2025年4月4日金曜日

障害受容は葛藤している方がいい

発達障害、知的障害の方、そのご家族から「障害を受容したほうがいいのはわかっているけど、それがなかなかできない」というお話をよくお聞きする。僕はそれでいいと思う。いや、それがいいと思う。障害を受容しすぎると「もうこれでいいんだ」「自分にはこれ以上できないんだ」と納得しすぎてそこからご自身の成長への取り組みをやめてしまうからだ。人は葛藤しているからこそ、そこから抜け出したくて道を模索し努力するのだ。何らかの葛藤なしに人が努力することはない。障害の有無にかかわらず人は成長できる。そのためには障害受容について葛藤を続けることはとても大切なことだと思う。


2025年3月28日金曜日

疲れていると人はありもしないことを考えてしまう

僕は仕事柄、親御さんが子どもをとても大切にしている光景をよく見る。なんでもない当たり前の日常だ。でも年に数回、こんなにも守ってくれる人がいるなんていいなって思ってしまう。なんとも情けない話だが、疲れていると人はありもしないことを考えてしまうようだ。

2025年3月21日金曜日

週末の電車の中で

 先日ある人に会ってお酒を飲んで遅い時間のJRに乗った。大阪駅まで25分ほどの距離だ。土曜日の夜9時を過ぎた電車の中は人が多かったが、たまたま2人掛けの1つの席が空いていたのでほっとしながら座ろうとしたら2人掛けの席の真ん中から20㎝ほどはみ出すくらい足を広げて大柄の若い男性が座ってスマホを見つめていた。あ、だから混雑してる電車でもみんなここには座らなかったのかと気づいた。疲れていた僕はとにかく座れるだけでいいと思って座った。でもその男性は姿勢を変える様子もなく、そのままスマホを見つめていた。イラっとして僕も20㎝横に押されながらも自分の足を前に出してみた。もちろんその男性は姿勢を変えない。ふとそんなことで張り合っている自分が馬鹿に思えてきて、座席に深く座りなおして足を引いた。そのあとの電車の時間はできるだけ自分がイラつかないようにと仕事のことを考えてその男性から気をそらすことを続けた。僕が先に降りることになったのだが、なんだか自分が人としての階段をひとつ上れた気がした。

2025年3月14日金曜日

歳を重ねることは想像力がつくこと

 先日、レストランで大声で店員さんに怒鳴っている若い人を見て、僕の横にいた年配の方が「若いな」とぼそっとつぶやいていた。自分のことを思い出した。30代前半のころ、お店で店員さんの態度に僕が怒って父に愚痴っていると父から「それくらいええやないか。そんなことで怒ってどうするねん」と諭されたことがあった。当時の僕は間違ってるものは間違ってると確信していたので父の言葉は僕にはまったく響かなかった。でも年齢が上がってくると、相手の背景や事情、怒ったあとの自分へのストレスやその後の流れを想像するようになり、その瞬間は腹が立ってもそれを維持することが馬鹿らしくなった。すると許せる範囲が勝手に広がった。

個人差はあるだろうが、歳を重ねるということは想像力がつくことなのだと思う。

2025年3月7日金曜日

みかんの声が聞こえるようになりたい

NHKの小さな旅という番組。先日は愛媛県でみかん農家を経営する60歳の男性が出ておられた。みかん農家の家に生まれ、小学生のときからみかんの収穫をしてきたという。少しでもおいしいみかんを作ることを目標にされているそうだ。

みかんの声が聞こえるようになりたい。「お腹すいたよ」「のどが渇いたよ」もっといいのは「今が一番おいしい時期だから収穫して。これ以上置いておくと美味しくなくなるよ」。でもまだ全然みかんの声が聞こえない。それが聞こえたら幸せだと思う。

その男性はこれを話しながら少し涙が出そうになっているように僕には見えた。

自分の仕事を極めようとする人はみんな、こんなことを考えるのだと思う。