2024年7月12日金曜日

人の悪口ではなく、人の良い部分を話す人と付き合ったほうがいい

 テレビで聞いた言葉です。

どんな人と付き合うのかはどうしても判断を誤ることがあります。この言葉のおかげで、気持ちがどこかすっきりしました。


2024年7月5日金曜日

同じことでもどう対応するかで相手の気持ちが変わってくる

 先日、アウトドアチェアを買いたくて、あるお店に入りました。アウトドアチェアについて知識が皆無の僕は、店長さんと思われる方に希望を伝え、いろいろと質問しました。店長さんは穏やかに説明してくださり、それほど広くない店内であるにもかかわらず、僕の希望に合ったものをすべて広げて見せてくれました。気に入ったものが見つかったものの、他のお店も見てみたいと伝えると「どうぞどうぞ、他のお店も見てきてください」とおっしゃりながら、他のアウトドアチェアがあるお店の位置まで教えてくださいました。教えていただいたお店に行き、そこの店員さんは僕が希望を伝えると案内はしてくれたものの、箱に入ってるので商品は見せられない、で対応が終了ました。

 2人のあまりの違いにどう対応するかでこんなにも気分が違うのかと改めて感じながら、僕ら自身が気を付けないといけないと自戒の念を覚えました。吉川英治の「われ以外みなわが師」という言葉。やはり至言です。

2024年6月28日金曜日

人に助けてもらう経験が人を助ける経験につながる


 日本で一番大きな精神科の学会が札幌であり、この学会では14年ぶりに発表をした。学会発表には大きく2つあり、一つは口頭発表、もう一つはポスター発表である。

 今回ポスター発表をすることになり、背の低い僕が横幅90㎝、縦幅150㎝のポスターを椅子に上って一人で貼っていた時のことだった。見知らぬ男性が来られて「一人で大変ではないですか?お手伝いしますよ」と声を掛けてくださった。思わず「こんな優しい方がおられるんですね」と口走ってしまった。僕がポスターを持ち、その方が画鋲をご自分の掌に載せて横に立ってくださった。ポスターの前で写真まで撮ってくださった。名札を見るとその方はある製薬会社の社員さんだった。でもそこには何の打算もなく、ただ人を助けるという姿勢が感じられた。

 お礼を言って別れたあと、会場を歩いているとさっきまでの僕と同じように一人でポスターを貼っている方を見かけ、僕はすぐに駆け寄りお手伝いすることにした。

 もしあの方にお会いしなかったら、すぐに駆け寄ったりしただろうか。僕の人格レベルでは疑わしい。人に助けていただいたおかげで、僕もほかの人を助けたいと素直に思えた経験であった。

2024年6月21日金曜日

言葉が思考を作る

 ある人が言っていた言葉である。それまで僕は思考が言葉を作ると考えていた。でもその逆もありなのだ。普段からポジティブな言葉、きれいな言葉を使う人がいる。その人たちは確かにポジティブであり、心がきれいなことが多い。逆はもちろんしかりである。つまり言葉と思考は相互作用として互いに影響を与える。そうすると思考から自分をよくすることもできるが、言葉から自分をよくしていくこともできる。自分を振り返って戒めたいと思った。

2024年6月14日金曜日

間違えたっていいじゃない、機械じゃないんだから

ピアニストのフジコ・ヘミングの言葉である。先日の新聞でこれを知った。

ご本人は本番で間違えるとかわいそうに見えるくらい落ち込んでいたそうである。それでも自分を奮い立たせるため、あるいは周りを奮い立たせるためにこんな言葉を発してくれたのかもしれない。子どものころに父が故郷のスウェーデンに帰ってしまったこと、聴力を失ったこと、ヨーロッパでピアノ教師として活動をつづけ、母の他界を機に帰国し、67歳でNHKのドキュメンタリーに取り上げられてからはじめて世に出たピアニストとして以前テレビて見たことがある。その不屈の精神にとても勇気づけられた。その方の言葉だからこそ、とても説得力があるのだと思う。

