2022年12月30日金曜日

毎日のことをコツコツと積み重ねていく

 今年最後のブログです。僕は何かの節目を大きくとらえるほうではありませんが、この一年も診療を続けられたことに心から感謝したいです。患者さんやスタッフ、関係者の方々、僕の目に見えない力も含めてすべてがありがたいです。来年も健康に安全に診療ができるよう日々祈りながら、毎日のことをコツコツと積み重ねていきたいです。2023年がみなさまにとって良い年になりますようにお祈りいたします。

2022年12月23日金曜日

頭で考えて、心を配るのがサービス。その対価にお金をいただいている

 先日運転免許証の更新のため警察署に行ってきました。事前に言われていたので顔写真を用意して言ったのですが、僕のは顔がギリギリ入るサイズでした。受付の方はそれを見て「頭より上が2-3㎜空いていないとダメなので、ここに写真を撮れるところがあるのでそこで撮ってきてまた持ってきてください。講習の時間があるので、~時までに持ってきてください」、機械的に話をされて終わりでした。心の狭い僕は黙って、そこを離れました。同じことを伝えるにしても、相手の心情を頭で考えて心を配ること。そこに顧客はお金という対価を支払うのだということを学びました。当院もその意識を忘れてはならない。そう思う一日になりました。

2022年12月16日金曜日

人は肯定を食べて生きていく

 人は思い出を食べて生きていく。どこかで聞いたことのある言葉です。たしかに辛いときこそ、昔の良い思い出を思い出してそれに浸ることでまた立ち上がれるときがあります。ただ、思い出はどうしても今の自分の現状でその景色が変わってしまいます。今の自分が元気だったり幸せだなと思えていると、昔の思い出がたとえ良くないものでも、あれはあれで意味があったなんて良い意味づけができます。でも今の自分の状態がよくないと良い思い出さえ、あのときは良かったけど、今はダメだなんてと思ってしまうからです。思い出は現状の影響を受けてしまう。そんなとき、誰かから自分を肯定される言葉をかけられたり、無条件に自分を愛してくれる家族や愛犬がいたり、肯定というものは現状に関わらずそのときの自分を支えてくれます。常に自分のことを肯定する材料を探し、それを敏感にキャッチすることは生きていく上でとても役に立つものだと僕は信じています。

2022年12月9日金曜日

人は今よりもいい自分になりたいと思うもの

 人は今よりもいい自分になりたいと思う。向上心とか上昇志向とは関係なく、人の中から湧き上がってくる本能ではないか。そう思っています。現状がとても幸せで満足で、これ以上なんて望んでないと思っている人でさえ、心のどこかでよりよい自分になりたいと思っているはず。それが人の中にある限り、患者さんは今よりもよくなるのだと素直に僕は信じています。

2022年12月2日金曜日

人の判断は善悪ではなく、損得と好き嫌いでなされている

 人は善悪を判断しそれを声高に主張するが、人は個人としての損得、好き嫌いがあってしまう。変に善であろうとするのではなく、損得と好き嫌いにしたがって合理的に判断すればいい。

作家の町田康さんの言葉です。僕は損得までは気づいていませんでしたが、人間は善悪と自分の好き嫌いを勘違いしてしまうと思っていました。以前からそんなことをずっと思っていたのでうれしくなってブログに書いてみました。どうしても人は善悪を語りたがりますが、そこには損得と好き嫌いはあってしまう。みんなそれにうすうす気づいているけど、何かの対象について考えているうちにいつの間にか自分の考えに入り込みすぎて、それが絶対善、絶対悪になってしまう。そんなことが少し意識化できるだけで、少し視野が広がって考え方に広がりが生まれるのだと思います。


2022年11月25日金曜日

叱るなこども きた道 わらうな年寄り これから行く道

10月の私の履歴書は漫才師の西川きよしさんでした。これは頼まれて揮毫するときに書く言葉だそうです。

人はどうしても今の自分の基準や立場で人にあれこれ言ってしまいます。でも冷静に考えれば、今の自分とは今だけであって、それはほんの一瞬です。それをこの言葉は教えてくれました。

2022年11月18日金曜日

人がいてくれることに感謝

 長野県の松本市で学会がありました。それで、これまでずっと行きたいと思っていた上高地まで足を伸ばしてみました。上高地は自然を保存し、守っていくためにマイカーでの進入できない地域に指定されており、たばこやごみポイ捨てをできないようバスの中で放送されていました。






そこには普段都会に暮らす僕には見たことのない景色が広がっていました。すでに紅葉は十分に色づいており、朝には霜が一面に広がっていました。上高地の自然に神々しさを感じて鳥肌が立ちました。



