2025年7月4日金曜日

サービスを提供している人への「ありがとう」

 これは僕の偏見だと思う。レストラン、電車、飛行機、いろんな場所でサービスを受けている人の口から「ありがとう」という言葉が聞こえてくる。当たり前の話だ。ただ僕は初対面の大人への挨拶として「ありがとう」はどうしても上から目線に聞こえて、いつも違和感を覚える。そこは「ありがとうございます」だろうと。自分はお客さんだから、お金を払ってるからという意識なのか、その人の言葉遣いが普段からそうなのか。理由はわからない。サービスを提供する人も受ける人も平等であること。これは大切なことではないかと僕は思う。

2025年6月27日金曜日

離島の精神医療を支える人たち

 韓国という国は僕にとって心の柱になってくれている。沖縄という場所は苦しいことがあったときにたびたび心を癒してくれたところだ。この二つは僕にとって特別である。

 時間を見つけては沖縄に行き、本やテレビで外から沖縄を知るうち、沖縄の離島医療がどんなものか気になり始めた。どうしてもその実際が見たくなって調べているうちに離島の精神医療を病院の柱の一つにされている那覇市の首里にあるオリブ山病院の存在を知った。2010年から沖縄の離島精神医療を続けておられるそうだ。今回、無理をお願いして同病院の副院長の横田泉先生、離島医療のマネージメントをされている精神保健福祉士の立津克浩さんの離島診療に同行し慶良間諸島の阿嘉島、座間味島での診療を見学させていただいた。



 患者さんが村役場の隣にある施設に来られる、あるいは医師と病院スタッフが直接患者さんのお宅を訪問する。医師が診察し、薬の処方もその場で電子カルテで行い、精神保健福祉士や看護師などの病院スタッフが会計、次回診察の予約や薬の受け取り方、診断書や困ったときの連絡先の説明など診察以外の業務を一手に引き受ける。診察の情報は常に那覇市内にある病院と共有される。天候や波の状態に問題がなければ当日か翌日には薬がレターパックで島にいる患者さんのお宅に届く。ただ医師が行って診察すればいいというようなものではなかった。医師以外にも同行してくれる病院スタッフ、市内の病院にいながら常にサポートしてくれる病院スタッフ、処方箋をFAXで受けてレターパックで患者さんの自宅まで薬を郵送してくれる市内の薬局スタッフ、村の人たちの健康状態を把握している村の診療所の医師と看護師、普段から患者さんの自宅を訪問している保健師、村役場のスタッフ。多くの人たちが作ってくれるインフラのもとに離島の精神医療は成り立っていた。

「病院に来れない患者さんがいるなら、僕らが患者さんのもとに行く」

オリブ山病院の院長の玉城尚先生の言葉だ。離島医療にかかわっておられる医師や病院スタッフの方々は自らの利益よりも人としての気持ちから離島医療をされていた。しかも離島医療がしたくて、それを楽しんでおられた。

 離島で暮らす人たちが医療につながることは容易ではない。それを支える人たちの美しさに触れた三日間であった。



2025年6月20日金曜日

歳を取ると楽になる

「 ~でなくてはならない」という考えは人を苦しめる。それからずれたときに心に葛藤が生まれるからだ。それから解放されるだけでもかなりの人が楽になれると思う。でも心配はいらない。年齢が上がってくると「~でなくてはならない」は勝手にできなくなってくる。いろんな考えのしがらみから離れていくことはとても心を楽にしてくれる。


2025年6月13日金曜日

目標を持つことは年齢に関係なくすごいこと

 先日のNHKのドキュメンタリーで還暦で医者になった訪問診療医の水野隆史先生が出ておられた。64歳で研修医をされている女性医師の記事を見て、50歳から医者を目指した。5年間で受けた医学部は延べ50校。55歳で医学部に合格し、60歳で医者になったのだ。水野先生を見て医者を目指した元NHKのプロデューサーの先生も出ていた。まるでバトンをつなぐように50歳を超えて皆さん医者になっていた。

