すべてのお客さんを満足させたいと思うのが自営業をしている人の思いではないでしょうか。そんなとき、ふと思った言葉です。お客さんの考え方は千差万別であり、有能な社長がスタッフをいくら教育しても考え方をすべて同一のものにすることは不可能、有能な社長も完璧なわけがない、お客さんのその日のコンディション、スタッフのその日のコンディション、予期せぬアンラッキーなことが起こるなど、お客さんが満足できない状況が起こる要素は無限にあります。
2023年7月28日金曜日
この世にはすべてのお客さんを満足させられるお店は存在しない
2023年7月21日金曜日
マクナマラの誤謬
先日の映像の世紀は「マクナマラの誤謬(ごびゅう)」でした。恥ずかしながら僕はこの言葉をこの番組を見てはじめて知りました。以下にNHKのホームページにあった文章を転記します。
数字にばかりこだわり、物事の全体像を見失うことを「マクナマラの誤謬」という。この言葉の由来となったのがアメリカの国務長官を務めたロバート・マクナマラ。マクナマラはデータ分析を駆使してベトナム戦争に勝利しようとしたが、数字では測れないベトナム人の愛国心やアメリカ市民の反戦感情に目を向けず泥沼の戦争を招いた。
この番組の最後に「マクナマラの誤謬」という言葉を作った社会学者ダニエル・ヤンケロビッチの言葉が以下のように引用されていました。
20世紀になって私たちは数字で測れるものはすべて計測するようになりました。計測できるものは計測して、計測できないものは忘れようと考えるのは致命的な失敗への第一歩なのです。
本当にそうだなと思いました。数字はとてもわかりやすく説得力を持たせてくれます。でも数字至上でものを考えることは違うのだと思いました。僕が勉強している精神療法(対話で患者さんを治す治療法)は数字で測れるものではありません。なぜなら患者さんは一人一人違うし、同じ患者さんでもその時によって状態や考えは変わります。当然、治療者である自分もそのときによって変わります。精神科医は対話で治療する医者であるため、ハンコで押したように同じ治療を提供することは不可能です。つまり精神療法はすべて、毎回、一期一会なのです。それを診断名などでまとめてひとくくりの数字で評価してしまうのはとても危険だと僕は思っています。同じ診断名でも各患者さんごと、そのタイミングごとですべて違うからです。そう考える僕にとって「マクナマラの誤謬」という言葉は大きな勇気を与えてくれました。
2023年7月14日金曜日
プロとしてやらせていただいている以上、当たり前のこと
2023年7月7日金曜日
駅で男同士が別れるとき
先日韓国に行ったとき大きなターミナル駅で僕は親戚の兄さんが来られるのを待っていました。兄さんの電車が遅延して、暇ながらも待つしかないのでただただそこにいる人たちを見ていました。久しぶりの再会を喜ぶ人たち、しばらく会えなくなると別れを惜しむ人たち。その中に50代くらいに見える中年男性の友達同士が別れの挨拶をするが目に入りました。日本に比べれば、韓国では同性同士でも抱き合い、手をつなぎ、人対人として愛情表現をはっきりとします。駅まで送りに来た方の男性が友人を抱きしめて頬にキスまでして、見送っていました。空気感から同性愛というものではなく、本当の親友との別れを惜しむ姿でした。抱擁とキスを受ける友人も恥ずかしがりながらもとてもさみしそうに見えて。その後、お互いが身体が離れて手を振った後、お互いをまた振り向いて見るのかと思えば、二人ともすぐに目的の方向をまっすぐに向いて歩き出すのです。僕ならもう一度相手の姿を見て、目を合わせたくなるのに、それをしないで別れたあとは潔い。これが男同士の別れなのだと感じました。お互い内心でやせ我慢しているはずなのにそのそぶりは一切見せない。50年以上の人生の中でこれまで何度となく別れを経験したことで、引きずると自分がしんどくなるのがわかっているかのように。その数分間にいろんなことを思いました。