翌朝7時に一人で散歩をしていると、クマに注意の看板を見つけました。「クマを驚かせないように」との注意書き。僕はこれをはじめ「驚かないように」と読み違えて、それは無理だろ!と一人でブツブツ突っ込んでいました。

その看板を見てから道を進んでいくと、明らかにさっき体外に排出されたばかりの湿った動物の糞が道に落ちているのが目に入りました。一度それに気づいてしまうとどんどん目に入ってきて、周囲にいくつもあることに気付きました。ふと振り返ってそれまで歩いてきた道を見ると、道路の上に小さな黒い緑のかたまりが点在していたのです。朝が早いのでそれまでの道中誰にも会っておらず、当然周りに人影はありません。次の瞬間、ササっと音がしました。でもそっちを見ることができません。周囲の林にある笹が揺れていたのでした。ようやく頭を上げて辺りを見渡しても何もいません。斜め後ろから冷たい風が僕をからかうように吹きつけます。それでも横に流れる美しい梓川を見ているとどうしても河畔を歩きたくなって、勝手に足が前に行こうとします。頭ではこれ以上進んではいけないとわかっているのに。そのときでした。後ろから車が何台か連続で来てくれたのです。普段は歩いているときに車が来てもそのまま気にせず歩き進めるくせに、このときばかりは車が来てくれた、人がいてくれたことがありがたくて、立ち止まって道をしっかりと譲りました。すると運転手さんが頭を下げてくれました。僕は思わず、その人より深く頭を下げたのでした。










2022年11月11日金曜日

患者さんが僕を元気にしてくれる

僕もいつもコンディションが万全というわけではありません。その日の僕は忙しさによる疲れから朝から身体が重く、診療しながらも内心は穏やかな状態ではありませんでした。そんなある日、久しぶりに来られた患者さんがおられました。その患者さんは入ってきた瞬間に「先生、変わられませんね。今回もお世話になります」と声を掛けてくださいました。その方のお言葉もそうですが、その表情や態度からその方が僕のことを信頼してくださってることが伝わってくるのです。

以前にもブログに書いたのですが、僭越ながら僕が患者さんの心を楽にできることもありますが、患者さんが僕の心を楽にしてくださることがあります。事実として患者さんが医者のことを救ったり、楽にしたり、元気にしたりすることがあるということです。そんなときは本当にありがたい気持ちになって、その方に手を合わせたくなります。その方のおかげで僕は力をいただき、また立ち上がって他の患者さんの治療に集中できるのです。どの仕事も同じだと思いますが、自分のことを信頼し、頼ってくださる方がおられる、それだけで職業人は仕事を続けていけるのだと思います。

2022年11月4日金曜日

助からないと思っても助かっている

 将棋界の超人と言われた大山康晴さんの言葉です。69年の人生で、A級というプロ棋士の頂点の地位を46年保ち続け、そののまま逝った方です。壮絶なまでの大山さんの人生から絞り出された生きるためのエキスであり、どん底にいる人たちを救ってくれる言葉だと思います。


2022年10月28日金曜日

楽に生きるために大切なのは、大きな流れに抗わないこと

 与えられた諸々の条件、その枠のなかでやっていくしかないのである。枠に不満も満足もない。当たり前こととして受け入れるだけ。毎日そんなふうに迎えていきたいと思う。

これは8月の私の履歴書で山崎努さんが書かれていたことです。

思うようにしてみてダメならジタバタせず、そのとき目の前にあることを一生懸命する。諦めがつかないなら、再チャレンジしてみる。それでうまく行けば、そのまま進める。ダメなら、また再チャレンジしてもいいし、諦めて目の前にあることをしてもいい。それである日転機が来たら、それを受け入れる。それが大きすぎて受け入れられなければ、受け入れずにいればいい。そのうちまた自然と進む道が決まってくる。これらは自分が決めているように見えて、すべて大きな流れの中に自分がいるということになります。

楽に生きるために大切なのは、大きな流れに抗わないこと。考えてみると、人生は自分が決めて進んでいるように見えて、実のところ大きなことは自分の意図とは別に、向こうからやってくることの方が多い気がします。

2022年10月21日金曜日

予約時間とは僕らと患者さんとの約束

新型コロナの到来とは関係なく、医療機関での待ち時間は短いことが大切であると思っています。それは僕自身が医療機関を受診して、その待ち時間の長さに何とも言えない脱力感と疲労感を感じたからでした。