2024年6月7日金曜日

子どもにしてあげることはこの上ない幸せ

子どもたちが小さいときは、とにかく世話をすることに必死だった。あとは自分が楽しみたい。そんなことを思っていた。でも子供たちが成人し巣立っていくと、子どもとの時間に終わりが見えてきたみたいに感じて、世話を焼きたくなる。頼まれてもいないのに。子どもたちに何かをしてあげているときにこそ、この上ない幸せを感じると言ってもいい。そんなことに気付くのに20年以上かかった。ようやく自分も親になったのかと思う。

2024年5月31日金曜日

自分を作れるのは自分だけ、自分を変えれるのは自分だけ

 先日のNHKのスポーツ×ヒューマンで水泳の入江陵介選手が語っていた言葉です。人は辛くてどうしようもないときは誰かに問題を解決してほしくなるものです。それはもちろん正しい。でもこの入江選手の言葉もずしりと伝わってく言葉でした。

2024年5月24日金曜日

ええ風に考えようと思って

私はこれまで空港に何時間も足止めにあったことが二度ある。一度目は札幌の学会からの帰りに半日ほど新千歳空港で過ごした。二度目は家族の用事で沖縄に行くのに関西空港で数時間を過ごした。特に一回目の新千歳空港はかなりへこんだ。でも私にはどうしようもないことであった。人生で起こることの大半は自分の意図と何の関係もなく起こる。人はいつの間にか多くのことは自分の力でなんとかできると錯覚してしまう。コップを手で持ち上げて自分の口に運べることを日常的に繰り返しているからかもしれない。

人生を賭すに値するものでなければ、起こったことに対しては気持ちを切り替えたほうがよほど気持ちが楽になる。空港で足止めを食らったとき、持っていた本とパソコンで読書と仕事をすることにした。読みたくても読めなかった本、したくてもできなかった仕事をできる。そう思うようにした。

今日の表題の言葉はある患者さんが辛いことがあったときにおっしゃった言葉だ。簡単な言葉に見えて、人を救う深遠な言葉だと思う。


2024年5月17日金曜日

自分に優しい言葉をかけたくなる

 ふとしたときに辛かったとき、寂しかったときの自分を思い出して、そんな自分に優しい言葉をかけたくなる。それでいいし、それが人間なんじゃないかと思います。

2024年5月10日金曜日

人の親切を物で返したら、もらったことにならない

日経新聞の最終面に「文化」というコラムがある。そこにあった話である。

沖縄本島の本部半島の沖合にある伊江島は1955年からアメリカ軍による土地の接収があったそうだ。銃とブルドーザーでアメリカ軍が入ってきて想像を絶する過酷な環境の中で伊江島の人たちは互いに助け合って生きていた。どこかの家で冠婚葬祭があれば人々が料理をはじめ必要なものを持ち寄った。してもらったほうはお返しをしないらしい。「人の親切を物で返したら、もらったことにならない」からだと言う。人は生死のかかった困難を共にするともっとも美しくなれるのかもしれない。

2024年5月3日金曜日

人はみな平等

 先日のクローズアップ現代でカスタマーハラスメント(カスハラ)をやっていた。

いつの日からだろうか。日本では「お客様は神様」が加速していった。自分の思い通りにならないと気が収まるまで従業員や企業の対応者に怒鳴る顧客。「こっちは客だぞ」、「誠意がない」、「それをなんとかするのが仕事だろ」。顧客も容易ではない人生を生きており、個人的に辛いこともあるだろう。でもそれをぶつける対象が目の前にいたお店の従業員というのは違うと思う。もちろん企業側に明らかな過失がある場合は別である。そうでない場合でも企業に苦情を続けているのを見ると、今の日本は顧客優先主義に振り切れてしまったように思う。クローズアップ現在によると今はカスハラ被害にかかる弁護士費用を補償する商品を保険会社が販売したり、欧米では企業のルールが優先され、そのルールを守れない顧客には企業側から取引を終了するそうである。

