先日の映像の世紀は「マクナマラの誤謬(ごびゅう)」でした。恥ずかしながら僕はこの言葉をこの番組を見てはじめて知りました。以下にNHKのホームページにあった文章を転記します。
数字にばかりこだわり、物事の全体像を見失うことを「マクナマラの誤謬」という。この言葉の由来となったのがアメリカの国務長官を務めたロバート・マクナマラ。マクナマラはデータ分析を駆使してベトナム戦争に勝利しようとしたが、数字では測れないベトナム人の愛国心やアメリカ市民の反戦感情に目を向けず泥沼の戦争を招いた。
この番組の最後に「マクナマラの誤謬」という言葉を作った社会学者ダニエル・ヤンケロビッチの言葉が以下のように引用されていました。
20世紀になって私たちは数字で測れるものはすべて計測するようになりました。計測できるものは計測して、計測できないものは忘れようと考えるのは致命的な失敗への第一歩なのです。
本当にそうだなと思いました。数字はとてもわかりやすく説得力を持たせてくれます。でも数字至上でものを考えることは違うのだと思いました。僕が勉強している精神療法(対話で患者さんを治す治療法)は数字で測れるものではありません。なぜなら患者さんは一人一人違うし、同じ患者さんでもその時によって状態や考えは変わります。当然、治療者である自分もそのときによって変わります。精神科医は対話で治療する医者であるため、ハンコで押したように同じ治療を提供することは不可能です。つまり精神療法はすべて、毎回、一期一会なのです。それを診断名などでまとめてひとくくりの数字で評価してしまうのはとても危険だと僕は思っています。同じ診断名でも各患者さんごと、そのタイミングごとですべて違うからです。そう考える僕にとって「マクナマラの誤謬」という言葉は大きな勇気を与えてくれました。
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