 水野先生の患者さんのほとんどは高齢者だ。ある高齢女性が100歳の誕生日を目指して生きておられた。そして100歳を迎えたとき、その女性の息子さん(70歳)が「目標を持つことは年齢に関係なくすごいことだと思う」とおっしゃっていた。僕はこの息子さんの言葉がこの番組を象徴していると感じた。目標を持つことは生きていく上で本当に大きな力になる。

2025年6月6日金曜日

お互いがリスペクトできていると関係は長く続く

年齢が上がるにつれ友達と呼べる人が減って行く。 以前は親友とは言わないまでも比較的定期的に会っていた人が多かった。その友達が魅力的だったり、尊敬できたり、優しかったり、自分の価値観と近かったり。悪いところでいくと自分にメリットがあったり。理由はなんでもいい。今の僕にとっての友達は2つの条件しかないことに気付いた。一つはお互いがリスペクトできること。もう一つは一緒にいて癒されること。まことに自分勝手で申し訳ないがどちらかがあれば僕は友達と思える。ただ、長く続く友達となるとそれはやはりお互いがリスペクトできること。それは友達ではなくとも、すべての人間関係において言えることだと思う。

2025年5月30日金曜日

人は誰かの役に立てるだけで幸せになれる

NHKの「新日本風土記」という番組が好きだ。それぞれの土地に住む人たちの生活を見せてくれる。今回は鹿児島県の指宿だった。指宿では毎年春に「いぶすき菜の花マラソン」が開かれているらしい。番組の中で地域の方々がランナーたちのためにみかん、イチゴ、足湯のための温泉水、かつおの腹皮の炭火焼、プロのマッサージを用意して待ち受けていた。その中で小学生から大人までが小さくちぎったミカンを手に持って道路に並んでランナーを出迎え、ランナーたちがそれを手にしてくれるかどうかに一喜一憂していた。自分が持ったミカンを取ってくれないとしょんぼりして、取ってくれたらそれだけで歓声をあげて隣の人とハイタッチして喜んでいる。人って誰かの役に立てるというだけで力が湧いてきたり、幸せな気持ちになる。それはやっている事の大きさではない。人々の姿に胸がジンとした。

2025年5月23日金曜日

「世間」は何もしてくれない

「 私は〇〇(親、子ども、人)としてこれでいいんでしょうか」

患者さんからよく尋ねられる。生きていると今自分がしている行動が世間では良しとされないと思うときがある。誰もがそんな経験をする。でも大切なのは世間の視線ではなく、自分が元気に生きていくことだと思う。世間は何もしてくれない。自分が生きることを優先してほしい。

2025年5月16日金曜日

その人の「持ちもの」と人間性は関係ない

~の仕事をしている、~大学を出た、~っていうすごいことができる、~っていう有名人と友達。

ネタは何でも同じだが、人はどうしてもこういうものに弱い。もちろん僕も。ずいぶん前のことだが、仕事でとても尊敬していた人が些細なことで攻撃的な発言を始めたとき、愕然とした。本当にショックだった。僕はその人への尊敬の念が強すぎて仕事ができるから人間的にも素晴らしいのだと信じ切っていた。それよりもっと前には職業や学歴がすごい友人を見て、人間的にもすごいのだと勘違いしてショックを受けたこともあった。

職業も学歴も特技も知人も、果ては身体的な外見、身に着けている時計、車や家や住んでいる地域も、すべてその人そのものではなく、その人の「持ちもの」に過ぎない。でも人はどうしてもその人の「持ちもの」に目を奪われてしまう。中には自ら自分のすごさ(持ちもの)について語りだしたり、人に見せたがる人がいるが、そんな人で本当にすごい人を僕は見たことがない。その人の「持ちもの」と人間性は何の関係もない。人に会うときはこれを忘れないでいたい。