顧客が人間であるように、従業員も企業の運営者も人間である。人はみな平等であるという当たり前の基本に立ち戻っていく必要があると思う。

2024年4月26日金曜日

現在、当院の受付スタッフを募集しています

 当院は医師は僕一人、看護師一人、心理士三人、受付スタッフは三人という体制で運営しています。現在受付スタッフを一名募集しています。当院はとても小さな医療機関ですが、ご縁があって来てもらった患者さんやご家族に楽になってもらえるよう、スタッフ全員が最大限の努力をしています。

実は最近までこんなことを自分の口で言うなんて馬鹿なんじゃないかと思っていました。でも当院のスタッフが努力を厭わず、毎日必死で働いてくれている姿を見て、次に来てくれるスタッフにもそれを分かってもらった上で来てもらった方がいいと思い、ブログに書くことにしました。正直なところ、僕は仕事に対しては厳しいです。当たり前ですが、仕事は真剣勝負の場だからです。本当にやる気がある人に来てもらいたいと思っています。特に受付スタッフは受診する患者さんが初めて当院と接するポジションにあり、とても重要な仕事です。なので受付スタッフには誇りを持って働いていただきたいと考えています。

詳細については以下を参考にしてください。ただ、申し訳ないのですが当院に通院中の患者さんについてはお断りしています。理由は二つあります。一つは僕らが治療している方なので公私混同になってはいけないこと、もう一つはその方に健康になってもらうことが最優先だからです。どうぞよろしくお願いいたします。

宋こどものこころ醫院のキャリア・企業情報 | Indeed (インディード)



2024年4月19日金曜日

生きるとは手放すこと

毎週楽しみにしている日経新聞の若松英輔さんの連載「言葉のちから」にこんな文章がありました。

生きるとは何かを得ることだと思っていた。今は、生きるとは手放していくことのように感じている。

僕も人生が進んでいくとモノを得て、知恵を得て、家族を得て、ずっと得ていくものだと思っていました。でも老眼が始まって見えないことを受け入れざるを得なくなった。体力任せな行動はとらなくなった。したいことがあっても睡眠を優先するようになった。会うかどうか迷う人には会わなくなった。子どもたちは巣立っていく。手放したくなくても勝手に手放すようになっていくのです。ただ、手放すことは決して嫌な感覚ではなく、むしろ身軽になっていく実感があります。ぼんやりしていた人生のフォーカスがどんどん合っていく感覚です。手あたり次第に広げていた好奇心はかなり収束して、数少ないいくつかのことに集中するようになりました。以前は許せなかったことが自然に許せるようになりました。いいことばかりではありませんが、トータルではとても幸せだと感じています。今の僕が「手放す」ことのすべての意味を理解しているとは思えませんが、死が来れば否が応でも物理的なものはすべて手放すことになります。生きることは手放すこと。人生を見事に表した至言であると思います。

2024年4月12日金曜日

言葉にできないときの方が人に伝わる

毎日いろんな方のお話を聞いています。みんな一生懸命に話をしてくれます。それで気づいたことがありました。人は自分の気持ちを誰かに伝えるために正確に言葉にしようとするけど、言葉にできないときの方が人に伝わることがあります。言葉にならない「なにか」のほうが人の心に響く。そう考えると人の気持ちで言葉にできるのは一部だけなのだと気づかされました。


2024年4月5日金曜日

人々は有名な人のストーリーを知りたがる

沢木耕太郎さんのエッセイに、世界は「使われなかった人生」であふれてる、というのがある。人々は有名な人のストーリーを知りたがる。無名の人が自分のストーリーを語っても人は聞いてくれない。人口全体では無名の人のほうが多く、トータルでは大きなことを成し遂げているはずなのに、である。

この春からNHKで「新プロジェクトX」が始まるらしい。プロジェクトXが放送されていたころ、僕は大学生だったように思う。ひたむきに愚直に一つのことを成し遂げようと奮闘した人たちに感動した記憶がある。大きなことを成し遂げたはずなのに、光が当てられていなかった人々に光を当ててくれるからである。

