2021年9月17日金曜日

専門家という言葉が苦手

 以前にもブログに書いたことがあるのですが、僕は専門家と言われるのが苦手です。そう呼ばれれば、できる限りのことはしますが、自分からその言葉を口にはしません。僕にとって専門家と言う言葉は、「その分野のことはすべて知ってる人」と聞こえます。もちろん勉強はしていますが、僕は自分をそこまで思えません。知らないことがあまりに多いからです。それに、専門家になろうとすると、どこか背伸びしないといけない感じがします。それよりも、その時自分にできることをする。そのほうが僕には合っているようです。

2021年9月10日金曜日

再び「いまここ」

またまた「いまここ」について考えました。 

前を見て生きることは、生きるために必要なことです。でもそればかり見ていると、「いまここ」に目がいきません。目の前においしいものがあるのに、次のことを考えていると、おいしさが半減します。ほっておいても時間は前に進みます。今回の生において、今の時間はもう二度とありません。そう考えると、前を見る時間を少し減らして、「いまここ」に自分の気持ちを置きたいと思いました。

2021年9月3日金曜日

生きることは「いまここ」に気づかせてくれる

いまここを生きる

この言葉がどうしても頭から離れません。さらに考えるようになりました。子どものときは「いまここ」だけを考える。若いときは「いまここ」以外のことばかりを考える。歳を重ねるうちに、人生のイベント、体力の衰え、残された時間の短さなど、その人なりの理由で、また「いまここ」を考えるようになる。生きるということは、「いまここ」を生きることに気づかせてくれるプロセスなのかもしれません。

2021年8月27日金曜日

幸せな時間を増やすために

幸せの定義は人によっていろいろあると思います。僕の幸せの定義は「自分の心が満たされていること」です。心が満たされていないと、何をしていてもどこかむなしく、本当の意味で幸せだと思えない。無駄に食べたり、無駄に買い物したり、不毛な時間を過ごしたり。薄々気づいてはいるのに、表面的に幸せだと自分に勘違いさせているような感覚とでもいうか。これは人間なら誰でもありえると思います。逆に自分の心が満たされていれば、そんなことが減ります。何をしているときが自分の心が一番満たされているのか。それを自分に尋ねる。そうすれば自分が何をすべきかが見えてくる。それが自分の幸せな時間を増やすことにつながる。そんな風に思います。

2021年8月20日金曜日

手触りのいい傘

 ある先生の講義の中で「人のなかには、(胸の前で両手でお椀の形を作りながら)ここにこころがない人がいる」という話をしているのを聞いて、それがずっと気になっていました。

先日、雨の日の朝に妻から手触りのいい丈夫な傘を渡されました。普段、僕はビニール傘しか使いませんが、その日はなぜか妻に言われたとおりにしました。それで雨の中をその手触りのいい傘をさして歩いていると、とても心地がいいのです。そのときその先生の話が思い出されて「あ、僕のこころ、今ここにある」。そう思いました。これまでの僕は、常に前へ前へ、と思って生きてきました。とはいっても、目に見えるような進歩が日常的にあるわけではありません。そのギャップがしんどくて、ものを買ったり、旅行に行ったり、お酒を飲んだり、刺激のあるものを食べたりしていました。

自分のこころがここにないと、現実とこころの場所が違うので、エネルギーを消費します。僕はそこに疲れてしまって、何か強い刺激や場所を変えるなどの強制力でもって、自分のこころをここにとどめようとしていたのだと思います。

いまここを生きる

最近、とてもよく言われている言葉です。素晴らしい言葉だと思っていたのに、実際の僕の行動は違っていました。何かを本当に習得したとき、人はそれを意識しなくなるそうです。手触りのいい傘のおかげで僕は、いまここを生きる、の入り口にはじめて立ったようです。それを意識しなくなったとき、自然に自分のこころをここに置いて生きることができるのだと思います。