうち、1については楽しいと思ったことはまだありません。なぜなら僕にとって診療はスポーツの試合本番や将棋の対局のようなもので楽しむというよりも必死で患者さんの状態をよくする方法を考える時間です。楽しむって言葉には何か余裕のようなものを感じます。一方で2、3、4については正直、楽しんでいます。小さなクリニックですが全体のシステムをどうするのか、スタッフとクリニック全体をいかに盛り上げるか。そして臨床をうまくするために勉強したり、患者さんとの診療を思い返してあーでもないこーでもないと考える時間。この時間は最高に楽しい時間です。試合本番で結果を残すための準備やトレーニングの時間とも言えます。そこで学んだことや思いついたことを試合本番で使うわけです。当たり前ですが、この時間がない限り臨床がうまくなるわけがありません。

結論からいくと僕の場合、皮肉な話ですが診療時間以外は十分に楽しめているのかもしれません(笑)。しかしいつの日か、診療自体を心から楽しめる日が来てほしいものです。

2016年4月10日日曜日

求めない時間を持つと心が静かになる

「求めない」から始まる加島祥造さんの詩集を読みました。人は求めないわけにはいかないから求めてもいいんだけど、求めない時間を持つと心が静かになる。そんな詩が出てきます。

この詩集を読んで、自分を振り返ると、寝てる時間も含めて24時間365時間、自分が常に何かを求めて生きて来たことに気付きました。でも実は、この詩集に出会う前から常に求める自分の生き方が自分を疲弊させていることには薄々気づいていました。この詩集に出会ってから、詩集を読ん出るはずなのに、大自然に中で自分が解放されている感覚を覚えました。1日の中で求めることをやめる時間を少しでいいので作ってみるのはいかがでしょうか。決して難しいことではありませんし、誰にでもできることであり、ご自身の心の姿勢次第です。すると、本当の意味で自由を得られ、心が静かになるかもしれません。

2016年4月7日木曜日

苦言をもらえるという幸運

当然ですが、社会人になって、何度となく苦言をいただきてきました。病院に勤務しているときには耳が痛いことが多く、その苦言が聞けるかどうかは相手の方の意図や言い方で決まっていました。良かれと思って言ってくれていればもちろん素直に聞けますが、少しでも悪意が入っていたり、その方のストレス発散かなと思えば、表面的には聞きますが、ほとんど頭には入っていませんでした。どちらかと言えば、勤務医のときは半分以上は真面目に聞けていなかったと思います。

ところが、クリニックを開業して、患者さんから苦言をいただくとなると、不思議なことにほとんどの苦言を聞けてしまうんです。それが自分でも不思議でした。その理由を考えてみると、まずは何よりも自分が開業しているという時点でいただいた苦言が改善すべきかどうかを検討するのに必死になります。だって誰も守ってくれませんから。2つ目にわざわざ苦言を呈してくれるということ自体がすごいことだなと思うんです。なぜならわざわざ僕に苦言なんて言わなくてもいいわけです。僕自身もたまたま1回入ったお店で対応が悪かったり、満足できなければもうそのお店には2度と行きませんし、何が満足できなかったかなんてわざわざ言いません。だいたい面倒じゃないですか。黙って、もっといいお店に行けばいいだけで、そのお店にこだわる理由なんてありません。わざわざ苦言を呈してくれるということは、残念だったという気持ちがあったか、次回に期待して僕たちに言ってくれている可能性があります。

また誰かが(神の啓示か)僕に改善すべき点を教えてくれてるんじゃないかとも感じます。苦言を言われてる方がどんな意図があれ、それが何らかのヒントになる可能性があります。それらを全てではありませんが、自分を責める材料ではなく、改善点として受け止められるようになりました。

こうやって考えると、結局は自分で開業するから、苦言を聞くときの姿勢まで自分の中で変わったのだなと思います。苦言をもらえるという幸運に感謝です。

2016年4月2日土曜日

清潔であること


4月ですね。ニュースでは新年度、新入社員やら、大阪では今週末は花見で盛り上がっていますね。新年度に合わせたわけではありませんが、クリニックの門を開業して初めてスタッフがきれいに再度塗り直してくれました。当院は大通りに面しており、人や車の行き交う中にあるので雨風に立ち向かってクリニックを守ってくれている大切な門です。自分が開業してから、いろんなお店の看板や内装を見るようになって、「お金をけちらずにきれいにしたらいいのにな」と思うことが頻繁にあります(もちろんそれぞれに事情があられるのでしょうが)。僕自身もクリニックの門はずっと気になっていて、開業しているある友達が指摘してくれて、早くしなければと思って、今回きれいにしてもらいました。お客さんの目線であれば、そのお店が清潔かどうかは無意識に目に入ります。でも経営者側はそれを見逃すことが多い。もしこのブログを読んでくださっている通院中の患者さまの中で、クリニックに関するご意見(外装や内装に関わらず)がある場合には速やかに当院スタッフの誰にでも(僕も含めて)教えてください。よろしくお願いいたします!