高校2年生のとき、僕は身体の大きい同級生からいじめを受けていた。廊下を歩いていると肩をぶつけてきたり、後ろから「殺すぞ」とささやかれたり。どうすることもできず我慢して過ごしていたある日、親父が「何かあるんか?」と聞いて来た。僕の表情がおかしかったのだろう。泣きながらあったことを話すと親父はすぐに担任の先生の自宅に電話してくれた(当時は学校の名簿に担任の先生の自宅の電話番号まで記載されていた)。僕が大人になってからも親父はそのいじめを悔しがってくれた。
親というのは子どもの困難について本人以上に心に刻んでいるように思う。僕自身が親になってみて子供たちの過去の困難を思い出したとき今も胸が痛み涙が出てくる。しかしそれを子供に話すと「そんなこともありましたね」って平気な様子で笑っているのだ。それに困惑しながらも親とはそういうものなんだと思うようになった。
いじめの話には後日談がある。20年以上が過ぎた同窓会で僕をいじめていた同級生と会った。偶然近くに座ることになり、周りの友達らはそれぞれ話をしていたため二人の時間ができたときだった。その同級生が突然口を開いて「あのときは悪かった」と言った。僕は驚くと同時にありがたかった。この子も自分がしたことを覚えていて、大人になりながら罪悪感を抱いて生きていたのだろう。自分の過ちをその相手に対して直接謝罪することは容易ではない。彼にどんな背景があったのかまではわからない。唐突なことに僕は「過ぎたことやん」としか言えなかった。
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