人への判断基準は昔から人格よりも有名か無名かが用いられてきた。その価値観に警鐘を鳴らしてくれる番組である。そう考えるとNHKのプロデューサーはすごいと言わざるを得ない。72時間、逆転人生、バタフライエフェクト。僕が知っているだけでも素晴らしい番組はたくさんある。こんなアイデアはどこから来るのかと感服する。いつか視聴者の目には見えないNHKのプロデューサーや番組制作スタッフの努力に光を当てる番組を作ってほしい。

2024年3月29日金曜日

例外のないものはない

僕がブログに書きたいなと思う内容が思いつくのは「これは普遍的なはずだ」と思う時です。一方でいつも感じる矛盾があります。果たして普遍的なものなんてあるのか。ブログで書いている内容は僕一個人の偏った視点、限られた視野の中で見えていることに過ぎない。それでも自分の考えをまとめようとすると「こんな場合は当てはまらないな」と例外が浮かんできて自分の考えがどんどんぐらついてくる。例外が多すぎると話になりませんが、全方位からの視点を受け入れ、万人が同意するものはあり得ないわけです。例外探しを徹底してしまうと本体の自分の考え自体が消滅してしまう。なので文章にするときの最後の一押しは自分の信念によるものになっています。いや、それでいいんじゃないかと思っています。



2024年3月22日金曜日

伝え方より聞き方

 ずいぶん前のことです。僕がゴルフの練習をしていると、隣でレッスンを受けている中年女性がおられました。教えているコーチが尋ねます。

コーチ:最近、悩んでいる部分はありますか?

女性:ボールがどうしても左に行くんです

コーチ:あ、それはね、○○で△△で、××なことが起こっているからです。例えばね、~ってあるじゃないですか~は・・・(しばらく話続ける)

女性:あ、そうですよね・・・(それ以上話すのをやめる)

医者をはじめ教育する立場のある人に共通していることがあります。それは伝え方(内容も含めて)は習いますが、教えられる側からの話の聞き方は習っていないということです。いくら教える立場、教えられる立場であっても、それも人のコミュニケーションです。一方的に教えるだけでは効果は下がるでしょう。円滑なコミュニケーションがベースにあり、教えられる側が悩んでいること、わからないことを自由に伝えられ、教える側はそれを把握してはじめて効果的な教育につながります。臨床も同じです。

教育する立場にある人への教育は伝え方と伝える内容であふれています。もちろん伝え方は大切ですが、聞き方があってはじめて伝え方が生きてくるのだと思います。

2024年3月15日金曜日

これでいいのだ!

 先日のアナザーストーリーは天才バカボンの作者、赤塚不二夫さんでした。天才バカボンの名セリフはいくつもありますが、その中でも有名なのが「これでいいのだ!」。番組の中でナレーターの方がこんなことを言っていました。

「これでいいのだ!」はどんな現実も受け入れてしまう魔法の言葉

この中にはどんな時でも前を向いて生きろという力強いメッセージが含まれているのだと思います。

2024年3月8日金曜日

人が本当にしんどいことを告白するとき

人が本当にしんどいことを告白するときは、答えがほしいわけじゃない。ただわかってほしいだけ。

2024年3月1日金曜日

何かを成し遂げたことそのものよりその過程のほうが愛おしい

 あんなに目標にしていたのに、死ぬほど望んでいたことなにの、それを成し遂げたあとはなぜか満たされない。そんな経験をしたことありませんか?成し遂げたらどんなに幸せなんだろうと幾度となく夢想を繰り返してきたのに。時間が経つと、その過程は言葉にできないくらい辛かったはずなのに後から思えばなぜか懐かしく、愛おしい。成し遂げた瞬間よりもそれに至る過程のほうが人生全体で見ると大切だったと感じる。人は成し遂げたことそのものよりも、そのために努力した時間のほうが長い分、その過程をより愛するのかもしれません。