最近、改めて気づいたのですが、当院に来ていただく患者さんやご家族は大多数の方が予約時間をきちんと守ってくださります。予約時間の10-15分ほど前に来ていただく方も少なくありません。そんな方々の姿を見ていると、僕らが予約時間を守り、待ち時間を最大限短くする努力を怠ってはならない。改めてそう思いました。予約時間とは僕らと患者さんとの約束です。これからもスタッフ全員が努力して、予約時間を守っていきたいと考えています。

2022年10月14日金曜日

街を歩いていて

 街を歩いていて、患者さんやそのご家族にお会いしたときに、とてもフレンドリーにご挨拶いただける方がいます。先日もそんなことがあり、そのとき少し気分が落ちていた僕にはその方の笑顔が女神のように見えました。その後もじーんと心に響く余韻。そんなとき、僕はいつも思います。患者さんやそのご家族の存在が僕を支えてくれているんだ。その日もまた心の中に感謝の気持ちが湧いた日でした。

2022年10月7日金曜日

何かに頼ればいい

自分の力で生きていけるようにと教えられたり、誰かに頼りたくなって頼ってみたら傷ついたり。そんなことが続くと、自分ひとりで自身を支えないといけないと思うようになります。でも、生きているとそれがどうしてもしんどくなる時が来ます。だから人は他の誰かをはじめ、自然、音楽、本、動物など頼れるものを求めるのでしょう。普段がんばってるんだから、何かに頼ればいいと思います。


2022年9月30日金曜日

自然法爾(じねんほうに)

 晩年に親鸞が弟子に宛てた手紙の中に、自然法爾(じねんほうに)という言葉があることを知りました。

自然とは「おのずからそうである」、法爾とは「法則にのっとること」という意味です。合わせて「すべてのことは阿弥陀仏が示すものであり、自分の力を捨てて阿弥陀仏の力に身を任せること」という意味になるそうです。世の中、あるいは人生に起こることのすべては、いいこと、悪いことを含めて人智の及ぶところではない、神様が決められているということだと理解しました。そう考えるとある出来事に対してどうしようと思うその気持ちから離れることができて、僕はとても心をが救われた実感を持つことができました。一方で、辛いことが起きたときにこの言葉通りの気持ちになれるのかが心配になりました。いつかそんな気持ちになれる日がきたら、どんなにいいだろう。そんなことを思いました。

2022年9月23日金曜日

人と会えることの大切さ

 


3年ぶりに対面での学会がありました。オンラインの便利さに慣れた部分と、当たり前ですが人と会えることの大切さを改めて感じました。特に、発表の場合には聴衆の方々の反応を直接感じることができる対面はとても有意義で、勉強になります。コロナ前は当たり前だったことの大切さを改めて感じることができました。社会は常に変化しているため、コロナ前と同じ状態に戻ることはありません。これからはオンラインがありながら、対面もできて、マスクもしなくていい生活になってほしいと思いました。ちなみに、この写真は明石海峡大橋です。秋晴れで、突き抜けるような青空が詰まっていた息を吐きださせて、呼吸をさせてくれる気がしました。

2022年9月16日金曜日

上を見て生きるんや、下を見て暮らすんや

 作家、開高健さんの有名な言葉です。

誇りと志を忘れず、日常ではひたむきに生きる。そんな意味だと解釈しています。市井の人の日常は派手なことがあるわけではありません。それでも日常を大切にして、前を向いて生きる。そんなことを「生きる」「暮らす」という言葉の使い分けで教えてくれているのだと思います。

2022年9月9日金曜日

芸は悲しみや抑圧から生まれる

 今年は沖縄の本土復帰から50周年で、沖縄に関する番組がたくさん放送されています。僕は沖縄が大好きなので、どうしても見てしまいます。沖縄の伝統音楽の番組でシンガーソングライターの宮沢和史さんがこんなことをおっしゃっていました。

「悲しい歴史は流れていくけれど、そこに新しい芸が生まれる。芸は悲しみとか抑圧とか、そういうところから生え出る」

芸って人を癒したり、感動させたりします。外から見ると、とてもプラスのものに見えます。でも実はその起源は悲しみなんだと気付かされる言葉でした。さすがは沖縄の音楽、いや芸を追求されてこられた方の言葉だと思いました。

2022年9月2日金曜日

そのとき一生懸命やったんだからそれでいい

 今月の私の履歴書は俳優の山崎努さんです。その中に若いころの山崎さんと黒澤明監督とのやり取りが書いてありました。

山崎さん:ご自分の昔の作品をみ返して後悔することはありませんか?

