2024年2月23日金曜日

スゴイと思われるよりも心に余裕があるほうがいい

 馬鹿にされたくない、スゴいと思われたい。肩に力が入るような考えは時に必要で、それが人を成長させる側面は確かにあります。でもそんなことはずっとできない。馬鹿にされても、スゴいと思われなくてもええやん、それで。そんなことより心に余裕があるほうがいい。幸せは人に認められることじゃなくて、自分の心が充満していることだから。

2024年2月16日金曜日

「言葉のちから」

 今の僕には週1回の楽しみがあります。土曜日の新聞です。今の日経新聞の土曜日には批評家の若松英輔さんの「言葉のちから」という連載があります。恥ずかしい話ですが、土曜日の朝に新聞を一面からめくっていくときにちょっとワクワクしている自分がいます。その中で若松さんは言葉というものの深遠さをあらゆる角度から語ってくれて、ふっと力が抜けたり、はっとする視点を与えてくれます。先日はこんな言葉がありました。

状況を変えるのは、いつ訪れるか分からない幸運であるよりも、たった一つの言葉である

心が辛いとき、状況が変われば楽になることはあります。でも本当に辛いときは状況が変わるのなんて待っていられません。もっと言うならば、状況が変わっても必ずしも心が楽になるわけではないことを経験上みんな知っています。一方で、たった一つの言葉に救われることがあるのも経験上みんな知っています。

僕も言葉を扱う仕事をしており、患者さんと言葉を交わすことで患者さんに楽になってもらうのが精神科医の本懐だと思っています。ご存じの通り、言葉は諸刃の剣です。人を傷つけることも癒すこともあります。言葉に治療的に働いてもらうために「言葉のちから」をもっと信じたいと思いました。

2024年2月9日金曜日

人は自分だけだと思っていた感覚を誰かと共有できると救われる

先日の新聞に映画「月はどっちに出ている」「血と骨」などの脚本を手掛けた劇作家・演出家で在日韓国人の鄭義信(ちょん・うぃしん)さんの文章がありました。仕事で年に何回かソウルに行き、滞在している間は朝にサウナに行くのが日課だそうです。去年の11月末の寒い日の朝、鄭さんがサウナから出てきて汗が引かずに入り口でぼーっと出勤する人たちを眺めていたときのことです。以下は鄭さんの文章です。

かなしみでもなく、さびしさでもない、言葉で言い表せない感情が湧き上がってくる。僕はなんでこの国に生まれなかったんだろう。この国で僕は異邦人で、日本でも異邦人である。この国に呼ばれ、作、演出の仕事をすることはたびたびある。けれどたどたどしい韓国語しか話せず、生活風習も異なる僕は、彼ら韓国人俳優、スタッフたちにとってどこまでも外国人演出家にすぎないだろう。

これは僕が21歳だったときに感じたことと全く同じでした。当時の僕は大学3年生でその年の終わりの春休みにソウルを訪れました。3月初旬のソウルはまだまだ寒さが残っており、風が吹くと細い針で肌を突き刺されるようでした。お昼に少し寒さが和らぎ、時間が空いた僕は大学路という街の交差点をなにげなく歩いていました。お昼休みでたくさんの働く人たちが行きかうのを見ていると、空から僕をめがけて電気が落ちてきて、全身に鳥肌が立ったのです。咄嗟に何が起こったのか理解できませんでした。それと同時に、なんで僕はこの国に生まれなかったんやろう、韓国語を話せずここの生活習慣を知らない僕はここでは外国人、日本でも外国人。どこにも属せない自分はどうしたらいいのか。それなら限りなく韓国人に近づけるよう、韓国語を話せるようになりたい。そこから僕は韓国語の勉強を始めました。

最終的に韓国語の勉強を始めた僕は鄭さんとは違いますが、ソウルの街でインスピレーションのように感じたことは同じでした。僕と同じことを感じる人がこの世にいたことがとてもうれしくなりました。人は誰しも他の人には理解しがたい感覚を一人で抱えて生きているものです。そんな感覚を誰かと共有できたとき、人は救われます。それがたとえ直接会った人との会話でなく、本や映画を通してでも。


2024年2月2日金曜日

「人生」は魅力的

 先日の古舘伊知郎さんの言葉が頭から離れません。

人生がわからないことだらけだから。自分がなぜ生まれて来たかも、どうやって死んでいくのかもわからない。

この言葉からこんなことを思いました。僕はだいたいこのブログでなんでこんなにも人生のことを書いているのか。それも偉そうに。でも気づいたんです。それはおそらく、僕が人生というもののシルエットさえ見えていないから。だからあーでもこない、こーでもないと頭の中で影も形もわからない人生についてこねくり回しているのだと思います。でも僕は人生がどんなものであるかを少しでも知って死んでいきたいです。それくらい「人生」というもの自体が魅力的だから。毎日のように自分の頭では理解できないことがあって苦しいことも多いけど、たまに嬉しいことがあるので。その複雑さにどうしても魅かれるのだと思います。