2024年2月23日金曜日

スゴイと思われるよりも心に余裕があるほうがいい

 馬鹿にされたくない、スゴいと思われたい。肩に力が入るような考えは時に必要で、それが人を成長させる側面は確かにあります。でもそんなことはずっとできない。馬鹿にされても、スゴいと思われなくてもええやん、それで。そんなことより心に余裕があるほうがいい。幸せは人に認められることじゃなくて、自分の心が充満していることだから。

2024年2月16日金曜日

「言葉のちから」

 今の僕には週1回の楽しみがあります。土曜日の新聞です。今の日経新聞の土曜日には批評家の若松英輔さんの「言葉のちから」という連載があります。恥ずかしい話ですが、土曜日の朝に新聞を一面からめくっていくときにちょっとワクワクしている自分がいます。その中で若松さんは言葉というものの深遠さをあらゆる角度から語ってくれて、ふっと力が抜けたり、はっとする視点を与えてくれます。先日はこんな言葉がありました。

状況を変えるのは、いつ訪れるか分からない幸運であるよりも、たった一つの言葉である

心が辛いとき、状況が変われば楽になることはあります。でも本当に辛いときは状況が変わるのなんて待っていられません。もっと言うならば、状況が変わっても必ずしも心が楽になるわけではないことを経験上みんな知っています。一方で、たった一つの言葉に救われることがあるのも経験上みんな知っています。

僕も言葉を扱う仕事をしており、患者さんと言葉を交わすことで患者さんに楽になってもらうのが精神科医の本懐だと思っています。ご存じの通り、言葉は諸刃の剣です。人を傷つけることも癒すこともあります。言葉に治療的に働いてもらうために「言葉のちから」をもっと信じたいと思いました。

2024年2月9日金曜日

人は自分だけだと思っていた感覚を誰かと共有できると救われる

先日の新聞に映画「月はどっちに出ている」「血と骨」などの脚本を手掛けた劇作家・演出家で在日韓国人の鄭義信(ちょん・うぃしん)さんの文章がありました。仕事で年に何回かソウルに行き、滞在している間は朝にサウナに行くのが日課だそうです。去年の11月末の寒い日の朝、鄭さんがサウナから出てきて汗が引かずに入り口でぼーっと出勤する人たちを眺めていたときのことです。以下は鄭さんの文章です。

かなしみでもなく、さびしさでもない、言葉で言い表せない感情が湧き上がってくる。僕はなんでこの国に生まれなかったんだろう。この国で僕は異邦人で、日本でも異邦人である。この国に呼ばれ、作、演出の仕事をすることはたびたびある。けれどたどたどしい韓国語しか話せず、生活風習も異なる僕は、彼ら韓国人俳優、スタッフたちにとってどこまでも外国人演出家にすぎないだろう。

これは僕が21歳だったときに感じたことと全く同じでした。当時の僕は大学3年生でその年の終わりの春休みにソウルを訪れました。3月初旬のソウルはまだまだ寒さが残っており、風が吹くと細い針で肌を突き刺されるようでした。お昼に少し寒さが和らぎ、時間が空いた僕は大学路という街の交差点をなにげなく歩いていました。お昼休みでたくさんの働く人たちが行きかうのを見ていると、空から僕をめがけて電気が落ちてきて、全身に鳥肌が立ったのです。咄嗟に何が起こったのか理解できませんでした。それと同時に、なんで僕はこの国に生まれなかったんやろう、韓国語を話せずここの生活習慣を知らない僕はここでは外国人、日本でも外国人。どこにも属せない自分はどうしたらいいのか。それなら限りなく韓国人に近づけるよう、韓国語を話せるようになりたい。そこから僕は韓国語の勉強を始めました。