黒澤監督:(即座に)ないね。どうして後悔するの?そのとき一生懸命やったんだからそれでいいじゃないか

最後のこの言葉、すべての人に聞いてもらいたいと思いました。


2022年8月26日金曜日

人は精神疾患になったときにだけ、心を患うわけではない

受診される患者さんの中には精神疾患の診断に該当しない方もおられます。その中には「診断が出ないと診てもらえませんか?」と不安な表情で尋ねられる方がいます。精神科医は精神疾患の患者を診るもの。たしかにその通りです。ただ、精神科医が心を患った人を治療することを仕事とするなら、診断がつかなくても僕はその方を治療をしたいと考えています。なぜなら、人は精神疾患になったときにだけ、心を患うわけではないからです。

2022年8月19日金曜日

自分を変えようとした人たちはみんな良くなっていった

良くなっていかれる患者さんたちの理由は様々ですが、その多くに共通点があることに気づきました。それは、患者さんが自分自身を変えようとしている場合です。手あかのついた言葉ですが、自分以外の人は変えられませんが、自分は変えることができるからです。自分自身を変えることで、その問題への見方や捉え方が変わり、良くなっていかれます。僕は自分自身を変えようと努力されている患者さんを診ると、胸が熱くなります。

2022年8月12日金曜日

人生が足りない

 今年の8月で作家の松本清張さんが亡くなって30周年だそうです。最近、それに伴って制作された特集番組を見ました。

その中で清張さんの担当編集者だった方がこんな話をされていました。晩年になった清張さんに、先生はもうお歳だから、連載の数は減らしてくださいねって声を掛けたら、「お前は私との付き合いが長いのに、何もわかっていない」と怒られたそうです。その後、清張さんは「私には書きたいものが山のようにある。人生が足りないんだ」と語ったそうです。

亡くなる直前まで筆を執り続けた作家の姿を見た気がしました。それくらい知的好奇心が掻き立てられるものがあるなんて、人としてどんなに幸せだろう。そんなことを思いました。


2022年8月5日金曜日

たくさんの人に評価されたいか。自分の意図をわかってくれる人にだけ評価されたいか

たくさんの人に評価されたいでしょうか。それとも自分の意図をわかってくれる人にだけ評価されたいでしょうか。

これは意見が分かれるところかなと思います。

たくさんの人に評価されるということは、その評価のされかたの内訳が分かれるので、自分の意図と違う形で評価されるものも含まれます。そこで、まあ評価されたしいいかって通り過ぎて、とにかく満足できる人もいます。だからSNSは成り立ちます。でも、自分の意図と違った評価のされかたは本当の意味で自分の気持ちを満たしてくれるかと言えば、疑問です。

自分の意図を汲んで理解してくれている人の存在はとびきりうれしいものです。だからなんらかの共通点を持った人たちの集まりが成り立ちます。でも、自分の意図をわかってくれる人に出会えることはそんなに多くありません。

実際のところ、自分の意図を理解してくれる人に出会えることは多くないので、その間を多少意図がずれていても評価してくれている人で満たすのかもしれない。それでいいのかもしれない。そんなことを考えてみました。

2022年7月29日金曜日

真夏のきつねうどん

夏のエアコン生活時間が長いと、冬以上に温かい食べ物がほしくなります。中でもお昼休みに行く近所の食堂のきつねうどんは秀逸です。注文してから十分あまりで、三角巾を頭にきれいに巻いた大阪のおばちゃんが運んできてくれるそのきつねうどんは、器からうっすら湯気を立てています。おばちゃんの「お待ちどうさま!」の元気な響きを聞いたあと、きつねうどんから立ち上がる湯気に顔を入れ、カツオだしの香りを楽しみます。テーブルの端にある瓢箪の形をした七味入れの先の栓を抜き、サッときつねの上にかける。それを箸で広げてまずはだしから。口に入ると、温かいだしの次にきつねの甘みと七味の少しの辛味がついてくる。それが混ざり合うと甘味が増して、最後はなんとも言えない柔らかくやさしい味が口の中を覆います。それからコシのない大阪うどんをすする。その柔らかい歯ごたえはエアコンで固くなったからだに伝わって、それを柔らかくしてくれる。最後にきつね。きつねは僕にとってきつねうどんの最後の楽しみです。食堂の照明が電球色のせいか、うすい黄金色に見えるのきつねは煮込みすぎず適度にふわふわ感を残しているので、箸ですっと割くことができる。それをそのまま口に運ぶと、口蓋と舌を寄せ合うだけで、きつねの甘味がじゅわっと広がる。もうこうなってくると全身の筋肉までほぐされてしまう。人は甘味に弱いようです。あとはもう箸の欲望のままに、だし、うどん、きつねを順不同に口に運ぶだけです。器の底が見えるまで約五分というところでしょうか。この五分間の癒しのために、真夏にきつねうどんを求めて僕はそそくさとその食堂に通うのです。