2025年5月9日金曜日

みんな同じようなことが人生には起こっている

 僕はさだまさしさん、中島みゆきさんの歌が好きだ。心の奥底にあるものに触れてくれる。お二人が人生で感じたものを歌詞にしてくれたのだと思うが、実際は同じようなことは誰しもが人生で起こっているのだと思う。でなければ多くの人に共感してもらえるわけがないからだ。お二人のような表現者とそれ以外の人との違いは、同じものを見たときでも感じ取れるものや量が違うこと、それを表現する力があることだと思う。逆に言えば、ほかの人がすごく見えても、そうでないように見えても、実はみんな同じようなことが人生には起こっているのだと思う。

2025年5月2日金曜日

精神科医がお手伝いできることはとても限られている

患者さんの中にはとても辛そうに見えるのに「全然大丈夫です」みたいに何も問題を語らずに帰られる方にお会いすることがある。僕として内心とても気になるし、本当に大丈夫なのかなと思うが、ご本人が大丈夫とおっしゃるのに無理やり問題を話させるわけにはいかない。そんなとき僕が思うのは、本当は問題があるけど言いたくないという場合もあるだろうが、診察とかそんな場で話すような内容ではない全く別の事情を抱えておられるのかもしれない。そんな風に想像している。とても当たり前の話で恐縮だが、人は何か悩みを抱えているからと言っていつも精神科で相談するわけがないからだ。僕ら精神科医がお手伝いできることはとても限られている。

2025年4月25日金曜日

人は問題を探し求めて生きているのかもしれない

ひとつの目標を達成するためにすべてをそこに費やしていると、それさえ達成できたら人生がバラ色で、楽になれると思いがちである。でも実際はそれが達成されてもまた別の悩みが生じたり、別の問題が見えてきたりして、想像していた日常とは違う日々がまた始まる。人は問題を探し求めて生きているのかもしれない。というか、何も問題がないよりも何か問題があるほうが生きていられるのかもしれない。もしも「何も問題ありません」みたいな日々が続いたら人はどうなっていくのか。ちょっと耐えられないような気がする。

2025年4月18日金曜日

「~でなければならない」という考えを持っていていい

「 ~でなければならないという」考えがあなたを苦しめているから、それをやめなさい。よく聞く言葉である。生きているとたしかにそうだと思うことが何度もある。でも一方で、子どものときから「~でなければならない」と教えられるし、人生には「~でなければならない」という考えがないと自分を支えられないことが起きる。僕は「~でなければならない」という考えを持ったまま生きていてもいいと思う。それがその人の生そのものを支えていることってたくさんあると思うから。そもそも「~でなければならない」という考えなんて大小の差はありながらもみんなが持ちながら生きているのではないだろうか。



2025年4月11日金曜日

苦労に勝ち負けはない

自分の苦労を語って人に説教する人を見かける。苦労というものは人と比べるものではないと思う。苦労がどんなものであれ、その人が苦労したと思えばそれは苦労だからだ。他人があれこれ評価するものではない。

2025年4月4日金曜日

障害受容は葛藤している方がいい

発達障害、知的障害の方、そのご家族から「障害を受容したほうがいいのはわかっているけど、それがなかなかできない」というお話をよくお聞きする。僕はそれでいいと思う。いや、それがいいと思う。障害を受容しすぎると「もうこれでいいんだ」「自分にはこれ以上できないんだ」と納得しすぎてそこからご自身の成長への取り組みをやめてしまうからだ。人は葛藤しているからこそ、そこから抜け出したくて道を模索し努力するのだ。何らかの葛藤なしに人が努力することはない。障害の有無にかかわらず人は成長できる。そのためには障害受容について葛藤を続けることはとても大切なことだと思う。


2025年3月28日金曜日

疲れていると人はありもしないことを考えてしまう

僕は仕事柄、親御さんが子どもをとても大切にしている光景をよく見る。なんでもない当たり前の日常だ。でも年に数回、こんなにも守ってくれる人がいるなんていいなって思ってしまう。なんとも情けない話だが、疲れていると人はありもしないことを考えてしまうようだ。

