2021年6月25日金曜日

大切な人の役に立てなくても自分を責めなくてもいい

 もしかしたらこの人は自分のことをわかってくれるかもしれない。そんな思いで恐る恐る自分の気持ちを話すことがあります。そんな時、もしもその人が自分の気持ちを分かってくれなくても、寂しがる必要はありません。なぜならその人も自分の人生をその人なりに精一杯生きていて、そこまでカバーできないことがあるからです。言うならば、自分以外の他の人の気持ちをわからないのが普通です。にもかかわらず、この人は自分の気持ちを分かってくれたと思えたときは本当に感謝したほうがいいのかもしれません。そんなことはそう多くないからです。逆にいうと、もし大切な人の役に立てなかったり、癒してあげることができなくても自分を責めなくてもいいのです。

2021年6月18日金曜日

なぜ人はいくつになっても親に褒められたいのか

 なんとなくそんなことを考えてみました。幼い子どもにとって、自分ができないことができる、知らないことを知っている、身体は比較にならないくらい大きい。子供にはとても強烈なインパクトを与えます。子どもにとって親はスーパーマンのような憧れの存在になりやすい。そのインパクトは大きすぎて、大人になっても残像が残る。そんな憧れの人から褒められることは、元子どもの大人にとっても大きなことです。だから人はいくつになっても親に褒められたい。そんな気がしました。

2021年6月11日金曜日

今のこの時間は必要な時間かもしれない

どうしようもなく辛い時。もしかしたら今のこの時間は必要な時間なのかもしれません。いつかこれが思い出になったり、実は意味がある時間であったりするかもしれません。

2021年6月4日金曜日

ADHDという特性を持って大人として生きることは、きれいごとばかりでは済まない

偉人の中にはADHDが多い、ADHDの人たちには個性があり、その個性を生かしていきればいい。そんな文言をよく目にします。ところが最近、自身がADHDである著者の本の一節にこんなことが書いてありました。


 ADHDの大人は、子どもの心を持ったまま厳しい大人の世界を生き残らないといけない


たしかにそうかもしれません。子どものように、いろんなことに興味を持ち、思ったことをそのまま行動に移す。そこに決して悪意はありません。ただ、それで大人の社会を生きるには簡単ではありません。実際にADHDという特性を持って大人として生きることは、きれいごとばかりでは済まないことがあるのだと思います。