2022年7月22日金曜日

人は自分への肯定を食べて生きていくもの

人は自分の考えに近い人に会いたくなります。それはその人に会うことで、自分の存在を肯定されるからです。人は自分への肯定を食べて生きていくものだと思います。

2022年7月15日金曜日

自分が感じたことは他の誰かも感じている

こんな苦労や悲惨な経験は自分しかしてないはず。そう思うことがあります。でも人類はこれまで長い間生きてきました。自分がしている経験はこれまでの歴史、あるいは現在でも他の誰かがしている可能性があります。だから生きていると、他の人の話、本や映画などを通して、自分だけじゃなかったんだ、なんて出会いがあります。それを探し求めていれば、おのずと自分以外の人が自分と似た経験をしている人に出会えると思います。



2022年7月8日金曜日

僕の人生で大事なのは、どう思われるかよりどうありたいか

先日のNHKのスイッチインタビューに ホストで実業家のローランドさんがおっしゃっていた言葉です。

人の視線なんて気にせず、自分が好きなことをしなさい、みたいな言葉は最近とても言われています。でも自分を否定されることがあるたびに、どうしても人の視線が気になります。それも無意識に。そんなとき、ローランドさんのこの言葉は自分を本来の自分の位置に戻してくれる言葉です。

2022年7月1日金曜日

もっと自分になろうとすることで、今と違った自分になれる

今の自分がイヤで、誰かを見たときにその人のようになりたいと思うことは誰にでもあります。それは外見でも、物理的な持ち物でも、何かの能力でも。最初は誰かに憧れて「あんな風になりたい」と思うのは大きな原動力になります。でもそれで最後までは行けない。誰かみたいになろうとするとしんどくなる。自分はその人じゃないからです。いや、なる必要もない。それよりも、もっと自分になろうとするほうがいい。それは無理がないというだけではありません。もっと自分になろうとすることが、今と違った自分になることにつながると僕は思っています。

2022年6月24日金曜日

人は最愛の人の死から卒業できる

 平野啓一郎さんの「本心」という作品を読みました。背景は2040年の日本。29歳の「僕」は亡くなった母に会いたくてバーチャルフィギュア(VF)を高額を出して買い、VFの母との時間を過ごす。母の本心を探し求めながらVFの母との時間を過ごし、徐々にVFの母という機械、母の死から卒業していくお話です。

ある程度人生を生きた人なら、最愛の人を亡くす体験をしない人はいません。その悲しみを乗り越えて多くの人は生きていく。どれほど大切で愛していた人でも、自分とは違う存在であり、死んだ人と生きている自分はその後もそれぞれの人生を生きることになる。冷静に考えてみれば誰にでもわかることだけど、当事者になるとそれは簡単なことではない。最愛の人を亡くしたあとも人は生きていける、最愛の人の死から人は卒業できる。そんな応援歌のように聴こえました。

2022年6月17日金曜日

意図せず相手が喜んでくれたほうがいい

意図して相手を喜ばせようとして喜んでもらうときより、意図せずがむしゃらにやったことで相手が喜んでくれたときのほうがもっとうれしい気がします。

2022年6月10日金曜日

愛する人と同じように、自分の身体も大切にする

自分の身体は自分のもの。多くの人はそう思っています。でも人の命には限りがあり、いずれは自分の体とお別れするときが来ます。身体は生きている間だけの一時的な借り物なのかもしれません。愛する人を大切にするように、自分の身体も大切にしたい。いつもお世話になっている自分の身体に感謝したくなります。

2022年6月3日金曜日

トライ&エラーを繰り返すことを我慢する

 僕が子どものころは目標を達成するために我慢することが美徳のような風潮がありました。僕もそれを信じて、我慢できている自分を褒めて鼓舞してきました。実際それでうまくいくこともあります。ただ、それだとどうしても一つの価値観に固執して、視野が狭まります。それよりも自分が好きなこと、うまくできることを探す。見つからなくてもまた探す。もし我慢するならそのトライ&エラーを繰り返すことを我慢するほうがいいんじゃないかと思うようになりました。

