2025年6月27日金曜日

離島の精神医療を支える人たち

 韓国という国は僕にとって心の柱になってくれている。沖縄という場所は苦しいことがあったときにたびたび心を癒してくれたところだ。この二つは僕にとって特別である。

 時間を見つけては沖縄に行き、本やテレビで外から沖縄を知るうち、沖縄の離島医療がどんなものか気になり始めた。どうしてもその実際が見たくなって調べているうちに離島の精神医療を病院の柱の一つにされている那覇市の首里にあるオリブ山病院の存在を知った。2010年から沖縄の離島精神医療を続けておられるそうだ。今回、無理をお願いして同病院の副院長の横田泉先生、離島医療のマネージメントをされている精神保健福祉士の立津克浩さんの離島診療に同行し慶良間諸島の阿嘉島、座間味島での診療を見学させていただいた。



 患者さんが村役場の隣にある施設に来られる、あるいは医師と病院スタッフが直接患者さんのお宅を訪問する。医師が診察し、薬の処方もその場で電子カルテで行い、精神保健福祉士や看護師などの病院スタッフが会計、次回診察の予約や薬の受け取り方、診断書や困ったときの連絡先の説明など診察以外の業務を一手に引き受ける。診察の情報は常に那覇市内にある病院と共有される。天候や波の状態に問題がなければ当日か翌日には薬がレターパックで島にいる患者さんのお宅に届く。ただ医師が行って診察すればいいというようなものではなかった。医師以外にも同行してくれる病院スタッフ、市内の病院にいながら常にサポートしてくれる病院スタッフ、処方箋をFAXで受けてレターパックで患者さんの自宅まで薬を郵送してくれる市内の薬局スタッフ、村の人たちの健康状態を把握している村の診療所の医師と看護師、普段から患者さんの自宅を訪問している保健師、村役場のスタッフ。多くの人たちが作ってくれるインフラのもとに離島の精神医療は成り立っていた。

「病院に来れない患者さんがいるなら、僕らが患者さんのもとに行く」

オリブ山病院の院長の玉城尚先生の言葉だ。離島医療にかかわっておられる医師や病院スタッフの方々は自らの利益よりも人としての気持ちから離島医療をされていた。しかも離島医療がしたくて、それが楽しんでおられた。

 離島で暮らす人たちが医療につながることは容易ではない。それを支える人たちの美しさに触れた三日間であった。



2025年6月20日金曜日

歳を取ると楽になる

「 ~でなくてはならない」という考えは人を苦しめる。それからずれたときに心に葛藤が生まれるからだ。それから解放されるだけでもかなりの人が楽になれると思う。でも心配はいらない。年齢が上がってくると「~でなくてはならない」は勝手にできなくなってくる。いろんな考えのしがらみから離れていくことはとても心を楽にしてくれる。


2025年6月13日金曜日

目標を持つことは年齢に関係なくすごいこと

 先日のNHKのドキュメンタリーで還暦で医者になった訪問診療医の水野隆史先生が出ておられた。64歳で研修医をされている女性医師の記事を見て、50歳から医者を目指した。5年間で受けた医学部は延べ50校。55歳で医学部に合格し、60歳で医者になったのだ。水野先生を見て医者を目指した元NHKのプロデューサーの先生も出ていた。まるでバトンをつなぐように50歳を超えて皆さん医者になっていた。

 水野先生の患者さんのほとんどは高齢者だ。ある高齢女性が100歳の誕生日を目指して生きておられた。そして100歳を迎えたとき、その女性の息子さん(70歳)が「目標を持つことは年齢に関係なくすごいことだと思う」とおっしゃっていた。僕はこの息子さんの言葉がこの番組を象徴していると感じた。目標を持つことは生きていく上で本当に大きな力になる。

2025年6月6日金曜日

お互いがリスペクトできていると関係は長く続く

年齢が上がるにつれ友達と呼べる人が減って行く。 以前は親友とは言わないまでも比較的定期的に会っていた人が多かった。その友達が魅力的だったり、尊敬できたり、優しかったり、自分の価値観と近かったり。悪いところでいくと自分にメリットがあったり。理由はなんでもいい。今の僕にとっての友達は2つの条件しかないことに気付いた。一つはお互いがリスペクトできること。もう一つは一緒にいて癒されること。まことに自分勝手で申し訳ないがどちらかがあれば僕は友達と思える。ただ、長く続く友達となるとそれはやはりお互いがリスペクトできること。それは友達ではなくとも、すべての人間関係において言えることだと思う。