最終的に韓国語の勉強を始めた僕は鄭さんとは違いますが、ソウルの街でインスピレーションのように感じたことは同じでした。僕と同じことを感じる人がこの世にいたことがとてもうれしくなりました。人は誰しも他の人には理解しがたい感覚を一人で抱えて生きているものです。そんな感覚を誰かと共有できたとき、人は救われます。それがたとえ直接会った人との会話でなく、本や映画を通してでも。


2024年2月2日金曜日

「人生」は魅力的

 先日の古舘伊知郎さんの言葉が頭から離れません。

人生がわからないことだらけだから。自分がなぜ生まれて来たかも、どうやって死んでいくのかもわからない。

この言葉からこんなことを思いました。僕はだいたいこのブログでなんでこんなにも人生のことを書いているのか。それも偉そうに。でも気づいたんです。それはおそらく、僕が人生というもののシルエットさえ見えていないから。だからあーでもこない、こーでもないと頭の中で影も形もわからない人生についてこねくり回しているのだと思います。でも僕は人生がどんなものであるかを少しでも知って死んでいきたいです。それくらい「人生」というもの自体が魅力的だから。毎日のように自分の頭では理解できないことがあって苦しいことも多いけど、たまに嬉しいことがあるので。その複雑さにどうしても魅かれるのだと思います。


2024年1月26日金曜日

苦しいときほど他人の人生は楽に見える

苦しいときほど他人の人生は楽に見える

そんなはずはないのに。わかっていても人はそう思ってしまうものです。


2024年1月19日金曜日

間違っていてもいいから親としてベストだと思うことを伝える

「お父さんはどっちのチームを応援してるんですか?」

野球を見ていると小学3年の末っ子が僕に話しかけてきました。

「~のほうだよ」

「どうしてですか?」

「弱いチームが強いチームに勝つほうがお父さんは嬉しいから」

その後、末っ子も僕が応援しているチームを応援しだしました。その姿を見てドキッとしました。子どもは僕が言ったことをそのまま信じてしまうんだ。僕なりに一生懸命育児をしてきましたが、改めてその責任の重さを感じる瞬間でした。育児は透明の水に色のついた絵具を落とすようなものです。どんな色を落とすかは親次第。それは子どもが小さければ小さいほど影響力が大きく、その後は親以外の色も混ざってその子なりの色になっていく。

すると序盤の色を何にするかを決める親は育児をしながら「これで本当にいいのか」と逡巡することはしょっちゅうあります。僕もそうです。そのとき思うのは「間違っていてもいいから親としてベストだと思うことを伝える」。それでいいのではないかと思います。親だって何が正解が分からない人生を生きている途上ですから。


2024年1月12日金曜日

誰に認めてもらえるかが大切

 今回が最後のヒロシさんの話です。これはヒロシさんの言葉です。

売れた途端にあまり仲良くなかった友達からバンバン連絡がきた。学校の先生からも。すっきりしなかった。ほら、見ただろって思えなかった。そこ一点を目指してがんばってきたのに。

当然ですよね。親しくもない、自分のことを知りもしない人に認められても嬉しくない。人って誰に認めてもらえるかが大切だから。

2024年1月5日金曜日

悔しさは人を救う

前回に続き、ヒロシさんの話です。いじめられていたヒロシさんが小学校で毎月行われる誕生日会でドリフターズのモノマネをしたら受けたそうです。でも小学校のピラミッドの上層部にいる子たちは面白くもないのに受けていた。そのときヒロシさんは「全然面白くない、全然面白くない」と一人で思っていた。小学校、中学校、高校とその生活が続いた。でも心の中で思っているだけじゃ証明にならない。自分のほうが面白いんだということを証明するために芸人になった。

俺はいつかお笑い芸人になってあなたたちよりもいいお金をもらっていい生活をする、もっと面白いことをやってやる。(その思いで)嫌なことがあるたびに自分の心を消化させてきた。意地でも売れなきゃと思って一人で考えたネタが「ヒロシです」だった。

生きていると悔しい思いをすることがあります。でもヒロシさんの話を聞いていると、悔しさは人を救う。そう思うのです。