2022年5月27日金曜日

対象は相手ではなく自分

 ボクシングは強くなってるけど、心は弱くなってる。

プロボクサーの村田諒太選手の言葉です。村田選手は日本選手権と北京オリンピックの二度、相手が強いという先入観で負けてしまったそうです。それを克服したくて、相手に勝つことを目標にボクシングをがんばってきたけど、大切なのはそういうことじゃなかった。大切なのは自分が人間として強くなること。そのために今回ミドル級チャンピオンで名実ともに最強と言われたカザフスタンのゴロフキン選手と戦うことを決めました。ゴロフキン選手にぶつかっていくことで、人間として強くなりたい。村田選手いわく、強いというのは相手に勝つことではなく、自分に勝つことだと言います。そのチャンスをくれたゴロフキン選手に感謝していると。

ただただ強い自分になりたいというその姿勢に胸を打たれました。徹底して自分に向き合う。対象は相手ではなく自分であるということです。


2022年5月20日金曜日

歳を重ねることのメリット

歳を重ねることで、体力が落ちてきます。これは一見うれしいことではありません。でも精神的には逆のことが起こるように思います。歳を重ねると、体力が落ちるので無理をしなくなり、無駄がなくなり、それまでの経験から自分の好みがはっきりしてくる。これは歳を重ねることのメリットです。

2022年5月13日金曜日

それでいい

 生きていると周囲から(自分からも)自分を否定されることがやってきます。自分なりに精いっぱいやっていても。そんなときは自分にこの言葉をかけてあげてください。

「それでいいよ、十分よくやってるよ」


2022年5月6日金曜日

こころが穏やかでいられることほど幸せなことはない

 自分が一番幸せなときはいつかを考えてみました。家族と過ごしているとき、臨床でうまくできたとき、自分の成長を感じるとき。こうやって具体的に挙げるとほかにも刺激的なことを含めてたくさんあります。でもその質問を自分に突き詰めていくと、「自分のこころが穏やかなとき」であることに気づきました。僕も含め、人は刺激的なことを求めがちですが、こころが穏やかでいられることほど幸せなことはありません。

2022年4月29日金曜日

自分が患者にならないと感覚がずれてくる

 先日、生まれてはじめて大腸カメラの検査を受けました。どういうわけか僕の周りには消化器内科の医者が多く、みな口をそろえて40歳を超えたら大腸カメラは受けておいたほうがいいと言うのです。検査当日の日。内視鏡検査を担当してくださる先生の診察でどんな話が出てくるのか、平静を装いながらも体の筋肉は固くなっていました。簡単な問診のあとに先生は「しっかり診せてもらいますからね」と落ち着いた口調で話されました。そこに先生の経験と年輪を感じ、それだけで固くなっていた筋肉が緩みました。そうだ、患者さんってこんな感覚で僕のところに来てくれていたんだ。診察室を出るとき、自分の安堵感以外にも違うものを得た感覚になりました。

毎日医者という立場から患者さんを迎えて診療をしていると、それが日常になってきます。自分が患者にならないと、こちらからの一方的な視点になってどうしても感覚がずれてくる。自分の診療をできる限り客観的にみる目、無意識に芽生える自分のおごりを戒める目が必要です。それを大腸カメラをしてくださった先生に教えていただきました。

2022年4月22日金曜日

自分を蔑(さげす)まない

 有名な人や地位の高い人を前にしたとき、知名度や地位だけでその人と自分を比べて「すごい、この人と自分は違う」と自分を蔑んでしまうことがあります。そんなことをしても自分を傷つけるだけです。それなら追っかけみたいにキャーキャー言って「一緒に写真撮ってください」くらいのほうがましです。そのほうが気持ちが明るくなったり、元気をもらえたりするからです。自分だって自分の置かれた環境の中で一生懸命生きているわけです。知名度や地位という物差しだけで自分を評価してはいけません。わかっていてもそれをしてしまうのが人間とも言えますが、やはりそれはあくまでも一つの基準です。知名度や地位があることが自分の幸せだと考えるなら、自分を鼓舞する材料として「この人と自分は違う。もっとがんばれ」と利用するなら役に立ちます。でも、もしそうでないなら自分を蔑む必要はありません。知名度や地位と人の幸福度や人間性とは必ずしもイコールではありません。自分にとって何が幸せなのか、どんな人間になりたいのかのほうがずっと大切だと思います。

2022年4月15日金曜日

一人の時間を大切にする

 斉藤孝さんの「孤独のチカラ」という本を読みました。

今の人たちは誰かとつるむ、つながることを大切にする。社交的でそつなくやれる顔を維持することが求められる。それよりも一人の孤独な時間を大事にする。何かを成し遂げるには一人の時間は不可欠。自分を戦友にする。誰にも認められず、孤軍奮闘していたかつての自分を知っているのは自分だけだから。