2025年3月21日金曜日

週末の電車の中で

 先日ある人に会ってお酒を飲んで遅い時間のJRに乗った。大阪駅まで25分ほどの距離だ。土曜日の夜9時を過ぎた電車の中は人が多かったが、たまたま2人掛けの1つの席が空いていたのでほっとしながら座ろうとしたら2人掛けの席の真ん中から20㎝ほどはみ出すくらい足を広げて大柄の若い男性が座ってスマホを見つめていた。あ、だから混雑してる電車でもみんなここには座らなかったのかと気づいた。疲れていた僕はとにかく座れるだけでいいと思って座った。でもその男性は姿勢を変える様子もなく、そのままスマホを見つめていた。イラっとして僕も20㎝横に押されながらも自分の足を前に出してみた。もちろんその男性は姿勢を変えない。ふとそんなことで張り合っている自分が馬鹿に思えてきて、座席に深く座りなおして足を引いた。そのあとの電車の時間はできるだけ自分がイラつかないようにと仕事のことを考えてその男性から気をそらすことを続けた。僕が先に降りることになったのだが、なんだか自分が人としての階段をひとつ上れた気がした。

2025年3月14日金曜日

歳を重ねることは想像力がつくこと

 先日、レストランで大声で店員さんに怒鳴っている若い人を見て、僕の横にいた年配の方が「若いな」とぼそっとつぶやいていた。自分のことを思い出した。30代前半のころ、お店で店員さんの態度に僕が怒って父に愚痴っていると父から「それくらいええやないか。そんなことで怒ってどうするねん」と諭されたことがあった。当時の僕は間違ってるものは間違ってると確信していたので父の言葉は僕にはまったく響かなかった。でも年齢が上がってくると、相手の背景や事情、怒ったあとの自分へのストレスやその後の流れを想像するようになり、その瞬間は腹が立ってもそれを維持することが馬鹿らしくなった。すると許せる範囲が勝手に広がった。

個人差はあるだろうが、歳を重ねるということは想像力がつくことなのだと思う。

2025年3月7日金曜日

みかんの声が聞こえるようになりたい

NHKの小さな旅という番組。先日は愛媛県でみかん農家を経営する60歳の男性が出ておられた。みかん農家の家に生まれ、小学生のときからみかんの収穫をしてきたという。少しでもおいしいみかんを作ることを目標にされているそうだ。

みかんの声が聞こえるようになりたい。「お腹すいたよ」「のどが渇いたよ」もっといいのは「今が一番おいしい時期だから収穫して。これ以上置いておくと美味しくなくなるよ」。でもまだ全然みかんの声が聞こえない。それが聞こえたら幸せだと思う。

その男性はこれを話しながら少し涙が出そうになっているように僕には見えた。

自分の仕事を極めようとする人はみんな、こんなことを考えるのだと思う。

2025年2月28日金曜日

人は矛盾していてもいい

徹頭徹尾、考えと行動が一貫してる人なんてこの世にいるんだろうか。矛盾の中で葛藤しているのが人だと思う。

2025年2月21日金曜日

会社やお店の規模は小さいほうがいい

 NHKの「小さな旅」という番組で、先日、田舎の小さな鉄道会社が出ていた。電車に乗りたい人がいないかを駅の外まで駅員さんが確認しにいくらしい。都会の駅では考えられない光景だ。やはり会社やお店の規模は小さいほうがいいと思った。規模が小さいからこそお客さんに少しの気遣いができる。


2025年2月14日金曜日

それが良かった

人生って思い通りにならないのは当たり前だけど、望んだ通りにならなかったことって全部あとから振り替えると「それが良かった」って思うことだった。

2025年2月7日金曜日

大人の定義

 15年ほど前だろうか。伊集院静さんの「大人の流儀」を愛読していた時期があった。今振り返ると、大人になりたかったのだと思う。大人の定義ってなんだろう。人それぞれあるのは当然にしても、僕にとって大人とは視野が広い。人は心に余裕がなくなると、自然と視野は狭くなる。見る角度の数が減る。逆に、心に余裕があると視野は広くなる。見る角度の数が増える。でも僕が見て来た本当の大人って心に余裕がないはずの時でも視野が広いまま(見る角度が多いまま)でいられる人。そんなことを考える僕はいまだに大人になりたいのだと思う。

