苦しいときほど他人の人生は楽に見える
そんなはずはないのに。わかっていても人はそう思ってしまうものです。
「お父さんはどっちのチームを応援してるんですか?」
野球を見ていると小学3年の末っ子が僕に話しかけてきました。
「~のほうだよ」
「どうしてですか?」
「弱いチームが強いチームに勝つほうがお父さんは嬉しいから」
その後、末っ子も僕が応援しているチームを応援しだしました。その姿を見てドキッとしました。子どもは僕が言ったことをそのまま信じてしまうんだ。僕なりに一生懸命育児をしてきましたが、改めてその責任の重さを感じる瞬間でした。育児は透明の水に色のついた絵具を落とすようなものです。どんな色を落とすかは親次第。それは子どもが小さければ小さいほど影響力が大きく、その後は親以外の色も混ざってその子なりの色になっていく。
すると序盤の色を何にするかを決める親は育児をしながら「これで本当にいいのか」と逡巡することはしょっちゅうあります。僕もそうです。そのとき思うのは「間違っていてもいいから親としてベストだと思うことを伝える」。それでいいのではないかと思います。親だって何が正解が分からない人生を生きている途上ですから。
今回が最後のヒロシさんの話です。これはヒロシさんの言葉です。
売れた途端にあまり仲良くなかった友達からバンバン連絡がきた。学校の先生からも。すっきりしなかった。ほら、見ただろって思えなかった。そこ一点を目指してがんばってきたのに。
当然ですよね。親しくもない、自分のことを知りもしない人に認められても嬉しくない。人って誰に認めてもらえるかが大切だから。
前回に続き、ヒロシさんの話です。いじめられていたヒロシさんが小学校で毎月行われる誕生日会でドリフターズのモノマネをしたら受けたそうです。でも小学校のピラミッドの上層部にいる子たちは面白くもないのに受けていた。そのときヒロシさんは「全然面白くない、全然面白くない」と一人で思っていた。小学校、中学校、高校とその生活が続いた。でも心の中で思っているだけじゃ証明にならない。自分のほうが面白いんだということを証明するために芸人になった。
俺はいつかお笑い芸人になってあなたたちよりもいいお金をもらっていい生活をする、もっと面白いことをやってやる。(その思いで)嫌なことがあるたびに自分の心を消化させてきた。意地でも売れなきゃと思って一人で考えたネタが「ヒロシです」だった。
生きていると悔しい思いをすることがあります。でもヒロシさんの話を聞いていると、悔しさは人を救う。そう思うのです。