この最後のくだりには、本当に勇気をもらえました。

斎藤さんの個人的な体験が本当に生々しく描かれていて、とても共鳴できました。僕も誰かと何かをしたときよりも、自分と向き合ってもがいていた時間のほうが成長できたと実感しています。自分一人の孤独な時間を充実させることは、自分の中にあるものを発掘し、自分ができること、自分が本当にしたいことを見つけるのに最適です。そんなものは誰も一緒に探してくれないし、探せません。また人は死ぬときは一人です。一人の時間を大事にすることは、不安にならず死を迎えられることにつながります。人生を通じて、一人の時間を持つことの大切さを改めて感じました。


2022年4月8日金曜日

人は誰かに見てもらいたい

モデルや芸能人はデビュー当時とピーク時を比較すると、まるで別人のように魅力が増します。それは誰かが見てくれているから魅力を増しやすい。でもピークを過ぎてしまうとその顔つきはまた変わります。それはモデルや芸能人だけではありません。人は誰かに見てもらえてると思うから、力が湧いてきてさらにがんばることができるのです。人は誰かに見てもらいたい。これは決して悪いことではなく、自分の存在意義を確認するための当たり前の感情だと思います。

2022年4月1日金曜日

本当の友達とは

 「友達」ついてこんな言葉を聞いたことがあります。

本当の友達とは、自分に嬉しいことがあったときに一緒に喜んでくれる人のこと。悲しいときに一緒に悲しんでくれる人は多いが、嬉しいときに一緒に喜んでくれる人は少ないから。

2022年3月25日金曜日

先輩より後輩がいい

僕は先輩の立場より後輩の立場の方が好きです。先輩は後輩よりも上という立場から逃れられません。無意識に肩に無駄な力が入ります。その点、後輩は気楽です。自分は下という前提のもと、先輩に頼っていい。人に頼れるということは心に平穏を生んでくれます。

2022年3月18日金曜日

怒らない、誇らない

「人は歳を取ると怒らなくなる」

どこかで聞いた言葉です。それに似た言葉を最近テレビで見ました。

「誇らない」

二つとも、今の僕は到底できていません。それができたら人生が楽になるだろうということだけはわかります(笑)

2022年3月11日金曜日

仕事とは地道なことの繰り返し

NHKの小さな旅という長寿番組(昭和58年放送開始)があります。僕がこの番組を最初に見たのは子どものときですが、好きになったのは30代前半のときでした。そのころ東京で仕事をしていた僕は月1回金曜日の晩から日曜日の朝にかけて、埼玉の田舎にある病院の二泊三日の当直バイトに行っていていました。日曜日の朝、当直明けのボーっとした頭で、もうすぐ当直が終わるというホッとする気持ちでいたとき、ふとテレビをつけるとNHKから小さな旅の音楽が流れたのです。知っている方も多いと思いますが、なんとも言えない癒される音楽です。そのころアルバイトをしないと生活ができなかった僕にとって、その音楽は僕のわびしい気持ちを癒してくれました。そのときから小さな旅のファンになりました。今も毎回録画をして見ています。

その中にはいろんな仕事をしている人たちが出てきます。小さな商いをしているご夫婦、伝統工芸の職人さん、地域を支える工事をする人、家庭の主婦。この番組のおかげで、いろんな人たちが仕事をする姿を垣間見せてもらっています。そこに共通していたのは、すべての仕事は地道に同じことを繰り返すというものでした。たとえそれが華やかに見えても、決してそんなことはありません。癒しとともに人が生きることについての学びをいただいています。

2022年3月4日金曜日

いい選手は条件に左右されない人

今季、鈴鹿ポイントゲッターズに移籍した三浦知良選手が先日の新聞でおっしゃっていた言葉です。人は立場が上がってくると、あれこれ条件をつけそうになります。いいものを知ってしまうと、そうでないものを見たときにその違いがどうしても目につくからです。条件なんてものを重視しない人だから、三浦選手はここまで来られたのだと思います。

その点、精神科医という仕事はあれこれ条件をつけなくてもいい。薬を除けば、必要なのは患者さんと自分だけ。使う道具は自分だけです。ほっておいてもそうなります。実際のところ、パソコンがなくても診察は可能です。究極、紙や鉛筆さえ必要ありません。患者さんの話を聞いて、楽になってもらうのが精神科医の仕事です。必ずしも薬やパソコンがないとできない仕事ではありません。

いいサッカー選手もボールさえあれば、いい地面やいいスパイクでなくても、裸足ででもサッカーが上手なのだと思います。使う道具は自分だけです。自分という道具を磨くためにみんな練習されているのだと思います。サッカー選手と精神科医の共通点を見つけました。

