NHKの「新日本風土記」という番組が好きだ。それぞれの土地に住む人たちの生活を見せてくれる。今回は鹿児島県の指宿だった。指宿では毎年春に「いぶすき菜の花マラソン」が開かれているらしい。番組の中で地域の方々がランナーたちのためにみかん、イチゴ、足湯のための温泉水、かつおの腹皮の炭火焼、プロのマッサージを用意して待ち受けていた。その中で小学生から大人までが小さくちぎったミカンを手に持って道路に並んでランナーを出迎え、ランナーたちがそれを手にしてくれるかどうかに一喜一憂していた。自分が持ったミカンを取ってくれないとしょんぼりして、取ってくれたらそれだけで歓声をあげて隣の人とハイタッチして喜んでいる。人って誰かの役に立てるというだけで力が湧いてきたり、幸せな気持ちになる。それはやっている事の大きさではない。人々の姿に胸がジンとした。
2025年5月30日金曜日
2025年5月23日金曜日
「世間」は何もしてくれない
「 私は〇〇(親、子ども、人)としてこれでいいんでしょうか」
患者さんからよく尋ねられる。生きていると今自分がしている行動が世間では良しとされないと思うときがある。誰もがそんな経験をする。でも大切なのは世間の視線ではなく、自分が元気に生きていくことだと思う。世間は何もしてくれない。自分が生きることを優先してほしい。
2025年5月16日金曜日
その人の「持ちもの」と人間性は関係ない
~の仕事をしている、~大学を出た、~っていうすごいことができる、~っていう有名人と友達。
ネタは何でも同じだが、人はどうしてもこういうものに弱い。もちろん僕も。ずいぶん前のことだが、仕事でとても尊敬していた人が些細なことで攻撃的な発言を始めたとき、愕然とした。本当にショックだった。僕はその人への尊敬の念が強すぎて仕事ができるから人間的にも素晴らしいのだと信じ切っていた。それよりもっと前には職業や学歴がすごい友人を見て、人間的にもすごいのだと勘違いしてショックを受けたこともあった。
職業も学歴も特技も知人も、果ては身体的な外見、身に着けている時計、車や家や住んでいる地域も、すべてその人そのものではなく、その人の「持ちもの」に過ぎない。でも人はどうしてもその人の「持ちもの」に目を奪われてしまう。中には自ら自分のすごさ(持ちもの)について語りだしたり、人に見せたがる人がいるが、そんな人で本当にすごい人を僕は見たことがない。その人の「持ちもの」と人間性は何の関係もない。人に会うときはこれを忘れないでいたい。
2025年5月9日金曜日
みんな同じようなことが人生には起こっている
僕はさだまさしさん、中島みゆきさんの歌が好きだ。心の奥底にあるものに触れてくれる。お二人が人生で感じたものを歌詞にしてくれたのだと思うが、実際は同じようなことは誰しもが人生で起こっているのだと思う。でなければ多くの人に共感してもらえるわけがないからだ。お二人のような表現者とそれ以外の人との違いは、同じものを見たときでも感じ取れるものや量が違うこと、それを表現する力があることだと思う。逆に言えば、ほかの人がすごく見えても、そうでないように見えても、実はみんな同じようなことが人生には起こっているのだと思う。
2025年5月2日金曜日
精神科医がお手伝いできることはとても限られている
患者さんの中にはとても辛そうに見えるのに「全然大丈夫です」みたいに何も問題を語らずに帰られる方にお会いすることがある。僕として内心とても気になるし、本当に大丈夫なのかなと思うが、ご本人が大丈夫とおっしゃるのに無理やり問題を話させるわけにはいかない。そんなとき僕が思うのは、本当は問題があるけど言いたくないという場合もあるだろうが、診察とかそんな場で話すような内容ではない全く別の事情を抱えておられるのかもしれない。そんな風に想像している。とても当たり前の話で恐縮だが、人は何か悩みを抱えているからと言っていつも精神科で相談するわけがないからだ。僕ら精神科医がお手伝いできることはとても限られている。
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