人間関係には、一度きりの出会い、知人、 友達、先輩、後輩、恋人、夫婦、祖父母、孫、親子。その関係にはそれぞれの「意味づけ」があるだろう。だからと言って、必ずしもその人が大切なわけではない。会った回数ではない、血のつながりではない。もっと大切なことがある。それは、どれほど情の交流を重ねたか。それによって相手を思う気持ちは違ってくるのだと思う。「産んだ親より、育てた親」という言葉があるように。
2026年2月13日金曜日
2026年2月6日金曜日
やっぱり、ストーリーのない人なんていない
有名スポーツ選手の成功物語がテレビで放映されていた。昔からずっと変わらない。その人が成功を掴むまでにどれほどの努力をし、汗と涙を流したのか、というおなじみのストーリーだ。これに共感しない人はほとんどいない。
同じようなストーリーを見過ぎたせいかもしれない。すごい結果を残さない人にはストーリーはないのか、無名の人は認められないのか。そんなうがった考えが頭をよぎるようになった。もちろん、その番組を作っている人も立派な職業人だ。少しでもいい仕事をしたいから、著名人のストーリーを最大限大きく見せたくなる。作っているその人にもストーリーがあるはずだ。テレビに出ている本人も人間として成熟した人なら、自分よりすごい人がたくさんいることは十二分にわかっているだろう。わかっていないがらテレビの中でその役割を「演じている」のかもしれない。
ストーリーは有名な人だけにあるわけではない。いや、ストーリーのない人なんていない。いつも同じ結論に行きついてしまう。
2026年1月30日金曜日
悪意のある言葉は暴力
NHKの「最後の講義」という番組がある。各界を代表する人たちが「今日が人生最後の日だとすれば、何を語るか」という問いに答えてくれるのだ。そこに漫画家の西原理恵子さんが出ておられ、漫画の一説にこんな言葉があった。
目に見えない暴力がある。人格を否定するような暴言、細かく監視するなどの精神的嫌がらせ、あなたや家族に危害が加えられるのではと思わせる脅迫。
要するに、精神的に追い詰めてくる言葉は暴力なのだ。思わず、涙が出てしまった。これまで見てきた人のことを思い出したからだ。僕は善意で接していたが、どういうわけかその人たちは悪意満々で僕を苦しめることに全力だった。罵詈雑言なのか、美しい言葉でいたぶるかの違いはあるものの、持てるだけの知恵を絞って僕を苦しめたいという意図は同じだった。
そのとき僕は自分の善意が全く伝わっていなかったことへのショックに加え、悪意だけで攻撃してくる人間というものの姿、何をしてくるかわからないという不安。そんなことが頭をぐるぐる回る。そんなことがあるたびに自分が悪かったのではないかと考え直すのだが、どう考えてもそんなことはなかった。何度も経験すると、多少の耐性やどう対応するかは見えてきたものの、しんどいことに変わりはない。そのたびに「大人だからこれくらいは耐えないと」「自営業をしているならこれくらいみんな超えてきている」、そんな言葉で自分の気持ちを収めてきた。それでも収まらないときは「仕方がない」と言う言葉で、強引に気持ちを抑え込んでいた。
でも西原さんの言葉で気づいた。その人たちの言葉は物理的な武器を使っていないだけで、完全な「暴力」だった。僕はそれがわかったことで安堵感を覚えたのだと思う。言葉の暴力という単語は手垢がつきすぎて、僕の中に入ってきていなかった。
そしていつもの僕のクセで、人の悪い部分に気づくと、それが自分の中にもないかをチェックしてしまう(良い部分についてはそんな想像はしないのに)。僕だってお店の店員さんにキツイ口調で言ったことがある。そこに悪意がなかったかというと嘘になる。
悪意のある言葉は暴力なのだ。自分を戒めなくてはと思った。
2026年1月23日金曜日
人は自分が良い人でいられる人と一緒にいたほうがいい
飛行機に乗るとき、航空会社の客室乗務員の人たちにとても寛大なご婦人を見ることがある。客室乗務員の人が間違ったサービスをしても「いいよいいよ、そのくらい誰でもミスすることあるから」なんて言いながら笑顔を振りまくのだ。素直ではない僕はすぐに勘ぐってしまう。この人は普段からこんなに寛大なのだろうか。旅行に行くという気分だから寛大になってるだけじゃないか。でもそれでいいんだと思う。もっと広い意味で考えれば、人は自分が良い人でいられる人と一緒にいたほうがいい。良い人でいられる環境にいたほうがいい。心が健やかでいられるから。
2026年1月16日金曜日
娘を尊ぶお母さんの気持ち
NHKのプロジェクトXが復活し、若い女性看護助手が殺人の罪を被せられた冤罪の回を見た。その女性は「殺していない」と訴え続けたにもかかわらず冤罪に巻き込まれ、懲役12年の判決を受け服役した。それに違和感を感じた弁護士の先生、新聞記者らが容疑者となった女性、ご両親、そして日本の司法の改善のために立ち上がり、無罪を勝ち取った話だ。その人たちの涙ぐましいほどのひたむきな努力にもちろん感動したが、それだけではなかった。脳梗塞を患っておられる女性のお母さんが番組の最後に「娘に一生懸命頼って頑張っていきたいと思っています」と話された。冤罪であったにも関わらず刑務所で12年を耐え抜いた娘は頼りがいのある娘、私の誇り。僕にはそう聞こえた。一般的な高齢の親御さんなら「娘に迷惑をかけたくない」と言うだろう。とてつもない苦労をした娘に一生懸命頼る、なんて発想にはならないはずだ。この一言に、我が娘を尊ぶお母さんの気持ちが集約されていたように思う。