2025年1月31日金曜日

人生は「初めて」の連続

 本当に時々だが人生に答えが出たようなことを言う人を見る。そんなことが人生という短い時間に可能だろうか。本当に答えが出ているならその人はもう悩んだり、苦しんだりすることはないだろう。おそらく、答えが出たと思っているのは一時の勘違いだ。人はみんないくつになっても悩み、苦しんでいる。歳を取れば確かに困難にぶつかる頻度は減る。「初めて」が減るからだ。それでも「初めて」はやってくる。だからこそ人は成長し続けられるのだと思う。わかったようなことを言ってはいけない。そう思う。

2025年1月24日金曜日

お店にオーナーがいることは大切

 日曜日の朝にコンビニにパンを買いに行った。3つほど買って会計しようとすると手ぶらの僕を見て中年に見える女性の店員さんが「袋に入れましょうか?」と小さなビニール袋に入れてくれた。ビニール袋が有料化されて以来、お金を払わずビニール袋に入れてもらったのは初めてだった。びっくりした僕はその女性の顔をもう一度見て、その態度や動きから「この人はオーナーさんだな」と思った。

 すべてとは言わないがオーナーが自分で働いているお店はスタッフの人の動きが違う。そこに緊張感があり、心がこもっているからだ。お客さんはそういうことに敏感だ。そのお店の人たちの気持ちが一番現れる場所はトイレだ。トイレが汚いお店で全体としていいお店だなと思えるところは少ない。トイレがきれいなお店は全体として満足できることが多い。お客さんを心からお迎えしようと思えば、おのずとトイレをきれいにしたくなるからだ。オーナーが自分で働いているお店はトイレがきれいなことが多い。お店にオーナーがいることは大切だと思う。

2025年1月17日金曜日

人はそのときの心という器の残量で思考と行動が決まる

ある早朝のこと、僕は用事があって大通りに停車した車の中にいた。その通りは片方の車線だけでも3車線、両側通行なので6車線ある大きな通りであった。そこを食材が入った大きな箱を自転車の前と後ろに乗せた年配の男性が赤信号を無視して通ろうとしていた。朝早いので車の通りは多くないものの、けっこうなスピードで何台もの車が通って行く。それらをかいくぐるように6車線を越えようとしていた。いたたまれない気持ちになった。身体に鞭を打って仕事の食材を買いに行った帰りなのかもしれない。納期の時間が迫っているのかもしれない。社長に言われて嫌だけど無理して運んでいるのかもしれない。いろんな想像をしながら思ったことがある。人はそのときの心という器の残量で思考と行動が決まる。心の余裕が大切なんだ。かと言ってそんなことがいつもできるほど人生は悠長には待ってくれない。だからこそ自分の日常を振り返って、心に余裕を残すための方法を模索しよう。その男性の姿を見てそう思った。

2025年1月10日金曜日

一人で過ごす時間は心を満たしてくれる

僕は時間が空くといろんなことをしたくなって、予定を詰め込んでしまう。先日も同じ轍を踏んでいると、風邪を引いた。風邪をひくとさすがの僕もどうしようもないので家でじっとするしかない。その日もそうやって家で一人でいると、静寂の中で本を読んだり、文章を書いたりしていると心が充満してきた。そのおかげで翌日の診療をうまくできた。

誰もいないところで一人で過ごす時間は心を満たしてくれる。


2025年1月3日金曜日

頑張っていればいつかチャンスはやって来る

「下足番を命じられたら、日本一の下足番になってみろ。そうしたら君を下足番にしておかぬ」

阪急の創業者の小林一三の言葉である。

今自分に与えられていることを一生懸命していれば、いつか這い上がれるチャンスが来る。このブログを読んでくださっている方の中に今よりも上に上がって行きたいと思っている人がいると思う。昇進や出世ではなくとも今より良くなりたいと一生懸命に生きている人がいると思う。そんな人たちに向けて今年最初の言葉としてお送りしたい。