NHKの「最後の講義」という番組がある。各界を代表する人たちが「今日が人生最後の日だとすれば、何を語るか」という問いに答えてくれるのだ。そこに漫画家の西原理恵子さんが出ておられ、漫画の一説にこんな言葉があった。
目に見えない暴力がある。人格を否定するような暴言、細かく監視するなどの精神的嫌がらせ、あなたや家族に危害が加えられるのではと思わせる脅迫。
要するに、精神的に追い詰めてくる言葉は暴力なのだ。思わず、涙が出てしまった。これまで見てきた人のことを思い出したからだ。僕は善意で接していたが、どういうわけかその人たちは悪意満々で僕を苦しめることに全力だった。罵詈雑言なのか、美しい言葉でいたぶるかの違いはあるものの、持てるだけの知恵を絞って僕を苦しめたいという意図は同じだった。
そのとき僕は自分の善意が全く伝わっていなかったことへのショックに加え、悪意だけで攻撃してくる人間というものの姿、何をしてくるかわからないという不安。そんなことが頭をぐるぐる回る。そんなことがあるたびに自分が悪かったのではないかと考え直すのだが、どう考えてもそんなことはなかった。何度も経験すると、多少の耐性やどう対応するかは見えてきたものの、しんどいことに変わりはない。そのたびに「大人だからこれくらいは耐えないと」「自営業をしているならこれくらいみんな超えてきている」、そんな言葉で自分の気持ちを収めてきた。それでも収まらないときは「仕方がない」と言う言葉で、強引に気持ちを抑え込んでいた。
でも西原さんの言葉で気づいた。その人たちの言葉は物理的な武器を使っていないだけで、完全な「暴力」だった。僕はそれがわかったことで安堵感を覚えたのだと思う。言葉の暴力という単語は手垢がつきすぎて、僕の中に入ってきていなかった。
そしていつもの僕のクセで、人の悪い部分に気づくと、それが自分の中にもないかをチェックしてしまう(良い部分についてはそんな想像はしないのに)。僕だってお店の店員さんにキツイ口調で言ったことがある。そこに悪意がなかったかというと嘘になる。
悪意のある言葉は暴力なのだ。自分を戒めなくてはと思った。
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