2022年2月25日金曜日

梅の花に癒される

 


いつの日からか、梅の花が綺麗だと思うようになりました。毎年2月のこの時期が来るのが楽しみになるくらいです。夜にたまたま通りがかったところに満開の梅の花が咲いていたので、思わず写真を撮りました。夜に見る梅もいいものです。今年も梅の花に癒され、この季節が来てくれたことに感謝します。

2022年2月18日金曜日

人は自分のすごさに気づいていない

 偉い人や有名人がした仕事や苦労はすごく見える。一方で、自分の仕事や苦労は大したことない。この程度なら誰でもしている。

そう思っている人が多いように思います。果たしてそうなのでしょうか。そこに価値の違いなんて本当にあるんでしょうか。一人の人が生を受け、その生を全うしようと生きている。そこにすごいもすごくないもあるのでしょうか。職業に貴賤はないと言います。同じ話ではないでしょうか。偉い人や有名な人の人生に注目して、そこから学ぶことは大切です。でもそれと同じくらい自分の人生でがんばってきたこと、学んだことに注目することは大切だと思うのです。



2022年2月11日金曜日

人の可能性を感じるとき

臨床では、はじめはこわばった怖い顔をしていた人が話をしているうちに柔らかい温かい顔になっていく姿を見ます。人はしんどいときにはどうしてもいい顔にはなれませんが、元気になってくるといい顔になれる。それはどんな人でも同じです。僕はそこに人の可能性を感じます。

2022年2月4日金曜日

混沌にいるときは、あえて違うことをしてみる

人は目標を達成したいと思えば思うほど、一つのことだけに集中したほうが効率的だと考えがちです。僕の場合、臨床の勉強だけに集中したいと思ってきました。無駄な時間を使いたくない。そう思ってきました。勉強がうまくいってるときはいいですが、うまく進まなくなったときに行き詰ってしまう。息がつまります。勉強しようとすればするほど空回りするので気持ちが下がって効率は悪くなります。いわゆる混沌です。苦しまぎれに、これまでしたこともないゴルフを始めてみました。コーチの教えをもとに、あーでもない、こーでもないと考える。頭の中は止まったボールをうまく打つこと一色になります。それだけでも混沌から離れられます。さらにコーチの言葉。力を抜く、自然体で打つ、最初の姿勢で決まる。臨床と同じなのです。頭の整理までできました。あえて違うことをしてみる。これまでも聞いたことはあり、理屈ではわかっているつもりでしたが、実感できた経験でした。

2022年1月28日金曜日

言葉や歌は一番強い支え

一冊の本、一枚の写真、一つの場所、一つの言葉、一つの歌。何かが自分を支えてくれています。なかでも、言葉や歌はなくなりません。いつでも取り出せます。人を支えるものの中で、一番強い支えじゃないかと思います。

2022年1月21日金曜日

他人のために生きること、自分のために生きることに気づいていく

テレビでコロナ禍のジャズミュージシャンがこんなことを言っていました。「コロナ禍で考えたんだ。なぜミュージシャンは不要不急の存在と言われたのか。僕はこれまで自分勝手な音楽をしてきた。人を喜ばせよう、楽しませようとしてこなかった。これからはそれをしていきたい」

人には大きく分けて二つあるように思います。自分中心に生きる人、他人中心に生きる人。両方とも間違っていません。でも、人は自分だけのために生きることも、他人だけのために生きることもできません。スタートが自分中心の人は他人のために生きることに気づいていく。スタートが他人中心の人は自分のために生きることに気づいていく。それがその人の成長なのではないか。そう思うのです。

2022年1月14日金曜日

人生はすべてレンタル

テレビでどなたかがおっしゃっていて、ふと入ってきた言葉です。自分の身体、子ども、家族、仕事、職場、お金、車などの持ち物。挙げだしたらキリがありません。人生という時間でさえも一時的に与えられたものです。自分のものと言えば、自分のこころくらいでしょうか。それ以外はすべてレンタルだなと思いました。だって自分のこころ以外は、死ぬときに持っていけませんから。そう思うと、自然にそれらを大切にしたい気持ち、感謝したい気持ち、謙虚な気持ちが湧いてくる。不思議な力を持っている言葉です。

2022年1月7日金曜日

かっこつけない人が一番かっこいい

容姿、行動、業績、名誉など、その手段はなんであれ、みんな少しでも自分をカッコよくみせようとするものです。それは何もおかしなことではありません。でも、自然体でかっこつけない人が一番かっこいいなと思います。