2025年10月31日金曜日

ほとんどの人はいつでも子どもに戻れる

 偶然、地域の中学校の吹奏楽部の演奏を聴く機会を得た。40人はいるだろうと思われる中学生たちが整然と並んで力強く演奏してくれた。子どもたちから出てくるパワーに飲み込まれるのが心地よく、それが自分の中にエネルギーとして入ってくるのを感じた。なぜかそれだけで泣きそうになった。

 演奏を聞きながら一人一人の子どもたちの顔を見た。みんな本当に純粋に見える。お母さんのお腹から出てきてからの時間がまだ長くないからかもしれない。純粋さと力強い演奏が相まっていろんな考えが湧いて来た。当院に来てくれている子どもたちで吹奏楽部に所属している子は多い。そこには楽しさだけでなく、人間関係やし烈な競争があると聞く。今演奏しているこの子たちも楽しいばかりじゃなく、いろんな思いを持ってこの舞台に立っているのだろう。他の考えがまた浮かんできた。演奏している子供たちのように純粋なのは大人も同じだ。診察をしているとずっと心の鎧をまとったままの人も中にはいるが、多くは純粋な思いを話してくれる。童心に返ったような姿で泣いたり、喜んだり、笑ってくれる人も多い。子どもも大人もみんな大人になろうとするが、いつでも子どもに戻れる人たちがほとんどじゃないか。中学生の演奏を聞きながらそんなことを思った。

2025年10月24日金曜日

親は子どもの困難を本人以上に心に刻んでいる

 高校2年生のとき、僕は身体の大きい同級生からいじめを受けていた。廊下を歩いていると肩をぶつけてきたり、後ろから「殺すぞ」とささやかれたり。どうすることもできず我慢して過ごしていたある日、親父が「何かあるんか?」と聞いて来た。僕の表情がおかしかったのだろう。泣きながらあったことを話すと親父はすぐに担任の先生の自宅に電話してくれた(当時は学校の名簿に担任の先生の自宅の電話番号まで記載されていた)。僕が大人になってからも親父はそのいじめを悔しがってくれた。

 親というのは子どもの困難について本人以上に心に刻んでいるように思う。僕自身が親になってみて子供たちの過去の困難を思い出したとき今も胸が痛み涙が出てくる。しかしそれを子供に話すと「そんなこともありましたね」って平気な様子で笑っているのだ。それに困惑しながらも親とはそういうものなんだと思うようになった。

 いじめの話には後日談がある。20年以上が過ぎた同窓会で僕をいじめていた同級生と会った。偶然近くに座ることになり、周りの友達らはそれぞれ話をしていたため二人の時間ができたときだった。その同級生が突然口を開いて「あのときは悪かった」と言った。僕は驚くと同時にありがたかった。この子も自分がしたことを覚えていて、大人になりながら罪悪感を抱いて生きていたのだろう。自分の過ちをその相手に対して直接謝罪することは容易ではない。彼にどんな背景があったのかまではわからない。唐突なことに僕は「過ぎたことやん」としか言えなかった。

2025年10月17日金曜日

生きやすい形で生きることが自分を一番成長させる

 最近無性に気になることが多くて本を買いまくっている。そんな自分を見て僕って人生を縦に生きたいんやって思った。僕の買う本って仕事である精神療法の本はもちろん、生き方、自叙伝、文章の書き方、プレゼンの仕方、古典、思考、歴史や沖縄に関するもの。いずれも自分の成長の肥やしになるもの。興味というのもあるが何かを得たいという気持ちのほうが強い。でも人生を横に生きたい人もいる。今のままで十分なのになんで頑張るの?あくせくするより心豊かに生きたい。そう考える人も多い。でも僕にはそれができない。むしろ横に生きている人がうらやましい。

 僕は自分の成長、家族の成長、スタッフの成長のために生きてる。成長って縦に生きなくてもできるのに。「足るを知る」という言葉どおり、横に生きても人は成長できるし幸せになれる。ところがどうしてもそれができない。いつの日からかドラマ、映画、小説が楽しめなくなった。何度も試みたが導入部分ですごい引力で引っ張ってくれないと見続けていられないのだ。描写、伏線、その後の回収を煩わしく感じてしまう。それよりもストレートで、わかりやすく自分の成長につながるものを求めてしまう。

 そんなことをぐるぐる考えているうちに自分が生きやすいやり方で生きたらいいやんって声が聞こえて来た。「この本は読んでおかないと」「この映画だけは観ておかないと」「これだけは食べておかないと」みたいなコピーをよく見る。もちろんその方々は仕事として顧客の購買意欲をそそるために書いているのだから何も悪くないのだが、そんなものは世の中にはないと思う。別にその本を読まなくても、その映画を見なくても、それを食べなくても幸せに生きている人はたくさんいる。みんなが素晴らしいというものに何も感じられなくてもいい。ずっと後になってその素晴らしさに気づくかもしないし、一生気づかないかもしれない。それでもいいと思う。生きやすい形で生きることが自分を一番成長させるのだと思う。

2025年10月10日金曜日

睡眠は人生を変える

 思い返せば大学生のときからだったと思う。毎日何か予定を入れてしまうのだ。授業が終わったら部活、アルバイト、遊びの約束、旅行。内容は何でもいい。家でただボーっとして何もしない時間がとにかく苦手だった。親父からは「一日くらい休めよ」と諭された。弟が一日家で本を読んだり、昼寝したりしている姿が不思議でならなかった。気づけば毎日予定をこなすという生活を30年近くしてきた。授業が仕事に変わっただけだ。

 この夏、身体が無性にだるくて、夜になると熱が出る生活が2週間ほど続いた。仕事が終わると寒気がして熱と冷や汗が出て呼吸が早くなるのだ。休日になると眠気が襲ってきて起きていられない。そのときふっと思いついた。慢性の睡眠不足だった。1日7時間は寝ていたものの、3,4時間しか寝れない日でも翌日が仕事なら当然出勤する。休みの日も何かしていた。僕はそれに無自覚だった。「タイム・オフ」を読んで休息が大切なことに気付いても休息=仕事以外のこと、とまだ誤解していたようだ。僕にとって休息の究極は睡眠だった。そうやって振り返ると、これまでの自分の生活が違って見えて来た。思考がネガティブになり自分や人に攻撃的になっていた。そんな自分が嫌だったがどうしていいかわからなかった。時間が空くと無駄にモノを買ってしまったり、飲まなくていいお酒を飲んだり。さすがに昔のように無駄に人と会うことはしなくなったものの、休息になっていないのは同じだった。食生活や運動量は変えていないのに少し体重が増えた。加齢だけでなく睡眠不足で代謝が落ちているのではと邪推してしまう。

 このブログも休日に書いている。そうなるとブログなんか書かずに寝ろよと自分に言いたくなる。昨日は12時間寝た。朝ご飯を食べてまた寝れそうだからと布団でまどろんでいると書きたいことを思いついてこうやってパソコンの前に座ることにした。でもまた眠気が来るのを待ちたい。睡眠は人生を変える。体がそう気づかせてくれた。

2025年10月3日金曜日

親孝行

親孝行するようにってよく言うけど、子どもは生まれた瞬間からずっと親孝行していると思う。生まれてきてそこにいてくれるだけで親にとってはありたがいから。そんな気持ちでいると子どもも自然と親がいてくれるだけでありがたいと思うんじゃないかな。